
標的の村
昨日、東中野に「標的の村」という映画を弟と観に行ってきました。
沖縄の基地問題がテーマになっている映画で、
5年前、オスプレイのヘリポート建設に反対し座り込んだ東村・高江の住民の、
国との闘争の模様を描いたものです。
三上智恵さんという女性監督のドキュメンタリーですが、
硬派なテーマを豊かな自然と美しい人々が彩り、
とても良い映画でした。
ちょっと早く着き過ぎたので、
映画の前に珈琲館という喫茶店に入りましたが、
これがまたクラシックな良い喫茶店でねえ。
そこのおじさんが、
前髪の一部だけ金色のメッシュにしているのですが、
ちょっと物悲しげな風貌というか、
テレビを観ながら微笑んで、
延々とハワイは西海岸がいいか東海岸がいいか、
浜辺で亀を見るなら東海岸である、
というような話をするのです。
大変ポエティックでした。
ここの珈琲がまた、
弟のアメリカンが無味無臭でして、
あれ、お茶?
と思うようなものなのですが、
400円。
とてもお安いことも確かでして、
あの昭和な懐かしい内装と、
おじさんの詩的な出で立ちと、
しみじみと情緒のある安っぽい雰囲気とがあいまって、
もう本当に癒やされました。
おすすめですね。
東中野のポラポラも、
やっぱりポエティックな映画館でした。
小さいところですが、
真赤な椅子と深緑色の壁が美しくてね。
好きだなと思いました。
それにしても、
『標的の村』は、
国家と人間、というその関係性を考える上で、
やっぱり今の時代を生きる日本人は観ておいたほうが良い映画だと思いました。
沖縄の高江村の人々は、
米軍基地に取り囲まれるような形で集落をつくっています。
過去には、ベトナム村に見立てられて、
演習の標的に利用されたこともあります。
先祖代々の土地を強制的に奪われて、
お墓参りもできない人がいるのです。
5年前に、その高江村の近くの基地に、
新型輸送機オスプレイが配置されることになりました。
ヘリポートの建設計画が進み始めると、
高江村の人たちはダンプの前に座り込みをして、
反対運動をしました。
ところがこの反対運動の住民達を、
国が訴えるのです。
税金という莫大な資金を持った国が、
細々と仕事をしながら反対運動をしていた個人を訴えたわけです。
しかもその罪状は「通行妨害」とか、
「座れ!」と叫んだとか、両手をあげて物資の運搬を阻止しようとしたとか、
本質と関係のないところで引っ張ったそうです。
訴えられた人々の中には、子どももいたとか。
大きな力を持った集団が、
個人を萎縮させるために行う裁判を、
アメリカではSLAPP裁判と呼び、これを禁止しています。
ところでは日本にはそういう法律がないために、
市民は甘んじて受けるしかない。
高江の人たちはそれに屈せず、
闘争を続けていましたが、
やはり「怖い」という言葉を何度も口にするのです。
そりゃそうですよね、
普通の一般市民ですし。
私は沖縄の基地問題に関して、
自分が言えることはあまりないと感じています。
なぜかといえば、
沖縄が日米安保の歪みを一手に引き受けてくれるおかげで、
私たち本州の人間は米軍に悩まされずにすんでいるし、
いかにも占領されている、といった空気を吸わずにすんでいるからです。
つまりは、利益をそこから得ているのです。
高江の人たちに自分を重ねるのはあまりに呑気だと思う。
それはやっぱり、考えもなしに「基地反対!」と言えば済むことじゃないと思います。
ただ、沖縄の人たちの怒りや主張は、
本当にもっともな事だと感じます。
何一つ間違っていないし、
正当な要求をしているだけです。
もっともな事を言っているのに、
圧倒的な力の前に負けていく。
映画に描き出された国家と市民との関係性は、
沖縄だけに留まることではないと思います。
その国家の刃というのは、
いつ自分に向けられるかわからない。
東京に暮らして、
与えられたものに満足して草を食んでいるうちは良いとしても、
いざ国が市民から収奪を始めたとき、
国との間に葛藤が生まれたときに、
法に縛られない国というのは、
こんなにもあからさまに市民を蔑ろにするものなのか、
とそれは驚くようなことでした。
市民に対して要求できる権限を国はどんどん拡大しており、
それに対して市民は丸投げで権利を差し出し、
その事がどれほど恐ろしい結果を引き起こすのか。
やはり私たちは油断しているし、
沖縄の人たちはその国民全員の莫大な油断の結果を、
一人で引きうけさせられている。
ご都合主義の結果を長きに渡って引き受け続けているのですよね。
アメリカとの関係をどうすべきなのか、
私にははっきりとした結論などありゃしないのですが、
とにかく色々なことを考えさせられました。
『標的の村』は10月19日まで上映されるようです。
観ていない方は絶対に観たほうが良いと思います。
沖縄の基地問題がテーマになっている映画で、
5年前、オスプレイのヘリポート建設に反対し座り込んだ東村・高江の住民の、
国との闘争の模様を描いたものです。
三上智恵さんという女性監督のドキュメンタリーですが、
硬派なテーマを豊かな自然と美しい人々が彩り、
とても良い映画でした。
ちょっと早く着き過ぎたので、
映画の前に珈琲館という喫茶店に入りましたが、
これがまたクラシックな良い喫茶店でねえ。
そこのおじさんが、
前髪の一部だけ金色のメッシュにしているのですが、
ちょっと物悲しげな風貌というか、
テレビを観ながら微笑んで、
延々とハワイは西海岸がいいか東海岸がいいか、
浜辺で亀を見るなら東海岸である、
というような話をするのです。
大変ポエティックでした。
ここの珈琲がまた、
弟のアメリカンが無味無臭でして、
あれ、お茶?
と思うようなものなのですが、
400円。
とてもお安いことも確かでして、
あの昭和な懐かしい内装と、
おじさんの詩的な出で立ちと、
しみじみと情緒のある安っぽい雰囲気とがあいまって、
もう本当に癒やされました。
おすすめですね。
東中野のポラポラも、
やっぱりポエティックな映画館でした。
小さいところですが、
真赤な椅子と深緑色の壁が美しくてね。
好きだなと思いました。
それにしても、
『標的の村』は、
国家と人間、というその関係性を考える上で、
やっぱり今の時代を生きる日本人は観ておいたほうが良い映画だと思いました。
沖縄の高江村の人々は、
米軍基地に取り囲まれるような形で集落をつくっています。
過去には、ベトナム村に見立てられて、
演習の標的に利用されたこともあります。
先祖代々の土地を強制的に奪われて、
お墓参りもできない人がいるのです。
5年前に、その高江村の近くの基地に、
新型輸送機オスプレイが配置されることになりました。
ヘリポートの建設計画が進み始めると、
高江村の人たちはダンプの前に座り込みをして、
反対運動をしました。
ところがこの反対運動の住民達を、
国が訴えるのです。
税金という莫大な資金を持った国が、
細々と仕事をしながら反対運動をしていた個人を訴えたわけです。
しかもその罪状は「通行妨害」とか、
「座れ!」と叫んだとか、両手をあげて物資の運搬を阻止しようとしたとか、
本質と関係のないところで引っ張ったそうです。
訴えられた人々の中には、子どももいたとか。
大きな力を持った集団が、
個人を萎縮させるために行う裁判を、
アメリカではSLAPP裁判と呼び、これを禁止しています。
ところでは日本にはそういう法律がないために、
市民は甘んじて受けるしかない。
高江の人たちはそれに屈せず、
闘争を続けていましたが、
やはり「怖い」という言葉を何度も口にするのです。
そりゃそうですよね、
普通の一般市民ですし。
私は沖縄の基地問題に関して、
自分が言えることはあまりないと感じています。
なぜかといえば、
沖縄が日米安保の歪みを一手に引き受けてくれるおかげで、
私たち本州の人間は米軍に悩まされずにすんでいるし、
いかにも占領されている、といった空気を吸わずにすんでいるからです。
つまりは、利益をそこから得ているのです。
高江の人たちに自分を重ねるのはあまりに呑気だと思う。
それはやっぱり、考えもなしに「基地反対!」と言えば済むことじゃないと思います。
ただ、沖縄の人たちの怒りや主張は、
本当にもっともな事だと感じます。
何一つ間違っていないし、
正当な要求をしているだけです。
もっともな事を言っているのに、
圧倒的な力の前に負けていく。
映画に描き出された国家と市民との関係性は、
沖縄だけに留まることではないと思います。
その国家の刃というのは、
いつ自分に向けられるかわからない。
東京に暮らして、
与えられたものに満足して草を食んでいるうちは良いとしても、
いざ国が市民から収奪を始めたとき、
国との間に葛藤が生まれたときに、
法に縛られない国というのは、
こんなにもあからさまに市民を蔑ろにするものなのか、
とそれは驚くようなことでした。
市民に対して要求できる権限を国はどんどん拡大しており、
それに対して市民は丸投げで権利を差し出し、
その事がどれほど恐ろしい結果を引き起こすのか。
やはり私たちは油断しているし、
沖縄の人たちはその国民全員の莫大な油断の結果を、
一人で引きうけさせられている。
ご都合主義の結果を長きに渡って引き受け続けているのですよね。
アメリカとの関係をどうすべきなのか、
私にははっきりとした結論などありゃしないのですが、
とにかく色々なことを考えさせられました。
『標的の村』は10月19日まで上映されるようです。
観ていない方は絶対に観たほうが良いと思います。
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