自転車事故

ひと月ほど前、仲良くさせてもらっている仕事上の先輩と、
ハーグの町でお昼ご飯を一緒に食べたのですが、
その際、先輩が自転車にはねられました。

ちょうど自転車道を横断しているところで、
左右から来る自転車を確認しながら渡りきったところで、
前の歩道から来た自転車にぶつかったのでした。

別にスピードを出していた訳じゃないのですが、
結構激しいぶつかり方をしました。
先輩の身体はふわっと一瞬浮いて、
そのあと後ろを歩いていた私の腕の中にボンッと入ってきたので、
「おおっ?!」と思わず言いましたよ。
まるでキャッチャーになったみたいでしたね。
リアル・キャッチャー・イン・ザ・ライですよ。

足と小指をぶつけたということで、
先輩は衝撃で口が利けないみたいな感じになっているし、
とりあえず近くのベンチに腰かけて、
自転車に乗っていた人に電話番号を聞きました。

その男の人は人が良さそうで、
しきりに謝って、どうしていいか分からないような様子でした。
私が、
「これから病院に連れて行くから、
 何か怪我をしてた場合のために名前と電話番号を教えて欲しい」と言ったら、
すぐに教えてくれました。
だけど彼の着ているものとか、自転車とか、
あんまりお金はなさそうだなと思いましたけどね。

彼と別れたあと、
中華料理屋に入って、
とりあえず昼食を予定通り取りました。
先輩は足を引きずり、小指は妙な具合に曲っていましたが、
ただそこまで痛くはないとのことで、
「病院に行くほどのことはないと思う」と言ったので、
その日はそれで帰ったのですけどね。

そこから私たちは仕事が猛烈に忙しくなりました。
春はもう、毎日毎日仕事で、
私たちは仕事しかしなくなるのです。
彼女も仕事を休めなくて、
病院に行けないまま、ひと月が経過しました。

そうして、先日やっと仕事の合間に病院に行ったところ、
小指の骨が折れていたそうです。
骨が折れる=激痛みたいな感じで考えていましたが、
そうでもないんですね。
そういえば変な方向に曲がっていましたし、
本当、中華なんか食べていないですぐに病院に連れていけばよかったですよ。

それで、自転車に乗っていた男の人に、
折れたことがわかった時点で電話を掛けたそうです。

名前も電話番号も本物で、
ちゃんと電話も掛けられたし、SMSも送れたので、
とりあえず怪我した所の写真と状況を送って、
また連絡するね、とメッセージを残したそうです。

そうしたら、次から着信拒否されて、
電話にもSMSにも全然返信がないとか。
あんなに良さそうな人だったのに、ひき逃げの予感です。

一昨日、私と先輩とは一緒に警察署に行って、
保険のための被害届を出そうとしましたが、
警察は被害届を受理してくれませんでした。
ひと月前に起こったことだし、
その場で警察を呼ばなかったし、
証人の私は彼女の友達だし。

とりあえず男の携帯の留守電では、
本人の声で名前と名字を名乗っているので、
それをメモしてインターネットで検索したら、
彼のフェースブックおよび写真が出てきました。
ジャケットを肩にひっかけて葉巻くわえた、
良い男風の写真が。
もう、隙だらけですよ。

多分普通の良い人なんですよね。
とっさに嘘の電話番号を教えたって良かったのに、
本名と本当の電話番号を教えてくれた訳ですし。
でもいざ事が面倒になり始めると、
ビビって逃げることに決めた訳です。
まあ、こっちは言葉もおぼつかない外国人ですしね。

フェースブックには彼の写真もありましたし、
友達もみんな出てましたし、
彼がコメントをのせた記事、
彼がリコメンドする音楽、
彼の好きな映画、
みんな出てましたよ。

そこから溢れるように彼の良さそうな人柄、
趣味の良さなんかが伝わってくるのですが、
最後に私たちしか知らない情報、
「彼はひき逃げをしたのだ」という一項目をつけ加えた途端、
トランプを裏返すみたいに、
世界が変わるのです。

いやあ、インターネットって怖いですね。
震えがきましたよ。
私はトンズラすることに決めた彼の気持ちが分からない事はないですからね。
私だって貧乏な小市民で、
自転車で対人の保険なんかかけてませんし、
治療費でいくら取られるんだろうと思ったら、
それは警察にその場で届け出なかったこととか、
相手がろくに話せない外国人であることとか、
超面倒くさいこととか、
まあ「逃げたほうが得」と思ったかもしれません。
最初から逃げる狡さもないし、
自分の身元を隠す様な用心深さもないし、
そこらへんもまさしく、
ごく普通の人ですよ。

そういう人こそ、
大恥かいちゃうんだなあ、と思ったんですよね。
私が彼の立場だったら、
被害者に葉巻咥えてるカッコイイ写真を観られた時点で、
「ひき逃げした癖に(笑)」と思われている時点で、
もう恥ずかしくて居てもたってもいられないですよ。

だけど、だからこそ、
私たちみたいな小市民にとって、
いざという時に怖くても筋を通して生きるという事、
責任をちゃんと取るという事は、
大切な事なんだとしみじみ思いました。




ハックルベリー・フィン

私は年を追うごとにトム・ソーヤーが嫌いになる。
そして、年を追うごとにハックルベリー・フィンが好きになる。

この傾向が何を表すのかはよくわからないけれど、
とにかくハックルベリー・フィンのように生きたいと思う今日この頃である。

イスラム国 暴虐を繰り返す訳

イスラム国が暴虐を繰り返すおかげで、
最近戦争の事についてよく考えます。

この「イスラム国が暴虐を繰り返す訳」っていうのは、
アメブロのニュース欄の見出しなのだけれど。

でも、イスラム国が暴虐を繰り返す訳なんか掘りかえしたって、
何にも出てこないような気がします。
戦争してるっていう、ただそれだけが理由。
イスラム国だから暴虐を繰り返している訳ではないし、
イスラム国が国ではなくてテロリストの集団だからでもないし、
ムスリムの掟が暴虐を奨励しているからでもない。

戦争になると、人は暴虐になる。
そして、暴虐になることに抗えなくなるのだろうと、思います。

戦争について書かれた本や記事を読めば、
それこそどこの誰ってことではなく、
世界中の軍隊がそれぞれ暴虐の限りを尽くしています。
古代から第一次・二次世界大戦からイラン・イラク戦争から湾岸戦争に至るまで。
ヨルダン人のパイロットが生きたまま焼き殺されるという衝撃の映像は、
確かに心底恐ろしかったけれど、
じゃあどこの国だったら、有史以来一度も人を生きたまま焼き殺さなかったか?
と問われれば、やらなかった国の方が珍しいんじゃないかしら。

つまり人間は、
必要があって追いつめられれば、
相手を生きたまま焼き殺してしまうものなんだと思います。
イスラム国はハンドメイドでやっているから残虐に見えるけれど、
アメリカ軍は遠隔操作の爆弾でやっていて、
だけどそれだって生きたまま焼き殺していることには変わりないですしね。

私だってあの場にイスラム国の兵士として居合わせて、
大きな銃を構えた怖ろしげな上官に、
「さあ、火をつけろ」と言われたら、
「そんな非人間的なことはいやです!」と果たして言えるかどうか。
自分が制裁を受ける可能性があったりしたら、
言える確率は消費税程度のパーセンテージだろうと思います。
そういう意味では、私は全然自分の英雄性については信じていないのです。
それに、要するに戦争な訳だから、
火をつける人がその場では英雄なのでしょうし。

だから本当に、
戦争っていうのは始めない事が肝要だなと思います。
湯川さん・後藤さんの人質事件に際して、
「こういう場合に自衛隊を派遣できない不自由さ」うんぬんを口にする人がいましたけど、
仮に送れたところで、
自衛隊の人がイスラム国相手に何が出来るっていうのかしら。

自衛隊員だって、
平和な日本で同じように何不自由ない育ち方をしてきた、
本当の戦闘なんかしたこともない日本の若者たちでしょう。
そんな自分のところの男の子たちを究極のアウェイ・イスラム国に送って、
子供の頃から銃を持たせられて、
自分の手で人の首が切れるような、
そういう猛者たちと彼らのホームで対峙させるって、
それで自衛隊が人質を彼らから奪還することができると思うって、
どんだけドリーマーなんだろう(笑)

私は自分の国の若者を、
そんな状況には絶対に送り込みたくないです。

イスラム国の人たちが現在暴虐の限りを尽くしているのは、
彼らがとても過酷な状況にあり、
失うものが少ない割に怒りが大きく、
思想としての宗教が背骨となって彼らを支え、
そしてやはり、
西洋の側とは比べ物にならない問題意識を持っているからだと思います。
彼らはモンスターだと思うけど、
戦争になったら皆モンスターですよ。
なりたくなくてもモンスターになってしまう。

本当に、戦争だけはつくづくイヤだなと思います。
誰かがサイコキラーの鬼みたいになったり、
その誰かに殺人を強要されたり、
お互い同士疑心暗鬼になって殺し合ったり、
制裁したり。
あとから総括すれば醜くて残酷で暴虐だけれども、
その場にいたら逃れられない事ってあると思うし。

イスラム国の人たちは、
どうしたら自分の暴虐から逃れられるのだろうか。
彼らをそこから逃がしてやる方法はないのだろうか。

でも私たちにとって一番大切なことは、
私たちの男の子を、
暴虐の加害者にしたり被害者にすることから守ることかなあ、と思うのですが。
でも多分、怪我しないと痛みがわからないのと同じで、
いざその場になってみないと、
逃れられない事の恐ろしさって想像できないのかもしれないけれど。







いつの間に

後藤健二さんの死に哀悼の意を表します。
仕事柄、常に死は意識されていたと思いますが、
それでも亡くなるまでの間、
彼がどれほどの恐怖を体験したかと思うと、
気の毒でなりません。
もともとは人々の幸福のため、
平和のために仕事をされていたのでしょうに、
紛争の火に油を注ぐような役割に利用されて、
忸怩たる思いで亡くなったのではないかと思います。

それにしても心底不思議なのは、
どうしていつの間にかイスラム国が日本の敵みたいな体になっているの?
という事です。
どうして安倍首相は「テロと戦う」なんて簡単に言うのかしら。

もちろん日本でイスラム国由来のテロが起こったならば、
それは断固として戦うべきです。
日本の国内でイスラム国由来の殺人事件が連発し、
日本人が次々さらわれたり、
若者が兵士になってアラブに行っちゃったりしているのならば、
もちろんイスラム国は日本の敵です。

ところが日本の国内にはムスリムはほとんどいませんし、
日常生活の中で彼らを見たことがあるという人すら、そんなにいないと思うのですよ。
ましてやイスラム国の兵士なんてね。
日本にはムスリムに対する差別なんてないし、
積極的に反感を持つほど彼らを知っている人もそんなにいないと思います。
それは向こうだって同じだと思います。
日本と中国の区別がついていない人間が大半だと思いますよ。

イスラム国と欧米のごたごた、
またはムスリムと欧米のグチャグチャに、
日本は全然からんでいないのです。
関係ないのです。
本来は。
いつの間にこんな敵対の構図の中に組み込まれているのだか。

テロリストと戦う!
なんて言うと、一見正論でかっこいいですが、
自分に何にも悪い事していないテロリストと戦うのって、
それは本当に正義なのだろうか。

いや、もちろん湯川さん・後藤さんは人質にされた上殺害されましたけど、
彼らはそこが紛争地域だということも、
イスラム国の危険性も分かった上で渡航されていた訳で、
テロの犠牲になったのかと言われると、その定義はどうかな、と思いますしね。
むしろ職業的に戦争の犠牲になった、兵士の殉職に近い形だと思います。
平和な日本のサラリーマンが通勤途中に犠牲になったのとは違います。

今回の件は安倍首相がエジプトに行って、
「テロと戦っている周辺国」イラクやレバノンに、
二億ドルの資金提供を約束したことがきっかけだそうです。

そもそも、どうして私たち日本人が、
対テロリストなんだか知りませんがムスリムの戦争に、
二億ドルも出さねばならないのか?
二億ドルって234億円ですって。
日本は借金大国なんですよね?

避難生活の福島県民もきちんとした保護を受け取っておらず、
ブラック企業ばかりで労働形態は貧しく、
生活保護すら削られて、
消費税はあがっていく、
それはみんな「仕方ない」のに、
何の関係もない中東に二億ドルの支援て、一体何なの?
しかも「あげてもいいですか?」っていう相談を受けた覚えも全然ないし。
二億ドルは安倍さんのポケットマネーだったのかな?
だからあんなに簡単にあげちゃったのかな。

そうして、二億ドルあげるのに、
その金を受け取る中東は、
今回の人質事件において一体何をしてくれたのだろうか。
二億ドルも受け取るくせに、
人質の一人や二人救出できなかったの?
二億ドルも受け取るくせに、
イスラム国との交渉ルートさえ満足に構築できなかったの?

無駄に金をあげるにもほどがあると、私は思います。
あげたくないなあ。
もうあげちゃったなら、返してほしいな。

言論の自由とは

シャルリー・エブドの問題は、
人種差別と言論の自由の問題について、
色々考えさせられました。

私自身、まだ考えがはっきりまとまらなくて、
何かを読んだり聞いたりするたびに、
考えがクルクル変わります。

要するにスケールの大きなビートたけしのフライデー襲撃事件ですよね。
ムスリムだとか何だとかは関係ないと、
すでに多くの人が口にのせていますが、
私もそう思います。
これはやはり、「言論」というものにたいする見識を、
現代社会が問われているのではないか、と思うのです。

その中で、なるほど、と思ったのが、
藤原敏史さんという映画監督が書いた意見文でした。

http://www.france10.tv/international/4581/

(前略)よく知らない、自分の所属するのでない文化やその権威を揶揄する際に適確な風刺に到達するのは、本来ならより難しい。無知ゆえの見当違いで風刺がスベるリスクが常にあり、だからこそ当然ながらより慎重さと作品のクオリティを高める努力が要求される。だが実際には、今回の事件で「週刊シャルリ」がこれまで掲載して来たムハンマドの漫画などが報道やネットに流れたが、率直に言って風刺としてはかなり出来は悪いというか揶揄として成立しておらず、ちっとも笑えない。はっきり言えば自己満足の笑いでハタ目にはスベりまくっている。にも関わらずこれを笑うフランス大衆が多いとしたら、痛烈な風刺が怒るスレスレで笑いに転じるのではなく、最初から差別対象をバカにすることそれ自体が楽しいからだ。

(中略)

出来の悪い風刺、失敗したギャグだけなら、つまらないだけですぐ忘れられる。だがイスラム教徒への差別意識、アラブ系移民の増加を脅威とみなす排外主義の素地がある社会では、出来の悪い風刺の方がむしろ売れるのは、イスラムに関する知識がなく興味もない読者が楽しめるからではないのか? その差別を受ける側から見れば、そこまで安易で怠惰なやり方で自分たちがバカにされながら、抗議したところで自分たちが「言論の自由が分かっていない」と相手方のルール、その実差別するマジョリティの傲慢な圧力で握りつぶされるだけだと、すでに痛いほど分かっているマイノリティがいる構図を、「週刊シャルリ」が無視してしまって来たことは否めない。


まあこれ、本当にわかる感じなんですよね。
私は一番納得できた主張でした。
ぜひ全文を読んでほしいですね。

以前私は「Ushi must marry」という映画を観て、
「死ねばいいのに」というブログを書いたことがあります。

やっぱりね、日本と中国の文化の違いもよくわかっていないような人間に、
バカだといわれ、
背が低いといわれ、
しゃべり方が変だといわれ、
メガネをかけてるといわれ、
がにまたで歩くといわれ、
文化から何から「ヤバいぐらい醜い(笑)」みたいに風刺されるのは、
猛烈に腹が立つものです。

自分で自分の事を批判し、風刺し、笑いのめすのは、
エスプリであり客観性というものでしょうけど、
その刃をよく知らない他人に向けた場合、
それは品のない嘲笑でしかない。

特に私たちヨーロッパに住むマイノリティ、
常日頃から多かれ少なかれ差別の対象になっている人間は、
笑い者にされれば反撃の術なんか持ってないのです。
だからね、
わたしはやっぱり、シャルリー・エブドの風刺画っていうのは、
弱い者いじめではなかったか、という、
藤原さんに賛成なのです。
私もそう思います。

小学校時代に、
みんなで一人の男の子をからかい倒して、
最終的にその子がみんなに向かって机を投げて
大問題になったことがあります。
もともと感情のコントロールがうまく出来ない子で、
成績も悪ければ運動神経も悪く、
かといってハンサムな訳でもなく、
まあ要するに、みんなバカにしていた訳です。
そうして煽って煽って爆発させて、
机を投げた後も、
「やっぱりあいつは動物だね(笑)」みたいな感じで、
更にバカにされていましたよ。

このシャルリー・エブド事件に、
同じノリを感じてしまうのは私だけでしょうか。

フランスではこのあと、
パリ銃撃事件の犯人に共感を示したコメディアンに、
逮捕状が出たそうですね。
彼は、
「自分は人を笑わせようとしただけで、シャルリー・エブドと同じだ」
と言っているそうです。
要するにバカにする対象(彼の場合はユダヤ人)によっては、
言論は全然自由じゃない。

ムスリムの人々は、
良かれ悪しかれ、
この欧米がリードしてきた現在の世界に、
一石を投じていますよね。
私は本当に考えてしまいました。

文明の衝突が激化することによって、
ムスリムの人たちが一方的にひどい目にあわなければ良いなと、
つくづく思います。
ムスリムの人たちの考えかた、
ムスリムの人たちの問題提起は、
西欧社会にとってとても大切なことなのではないかと思うからです。

プロフィール

Kachika

Author:Kachika
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