意見が違うということ

最近、「あまちゃん」にはまっている私です。
いやー、面白いですよね。
あまちゃん、かわいいですよね。
私は二週間前から見始めたので、
大分遅れてのスタートですが、
暇に飽かせて一日五話くらいのペースで見ています。

ただひとつ心配なのが、
あまちゃんが北三陸の海に潜りまくっている件でして。
大丈夫なの?
と私としては思う訳です。
そこで、さっそく、
「あまちゃん 放射能 大丈夫なの?」でググってみますとね、
やはり同じような事を考える人はいるんですね。
某相談室に似たような質問がいっぱい寄せられていましたよ。

「あきちゃんは海に潜って放射能汚染されないの?」
「あのウニは本当に食べても大丈夫なの?」
「あきちゃんのお父さんのタクシーが韓国製なのは在日の陰謀なの?」

などなどね。
まあ最後のやつはちょっと笑ってしまったんですが、
上の二つは実際問題、怖いポイントですよ。

特にウニね。
海から取って来て、その場で割って食べていますよね。
新鮮、取れたてなことは間違いない。
あまちゃんが取って来てくれるなら、かわいいことも間違いない。
しかし、ある意味大変なロシアンルーレットだと思うのです。

そんな話をこの間Mぴーとしていましてね、
私が、
「それにしても、回答が結構ピリピリしててね。
 食いたくなきゃ食うなとか、
 何を言っても食べない人は食べないんだから、
 あんたには関係ない、みたいなやつとか・・・」
と言うと、
Mぴーが言うのです。
「私もそっちの意見に賛成。
 こんなに時間が経っているのに、
 いまだに原発のことになると、
 何でもかんでも危ない、危ないって騒ぐ人がいるよね。
 あれは何なの?
 宗教みたい。
 山本太郎とかもうさん臭いよね」

私はもう、何にも言えなくなりました。
苦し紛れに、
「い、いや、何にも終わってないんだよ。
 全然収束してない訳じゃんか?
 怖いよ!実際・・・」
と言いましたが、
宗教と言われてしまえば、
全てが「ああ、そういう宗教なんだな」ということで収束してしまうでしょう。
私自身も言えば言うほど、
「ああ、私はそういう宗教なんだな」と自分で納得してしまいそうになったので、
早々にこの話題を切り上げました。

思い出したのが、
この原発関連については、
Mぴーは一切ブレがないという事ですね。
起こった当初から、
今に至るまで、
まったく気にしている素振りを見せないのです。

原発事故が起こった翌年に、
彼女は生まれたばかりの子供を連れて日本に帰っているのです。
「ちょっと、大丈夫なの?」
と私はその時にも言ったのですが、
Mぴー曰く、

「みんなに言われるけどね、
 そんな事言ったら私の家族や友達はみんな、
 二十四時間ずっと日本にいるっつうの。
 大人から子供からみんな。」

それを考えたらひと月くらいなんだ、と。
その時に、
それもそうだな、と思ったんですよね。
なるほどこいつはサムライだなって。

もちろん私の意見は違いますよ。
もし自分が赤ん坊の母親であったら、
絶対にそういう考え方はしなかっただろうと思います。
あの時期に日本に帰るなんていうのは、
その理由が「赤ちゃんの顔を親に見せたい」なんていう緊急性のないものだったら、
私の枠組みの中では『蛮勇』という言葉に分類される行為です。

私の母親は昔、反核運動をしていまして、
私が子供の頃は非核三原則の徹底を求めて、
ずいぶん学習会やら集会やらをしていました。
もう25年から30年くらい前の事です。
その時代に幼い私の頭に叩き込まれた核への恐怖心と言ったらね。

だから、福島第一原発の事故が起こった時、
私は本当に真っ青になりました。
もうおしまいだ、と思いました。
私が小さな頃によく警鐘を鳴らされていた、
最悪のシナリオ、というやつが、
人災を含めて、
まさに想像を上回る形で進行しているなと思ったのです。

放射能の影響は時間差で現れます。
5年、10年経って、
もう直接の因果関係が証明できなくなってから現れるのです。
今みたいに出口が見えない感じで放射能汚染が進んでいったら、
日本でまともに生まれる新生児は10パーセント以下になるんじゃないかとか、
今でも私は思っています。
怯えていますよ、本当に。

だけど一方で、
Mぴーのような考え方も必要ではないか、と思うのです。
うるせえや、という思想ね。
間違っているとは思うけど、
ある種の筋は通っている。
で、本当に私が正しくて、
彼女が間違っているかどうかは、
死ぬまでわかりませんしね。

人間というのは、
今現在いる環境の中で、
出来る範囲ですべき事をして生きていくしかない。
目に見えないものを怖がっていたら、
何にも出来なくなってしまう。
それはわかる感じがするのです。

ああいう風でないと、
子供作ったり、
育てたり、
そういう創造的な、
勇気のいる仕事は出来ないのかもしれませんね。

ま、放射能物質の場合は、
ある程度本当に実害のあるものだから、
もっと怖がってもいいんじゃないかなと思いますけど。

やっぱりね、
Mぴーは面白いですよね。

たとえば彼女の夫はムスリムなわけですが、
結婚して自分もムスリムになるとか、
自分だったら絶対にありえない選択肢だなと思う訳です。

だってオランダ人でムスリムを良く言う人なんて全然いませんし、
むしろ国を挙げて彼らに出てってもらおうとしてますしね。
私のオランダ人もムスリムが大嫌いで、
周辺に住んでいるトルコ・モロッコの若者も荒れててひどいしね。
きっとMぴーの旦那がトルコ人でなければ、
私は簡単に、
「あー、ムスリム嫌い。ムスリム出てけ」と言っていたと思います。

でも、知り合いにムスリムが一人いて、
顔も名前も知っており、
話したこともあって、
結構親切で良い人である。
ということになると、
私の内面はちょっと複雑になる訳です。
一概にムスリムはキライと言えなくなってくる。

それと同時に、
Mぴーと会うたびに思う訳です。

この人、一体どういうことなのかな?
どうしてなのかな?
どういう感じで生きてるんだろうな?

何しろ自分と違い過ぎてね。

同じになりたいとは思わないけど、
良い方向性の違いというか、
考えさせられるような違い方で、
なんか面白くて好きなんですよねえ。

そういう引っかかり、
頭の中の利害関係や思想やなんかと、
現実の人間関係のねじれがもたらした複雑さというのは、
私にとって大事なことだろうと思います。

私はロシア人に知り合いが多数いて、
その人たちの事を好きですし、
ロシアにいた頃、一番仲良しの友達が韓国人で、
だから韓国が好きです。
中国人の友達は今のところいなくて、
だから中国も中国人も嫌いですが、
大好きになれる友達が一人いれば好きだったんだろうなという自覚があります。
私が人生の後半をずっと海外で過ごしていて、
良かった点はこの事ですね。
何もかも一概には決められない事を知っている点です。

そういえば、今日本でヘイトスピーチして、
それに抗議した人を殴って捕まった人って、

湘南純愛組・優

て言うんですってね?
この名前を見ると、
ご自身も日本の中でずっと差別にあってきた人なのかもしれないなと思ったり。
殴られて育った子供が暴力的になっちゃう的な、
そういうノリなのかなって。

ヘイトスピーチの内容を見ると、
同じ日本人として恥ずかしいというのはもちろんありますが、
その精神の荒廃具合にびっくりするのです。
どんだけひどい目に遭ってきたのだろうな、あの人たちは。
YouTubeでアップされている動画の顔なんかをマジマジと見てしまいます。

私の中で、『トレイントレイン』が流れましたよ。
ブルーハーツの。

♪ 弱い者たちが夕暮れ~
  更に弱い者を叩く~

彼らに外国人の友達なんているのかな。
朝鮮人の友達はもちろんいないでしょうし、
日本人の友達もいるかどうか、怪しいもんですよね。
あ、それはいるのか。
在特会のメンバーが。

でもこう、一方的に悪口を言うのではなくて、
単にクソぶっかけるのではなくて、
もうちょっと対話の方向にできないものでしょうかね。
なんかね、愛情のないむき出しの敵意にうんざりしてしまいます。

在日特権を許さない会の主催者と、
在日のなかでも強い人をつれてきて、
そんなに戦いたいならプロレスでもして、
そのあとに交流会をするとか、
もうちょっと触れ合いのある方向性にしたらいいのに。
第一回大会は荒れるでしょうけど、
二回、三回と続けていけば、
お互い顔見知りになってくるでしょうし、
人間は何度も顔を合わせる人間を好きになるそうですから、
そうすると、
もうちょっと相手の立場についても想像力を働かせた対話が出来るようになるのではないか。

自分と意見や立場が違う相手を、
叩いたって仕方がない訳でね。
意見を変えさせようとするのも、暴力です。
だけど、ずっと一緒にいれば、
自分も相手もどうせ変わってゆくし、
その変化のプロセスの間じゅう、
お互いの間に好意を存在させておく努力っていうのは、
必要だよなって思う今日この頃です。





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子育て地獄

人間というのは、どうして子どもを欲しがるのでしょう。

私は最近、
「子供欲しくないの?」という質問を受けてばかりいるのです。
私の彼氏がオランダ人だと知ると、
絶対に「子供はいるの?」と聞かれますしね。
やっぱりね、顔が観たいんですよね、みんな。
子供がいるとしたらどんな顔をしているのかなって。

その気持ちは私にもわかります。
私だってちょっと観たいような気がしますよ。
私のこの美貌と、
彼氏のあの長身とが結び合わさった時に、
一体どういう奇跡が起こるのか。
ああ、スーパーモデルになっちゃうかもな?
そんな事すら思いますね。
私のこのスバラシイ思考力と、
彼氏のあの記憶力とが組み合わさった時に、
一体どういう奇跡が起こるのか。
ああ、アインシュタインになっちゃうかもな?
そういう事も思います。

不思議なことに、
私の短所と彼の短所を重ねあわせた子供像って、
あんまり考えることはありません。
ちびでぽっちゃりでO脚の、
短気で内気でアルツハイマー気味の、
怠惰で消極的で常に責任転嫁気味の、
生産性のない病弱な自分にそっくりの子供って、
想像するだけでイヤになりますけど、
まあ、今言ってるだけで、
実は全然頭の中で具体的な像は浮かんできませんしね。

それ以上に考えないのが、
ごく普通の、平凡な、良くもなければ悪くもない、
突出した才能もない代わりに、
悪意も善意も人並みの子供の可能性ですね。
まあ、本当の意味での自分たちのコピーというか。

赤ん坊の時には泣き、
2歳くらいで「イヤ」と言い出し、
14歳くらいでアグレッシブになり、
20歳くらいで合コンしたりしている子供。
そんな子供と付き合っている自分なんて、想像つかないな。
そういう可能性が一番強いと思うのですけどね。

まあ要するに私には子供の親になるっていう真剣な覚悟なんか、
何にもないのですよ。
私の怠惰で消極的な性格から生み出される子供なんて、
ろくなもんじゃないと思いますしね。
私のオランダ人も怠惰で消極的ですから、
二人の間に子供が生まれたら、
その子は絶対に怠惰で消極的になると思います。

でも私はそんなオランダ人と自分が一緒に住んでいるのは、
良い事かどうかはともかく、
お互いにとって幸福なことだと思っているのですよ。
なにしろ一緒に住んでいると楽なのです。
お互いの性格の欠点については、
まったくもって許しあえていけますしね。
でももし子供がいたら、
子供に迷惑かけちゃうでしょうね。
二人して。

私のオランダ人は子供の欲しくない人で、
私はだから時々冗談交じりに、

「あーあ、私は子供が欲しいのに。
 私の人生を返してくれる?」

なんて言ったりします。
すると彼はね、ごくごく冷酷な声で、

「自己選択でしょ?」

と返すのです。
私はこう言われると反射的に、何をぅ!
とムッとしますが、
でも、本当に彼の言う通りなんですよね。

子供がそんなに欲しければ、
さっさと別れて別の相手を探すチャンスはいくらでもあった訳ですし。
一人で無理やり生んじまう、というチャンスもいくらでもあった訳です。
でも私の怠惰で消極的な性格が、
いつでもそれに伴う尋常じゃない「面倒くささ」に、しり込みをしましてね。
「まあ、いっか」と寝っころがって本でも読んでいるうちに、
時間が経ってしまった訳なのですよ。

ちなみに、今でもまだ十分間に合います。
今からでも生もうと思えば生めますし、
別れて相手を探そうと思えば、意外と見つかるだろうと私は踏んでいます。
ただね。
やっぱりちょっと、
面倒くさいんですよねー。
ほら、だからもう、子供を持たないのは、
私の場合は確信犯です。

そう、自分のこの怠惰で消極的な性格でもって子供を生めば、
ちょっとした地獄を経験せずにはおられまい、と私は思います。

実際に子供を生んでしまったら、
その子供を愛さずにはいられないでしょうし、
愛してしまったら、
私は自分の人格と実力の欠落しているところ、
そのせいで子供が被る様々なデメリットについて、
とても苦しむと思います。

それよりなにより、
父親に全然向いていない私のオランダ人を、
嫌いになってしまいそうですよ。
まなじりを決して、
「どうしてあなたはそうなの???」なんて問い詰めている自分が、
目に浮かびます。
延々と友達に愚痴り続ける自分とかね。

やっぱりね、子供がいる知人やら友人やらを見ていると、
夫婦仲が悪い人たちが多いですよね。
彼らの話を聞いていると、
お互いの人格批判がやたらと本質的で、具体的で、客観的で、
骨身にしみる感じというか。
特に女の側からの男批判は、
批判というより憎しみですよね。

人が自分の彼氏の悪口をああだのこうだの言っているのを聞くのは、
人生劇場を見ている感じで割と好きなんですけど、
そこに子供がかんで来ると途端に苦しくなります。
だって、人生がかかってきて、
真剣になってくるんだもの。

ああいう風に一緒に住んでいる人間に怒りを感じていたら、
人生は苦しいだろうなあと思います。

私の子供だった頃、
私の両親の仲は最悪で、
そのおかげで兄は荒れて、
私にたいしてその怒りやら憎しみやらをぶつけてきましたし、
家庭というものがどれほど息づまるようなものだったか、
思い出すのも嫌なくらいです。
父が家から出て行ったとき、
どんなに嬉しかったか、
天井が抜けるように楽になったあの感じを今でも覚えています。

あの頃は父がすべての元凶だと思っていましたけど、
今大人になって思うのは、
それぞれがそれぞれの人格的な欠点をぶつけあって、
カオスみたいになっていたのでしょうね。
私たち子どもは両親の戦争に巻き込まれて、
母親軍について、みんなで一緒に父親を叩き潰した訳です。

大人になってそれが良い思い出になったかというと、
うーん、そうでもありませんね。

あの家族の時間、なくても良かったなと思う時がほとんど。
まあ個々の家族のメンバーは、好きなんですけどね。
ずっと一緒にいる必要なかったな、って、
思うのです。
仲の悪かった両親だけが悪いのかって、
やっぱり不仲の原因になっていたのは私たち子供だと思いますし、
誰が悪いっていう訳でもなく、
まあ、私たち一家の個々の性格が、
家族という体制にあまり向いていなかったんだと思います。

人間が一番怒りを覚えるのは、
家族に対してなんですってね。
私はそれ、わかる気がするのです。

私は時々、私のオランダ人と大喧嘩をします。
だけど、私のオランダ人はどこか私に優しくてね。
お互いひどく罵り合っている時でも、
私の気持ちを気にしながら後悔したり、手加減したり、心配したり、
そういう所がちゃんと見えるのです。
私の兄が子供の頃どんな風に私を追いつめたか、
みたいなことを考えると、
ふっと私はオランダ人が愛しくなります。

優しい人に巡り合えてよかったね、という話ではないのですよ。
彼が自分の家族に見せる超エゴな姿を見る限り、
やはり距離感の問題だと思います。
私たちは子供も共有財産もなく、
気持ちひとつでつながっている状態なものですから、
何でも言っていい、
何でもやっていい、
どうせ家族だから的なフィーリングがないのです。
私にはそれがとても楽です。

兄の事はもう嫌いじゃないんですけどね。
ただ、お互いちょっと距離が近すぎたな、と思います。
反対に私が家族の誰彼にひどかったことも山ほどありますし、
そこはもう家族ならでは、
やられてはやり返しの閉じられた世界地獄ですよ。

やっぱりね、
私は家族をつくるのはもう沢山。
距離のない人間関係は無理。
子供は要りませんよ。

皆に「子供つくらないの?」と言われる度に、
オランダ人が子供を欲しがらないから私には子供がいないんだ、
やっぱり子供をつくらないと将来が寂しく不安だ、
とかって陳腐なことをふと考えてしまうのですが、
それはやっぱり、責任転嫁であり、
あまり客観的な考え方じゃないですね。

自分で選んでこうなんでしょ?
ということを、絶対に忘れてはいけませんね。
人生における自分の境遇については、
何もかも。
そうして、自分の頭で考えて選び取った道が、
おそらく自分の性格に一番あった幸福な生き方なのだと、
思うのです。

私は怠惰で消極的に生きようと決意しているのです。
子供はその生き方に邪魔なのです。
そう結論付けた今日この頃なのでした。








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Kachika

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