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美少年

最近、オランダ語の勉強の一環として、
よくオランダの音楽を訳して動画にしているのですが、
その過程の中でベルギーの音楽に触れることが多くなりました。
これは!と思うとベルギー出身の事が多いのです。
何故でしょうね。

ベルギーにはオランダ語(フラマン語)で話す地域とフランス語を話す地域がありますから、
いずれにせよオランダ語圏の音楽を聴くわけですが、
ちょっとRの発音が強かったりして、
なんかベルギー素敵だなと思っている今日この頃です。

昨日翻訳したのは、
Banditsというボーイズグループ。
まだ15,6歳くらいの男の子たちなのですが、
彼らがアデルの「Rolling in the deep」を歌っている動画です。
英語です。

私は英語は苦手で、
今でも英語で話しかけられると緊張で目が白黒するのですが、
Banditsの魅力が一番よく出ているのがこの動画だったので、仕方ない。

まあねえ、ハンサム。
すごく綺麗な子たちなのです。
それでいて普通の感じで、
日本や韓国の子たちみたいに商品っぽくなくてね。
出で立ちに自分の意志が感じられるのがとても良いと思いました。

ま、彼らがオランダ語で自分たちの歌を歌っている動画もあったのですが、
それは結局子供っぽくてね。
あんまり聴けませんでした。
彼らが大人の女の恨み歌を歌うからいいのだなあ、と思ったり。
ちょっと萩尾望都みたいな世界になっています。



この子たちは、もうしばらく経ったら巨大化し始めて、
顔なんかどんどん変わっちゃって、
声の低いがっちりした男になっちゃうのかもしれませんが、
それはそれで楽しみだとしても、
そうなる一瞬前の儚い美しさってあるんですよねえ。









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方向

昔、私は大前研一という人の本を読んで(なんという題名だか忘れましたが)、

ほほう!なるほど!

と思ったことがあるのです。

大前研一は経済評論家で、本を何十冊も書いていますが、

昔は高速増殖炉の設計に携わっていたそうです。


私は一時、彼の本が好きでね。

だってすごく論理的で、なるほど!と思えるのです。

こちらの頭が限定的な作りなので、

彼の論旨の是非がわかるわけではないのですが、

論理の組み立て方が、

なんとなく私の頭に気持ち良い感じなのですよね。


それで、彼は原発をつくっているときに、

高速増殖炉をつくるための説明会なんかをしていたらしいのです。

私がなるほど!と思ったのは、

その時の話なのですが。


大前研一は、

集まった反対派の人々にたいして、

原発がいかに安全か、

具体的で詳細なデータを提示して説得するのですが、

反対派の人々は、

大前研一が何をどう言っても、

「嘘をつくな!隠すな!原発反対!」の一点張りだそうでね。

そのうち、反対派の一人が投げた空き缶だか卵だか(忘れちゃったけど)、

とにかく何かが大前研一の頭にコーンと当たって、

それが日立製作所を辞めて独立するきっかけになったそうです。


自分はすばらしいエリートで、

あんなとこも卒業して、こんなとこでも勉強して、

あれやってこれやって素晴らしいのに、

こんなところで締め上げられて、

言う事全部をデタラメ扱いされて、

空き缶だか卵だか投げられて、

やってられねえぜ、という感じの趣旨でした。

いや、もっとちゃんと書かれていましたけどね。


私はこれ、読んだ時にわかる気がしたのですよね。

大前研一が言ってること、わかるなって思ったのです。

この原発反対派の、何言ってもダメな空気というものがね。


何が何でも絶対反対。

原発推進派の理屈はすべて屁理屈であり、

出してくるデータはすべて嘘とねつ造であり、

「議論をしたい」と言いながら、

実は相手の言い分を聞く気はまったくないという、

そういう「正義」がね。

なんといっても私の母は、ずっと長い事「反核運動」をしていましたから。


時が経ってみると、

結果的にはやはり、

大前研一の頭に何かを投げつけた人が正しかったわけですが、

まあただ、私はこんな事態に際して、

どちらが正しかったとか正しくなかったとか、

そんな事を思っている訳ではなくてね。


やっぱりここに、

絶望的な日本人の、

「議論の不在」があるなあと思うのです。


だってそもそもは原発推進派が、

「何言ってもダメな空気」満点な人々ですからね。

何を言われようと絶対推進。

他の選択肢はあり得ず、

土下座しようと金をばら蒔こうと、

とにかく実行してしまう。

反対派にはどうせ言っても無駄なのだから、

できるだけ何も言わずに、

こっそり推進するのが常套手段で。


彼らは反対派と比べればエリートですから、

反対派が口を開く前から、言いそうなことはあらかた分かっているでしょうしね。

先回りして正面対決を避けて、

どうしても通過しなければいけない所だけ、

たとえば若い頃の大前研一のような人を派遣して、

じいっと我慢させてその場をやり過ごし、

結果的にはうやむやのまま、

50以上もの原発を作ったわけですよね。

反対派は議論の結果、誰も賛成派に回っていないのに、

なぜかぐんぐん推進していく。


日本では本当に、

「何を言っても無駄」な空気が充満していて、

どちら側の人も、物を言う事を最初からあきらめて、

逆に言えば説得される可能性を最初から拒否して、

それがこんな風に孤独感や絶望感や希望のなさを生み出しているのではないか、

と思うのです。


私はロシアの演劇大学にいる頃、

本当によく思ったのが、

私って本当に頭が悪いなあ

ということでした。

鏡に向かってね、よく、

「あー、バカだねえ」

と呟いていましたよ。


集団でひとつの創作物を仕上げるのが演劇で、

ひとつの舞台には様々な人間が関わるわけですが、

他人のアイデアがあって、

自分のアイデアがあって、

それがまったく相反するようなものであった場合、

もしくはまったくこちらの発想にはないアイデアや、

まったく趣味や主張の違うものがテーマに選ばれた場合、

いずれにせよ一緒に創りあげていかざるを得ないのに、

私はしばしばそれが出来なかったのです。


自分の考えに固執して、

相手の言う事を否定して、

意見が通らないと、

「私にはあなたの言ってることに賛成できないから」

「あなたの考えなんだから」と相手に丸投げ。

練習中はぐずぐず足を引っ張って、

失敗すると、

「だから言ったのに・・・」


ただ、それで良いと思っていたのは最初だけです。

ロシア人の学生の、

自分よりもずっと若い子供たちが、

例えば自分とは全然違う私の意見に、

「それどういう事?」

とちゃんと耳を傾け、納得すると、

「ああ、なるほど!そうかもね!」

とすらっと同意し、

「それじゃあさ、ここはこうしたら面白いんじゃない?」

「それなら、ここはこうしてみようよ?」

と私の考えに沿って自分のアイデアをつけ加え、

その結果物事の進行が非常にスムーズで早く、

出来上がりも最初のアイデアより三倍増しで良くなっていくのをみるにつけ、

私にはどうしてこれが出来ないのだろうかと、

本当に苦しんだものでした。


私の言う頭の良し悪しとは、この事です。

要するに、

自分と異なるものに対する、理解力というか。

そうして、いったん合意ができたら、

自分の最初の立ち位置がどうであれ、

その方向性のなかで、能動的に考える柔軟性というか。

「自分はそっちに行きたくなかった」という地点でずっと止まって、

ずるずると反対派の進行を遅らせるのは、

私がわりとやりがちなことですが、

そして今の日本の政治家・官僚がお互い同士やっていることですが、

演劇大学で私が学んだことは、

それでは良い芝居は出来上がらない

ということなのでした。


原発をすべて放棄するか、

それとも経済のために推進するか。

そういう議論のなかで、

誰が責任を取るのか、ということには、

実はほとんど意味がないような気がします。

だっていざ事故が起こったら、

この生身の人間一個に責任なんか取れっこないし、

どうせ連帯責任になるんだもの。

事故が起こった前後に東北辺りで生まれた子供は、

ゼロ歳の時点ですでに詰め腹を切らされるわけで、

それは正しいか正しくないかで言えば正しくないのでしょうけれども、

そうなってしまっているのだから、仕方がない。


私は高速増殖炉に携わっていた大前研一、

その後も著書の中でたびたび原発を絶対否定することのバカバカしさに言及していた彼が、

そのことで責任を取るべきだとは考えていないし、

もし原発がすべて廃炉になって、

産業が衰退して日本が三流国みたいになっても、

山本太郎が責任を取るべきだとは思わないのです。

大前研一の著書に、一時期共感を寄せていた私に、

責任があるとも思わない。

責任というのは、そんな戦犯追及裁判のようなものではなく、

目の前にある物事・人々にたいして、

自分がどうベストを尽くすのかという事だと思うのです。


それに、もう一度言うけれど、

責任なんか取れっこないし、

どうせ連帯責任になるんだから。


ただ思うのは、

方向性が定まるまで、

自分を「何言っても無駄」な人間にしないで、

説得の余地のある人間、

合意のできる人間でありたいという事です。


議論はいくらでもすればいいけれども、

いつまでたっても合意のない議論は、

結局無意味なのだ、ということ。


原発再稼働には、

今のところ私は絶対的に反対です。

でも、

それを必要だと思う人の意見は傾聴に値すると思うし、

説得される余地は残しておくべきだと思う。

もし納得できなくても、

納得した人が多くて再稼働されてしまったら、

その方向性の中で、最善の道をさぐるべきだと思うのです。


原発推進派も、反対派に対して、

そうであってほしいと、心から思います。


演劇学校で学んだことは大変多いのですが、

そのうちの一つは、

「必ず上演日はやってくる」と言うことです。

だから、どんなに賛成できなくても、

かならず初日までに自分を変えなくてはいけない。

上演に漕ぎつけない劇は、

どんなに良くても意味がないのです。

誰かが丸投げして責任放棄している舞台はすぐにわかるし、

結局面白くない。

大体、「あなたのせいだからね!」と舞台に立っても、

「下手」だの「つまらない」だの言われるのは自分ですしね。


要するに、どこかの地点で、

同意・合意・協調して共同作業できない集団は、

板の上には乗れないと言うことです。


つくづく、日本人はもっと「話し合いの仕方」を知らないといけないと思います。

敵味方じゃなくて、ひとつのお芝居をつくっているだけなんだということを、

協力して良い芝居にしなくてはいけないんだということを、

自覚するべきなのだと思うのです。


まあ、原発だのなんだのいうのは、

お芝居と言ってしまうには、

重すぎる現実でありますが。




パパ


ステフ・ボスの父親にささげる歌を訳してみました。

私のオランダ人の推薦曲。
初めて聞いたときは
「ダセエな!」
と思いまして、
やっぱりこのオランダ人は随分年上だから、
聴く音楽も渋いなあ、と感慨を深くしましたが、
訳している途中で若干泣きそうになりました。
いや、正確に言えば、
泣きました。
そのくらいの感動曲。
「父の日」とかに聞きたいですね。



本当は、皆から父親の写真を集めて、
感動的な動画を作っちゃおうかなと思ったのですが、
写真をくれそうな人がいなかったし、
YouTubeでこのPapaの動画を見てみたら、
写真が使われている動画はすべて、
父親の葬式で流された動画っぽいことが判明し、
あ、ちょっと、そういう感じになっちゃうのかな、
とひかえました。

面白いのは、
ステフ・ボスと父親との葛藤の根本は、
宗教観みたいだということです。
キリスト教社会において、
信じるか、信じないかということは、
やはり結構大きい事なのだなと感じます。

もっとも宗教というのは結局イデオロギーな訳だから、
違う思想を持ったもっとも近しい者と考えれば、
日本の親子と変わらないかもしれませんが。

無神論者だということで、
「お前は天国にはいけないぞ!」
「どうしてお前は教会に行かないんだ!」
「不信心者は地獄だ!」
と言われ続けてうんざりしているステフ・ボスが、
「じゃ、死んだらもう会えませんね」
とばっさり切り捨て、
茶化しつつ、
そのやり取りのなかで父親にそっくりの自分を発見する。
そしてそれが、
いつか去りゆく者への哀惜の歌へと変わるわけです。
日本の現代の親子はもうちょっと婉曲かもしれませんが、
頑固者の多いオランダでは割とリアルな親子関係かもしれません。

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