年より若く見える

この間、年より若く見える という記事をアップしたのですが。


普段、人の話なんか半分位しか聞いていなくて、

言葉よりも雰囲気で人を判断し、

どっちみち話す言葉のなかにはその人の真実の半分以下しか含まれていないと、

はなっから決めているわけで、

だから言葉尻をとらえて人につっかかっていったりする人を、

バカなんじゃないの

と常日頃思っている私なのですが。


だから、

「年よりも若く見える」という、

なんの悪気もないごく普通の言葉にひっかかった自分が、

なぜなのかなあと自分でも思うわけです。

で、二三日ちらっちらっと考えて、思ったのですけど。

多分ねえ、これ、

私自身が年のとりかたを探しているところだからでしょうね。


私もこの夏にまたひとつ年をとりまして、

もう立派な中年女性なわけです。

で、子供もいないし、結婚もしていないし、

まあ同棲はしてますけどね、

いってみれば家庭人ではないのです。

仕事といっても、生涯かけてこの道一筋みたいには考えていませんしね。

自分はどういう人間なのだろうと考えてみるのですが、

なかなかよく分かりません。

でもこのままで幸せだし、自分のことも好きなので、

別に変わろうとか、そういう風には思っていないのですけどね。

ただいつも気になるのは、

こういう生き方をしていて、どういう老いかたをしていくのだろうな

ということです。


私はよく人から「若く見える」といわれます。

年令よりずっと若く見えるらしいのですね。

外人からは「10代だと思った」といわれたりしますし、

日本人からも「20代にしか見えない」といわれます。

ただね、そう言われるために、

私は何の努力もしていないのです。

どうしてそんなに若く見えるの?

という質問には、

親のDNAと、それから先進国に住んでいて栄養過多だから・・・・

としか答えようがないわけです。


特にここ最近は稼ぎが少ないおかげで、

一番安いシャンプーとコンディショナー、

誰かから「いらないから」ともらった化粧水を使い、

それ以外のケアは一切しておらず、

走るでもなく体操をするでもなく、

食べ物にも一切気を使わず、

オランダ人のメタボ彼氏と共にジャンクと脂を大食する毎日です。

でも、肌の状態は、別に悪くないのです。

髪の毛だって、しょっちゅう誉められるんですよ。

鏡を見て、我ながら若いと思いますし、

ぽっちゃりしてはいるけれど、かといって病的な太り方ではありませんしね。


けれどもね、

そんな私でも、そんな私だからこそ、

自然の摂理が本気を出し始めたら、

あっという間に老け込むだろうなと思うのです。

だって本当に何にも努力していないもの。


そうして、これが実はすごく大切なことですが、

私は、努力したくないのです。

いえね、努力する気はあるのですが、

三十年を優に越えた(←あえて年令をぼかす)自分とのつきあいのなかから、

私は努力ができない人間だ

ということを、もう肌身にしみるようにして知っているわけです。

毎日走るとか、

食事制限とか、

そういうことを計画するのは大好きですけど、

実行に移した途端に苦痛でたまらなくなる人間ですよ。

ダイエットだって、色々研究してはみるものの、

成功した自分をみたことがない。

つまり、ストイックじゃないんですね。


で、そんな自分を根本から矯正して、不断の努力をするくらいなら、

私は別に老けても自分のままでいいと思っているのです。

自然に、のんびり生きて、その結果正真正銘のばあさんになるなら、

それでいいとね。


で、ここで話の最初に戻るのですが、

かといって、

正真正銘のばあさんになった自分が、

周りのみんなから、

「あの人、本当に年を取ったよね。おばあさんみたい。

 かわいそう

と言われるのは、いやなの。

これは微妙な女心ですね。

いや、男女を越えた人間としての普遍的な感情の機微かもしれません。

男性のハゲだって、

セクシー という言われ方と、

かわいそう という言われ方と、二通り(まあもっとあるかな)あるわけですが、

実際問題、ハゲはハゲでしょう。

でも、可哀想といわれた途端に、

はげるのが本当に怖くなりませんか。


で、私は、

ばあさんになるのはかまわない。

でも、世間がばあさんを負の存在としてとらえているのはどうにも解せない。

という立場なのだろうと思います。

いや、勝手な話ですけどね。バカですよ。

でも、やっぱり人間の幸福の話というのは、

勝手でバカなものなのだろうと思うのです。


二十五を越えたあたりから、

私はずうっと、どんな中年女・老婦人になったらよかろうかと、

不断の思考を続けているわけですが、

未だに答えが出せないでいます。

で、理想としては、

「おおい、ばあさんや」と呼ばれたときに、

何のてらいもなく、

「はいはい」と出てくるタイプなのですが、

その時に周りが、

「あ、この人、ばあさんなんて呼ばれてる・・・」

と思うのはNGなのです。

そう、つまり、自分だけが「これが理想だ」なんて勝手なことをいっていても、

周囲がそう思っていなければ、

それは自分が見えていない本当にかわいそうな人というだけですし。

周囲も自分もばあさんを肯定的に受容しなければならない

ここから問題は社会的な色合いを帯びてくるわけですけれども(笑)。


だからね、私の気に入っているあの微妙な年頃の女性が、

「きれいなおばあさん」であるか、

「年にしては若い」女性であるかは、

私にとってはやはり重要なことなのです。


私はやっぱり、あの人みたいな年の取り方をしたいなあと、

思っているのだろうと思います。

なんていうの、自分の実年齢(自分自身)を努力によって遠ざけて、

あるべき姿からできるだけ遠くに逃げるんじゃなくて、

自分らしく好きなように生きてばあさんくさくなって、

それがそれなりに目に心地よい人間という結果としてあらわれている、というようなね。


そういえば、この間死んでしまった私のおばあさんが、

昔、郵便配達のおじさんに「おばあちゃん」と呼ばれたといって怒っていたっけ。

もう七十を過ぎていた頃だと思いますけどね。

母が吹きだして、

「じゃあ何て呼べばいいの」と聞いたら、自分も吹きだして、

「奥様よ!」と言ってましたっけ。

そういうのは好きですけどね。


でも、どういう風に生きていけばいいんだろうな、

どういう人間になれればベストかな、と思いながら、

ずっと生きているわけですけど、

わからないものなんですよねえ。





























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火星の暮らし



この感じ・・・
私の弟が野良仕事をしすぎて、こんなにも黒くなったのかと思った(笑)
似てるのよ!雰囲気が。
このぐだぐだの歌とか、赤い服とか、
ちょっと引きで入るミキサーのおじさんも含めて。

年より若く見える

私はいまやっている仕事柄、わりと自分よりも年上の人とつきあうことが多いのですが。

そのなかで、ひとり、すごく好きな人がいるのです。

六十歳ちかい(であろう)女の人なのですが。

飄々としていて、無駄なところが身体になくて、

でも精神は無駄なところにあふれていて、

口をきけば面白くて、口調はきついけど全然圧迫感もないし、

やさしくて清らかな人でね。

大好きなわけです。


で、この間、この人のことを共通の知り合いと話していて、

私がふと、

「あの人は本当にきれいですね」と言ったのです。

そうしたら、この知り合いが、

「そうそう、年より若く見えるしね」

というのです。


そこで私は首をひねっちゃったんですよね。

年より若く見えるかな?

・・・いや、むしろ老けているんですよ。

しゃれた格好をしているけど、顔なんかシワだらけだしね。

態度や雰囲気なんかも、むしろじいさんみたいで、

若い女らしいところはないしね。


で、いったわけです。

「若く見えますかねえ?

 いや、結構年相応じゃないですか?

 でもきれいなんですよね。

 綺麗なおばあさんっていう感じ」


で、私がこの「綺麗なおばあさん」ってフレーズを口にのせた瞬間の、

知り合いの表情がねえ。

あ、私、いまあの人のことを侮辱しちゃった?

て思うような感じでね。

「・・・まあ、実際孫もいるからねえ」と、

知り合いはフォローするように言うのです。

知り合いもやっぱりその人が好きなのです。

だからね、言わなきゃよかったなあ、

そうですね、若く見えますよねって適当に流しておきゃよかったな

なんて家路にたどりつつ考えたのですが。


まあね、六十歳なんていうと、現代ではまだまだおばあさんっていう年じゃないのかな。


でも、年をとっている=悪い

   老ける=かわいそう

みたいな価値観て、みんなどうなんだろう、

年を取るのがこわくならないのかな。


女が四十になったり五十になったり六十になったりして、

身体なんかも年と共に衰えてくるのは自然の摂理で、

決して悪いことじゃないのに。

その摂理と無理に闘わないでいることは、

つまりは老けて、シワだらけになって、

言動が若者と違ってくることは、

かわいそうで、美しくなくて、惨めなことなんだろうか。

おばさんにしろ、おばあさんにしろ、

人間社会のなかの役割というか立場のひとつで、

そういわれてもおかしくない年令になった女たちが、

ずっと若い女の地位に君臨しているほうが、

むしろおかしいと思うのです。

若くなくても、きれいな人はいるし、

骨董品みたいな美しさはあると思うのですけどねえ。


黒木瞳とか森光子みたいに、

寄る年波にたいして絶対的な抵抗を試みて、

若い美貌の維持にある程度成功している人はストイックで立派ですけど、

まあ負け戦の英雄みたいで、

私からみれば一種の悲壮感がありますよ。


そんなこというと、

そろそろおばちゃんになりかけている私の負け惜しみみたいだけれど、

私は本当に、時が来たらいいおばさんになりたいし、

いいおばあさんになりたいのです。

いつまでも男に(性的に)相手にされていなくては惨めかっていうと、

そんなことはないわけでね。


おばあさんっていう言葉のなかに、

反射的に毒を見出すような社会はおかしい!

これは断じてね。

オカシイ!オカシイヨ!

私は旗を振って国会議事堂の前でデモでもはりたい気分ですよ。

化粧品業界・エステティック美容整形業界・ファッション業界などを片っ端から告発したい気分です。

「美」というものを、イコール「若さ」みたいなことにして、

そういうくだらない誤解を社会に浸透させたのは、

売らんかな、売らんかなの商売人たちですから。


そのことによって、あの人に伝えたいです。


あのー、悪気はなかったんですよ。


てことをね。





人はなんで生きるか

この間、インターネットの掲示板を通じて、
本を30冊くらい買いました。
そのなかにトルストイの『人は何で生きるか』(中村白葉)があったのですが、
岩波文庫のストイックな表紙に、
なにか拒まれているような雰囲気を感じてね。
ひと月以上も放っておいて、
一昨日やっと手をつけたわけですけれども。

読んだらこれがまた結構、面白かったです。
人間の魂や人生や、それからやっぱり神様みたいなことについて、
いろいろ考えさせられました。

トルストイにはエネルギー過多みたいなところがあって、
おなじエネルギー過多でも、
ドストエフスキーみたいに人間的におかしい部分でガス抜きをさせてくれないところがあるから、
まっとうな人間のつきせぬエネルギーというか、
超大声で正論を吐くみたいなところに、
若い頃は気持ち負けしていたものですが。

で、その表題作 『人はなんで生きるか』のなかに、
(ちなみに「なんで生きるか」の「なんで」は、どうして、ではなくて、何をもってして、ということです)

親はなくとも子は育つ。が、神がなくては生きてゆけぬ

という言葉が出てくるのです。
母親をなくした双子をひきとった女の人の逸話で出てくるのですが、
その言葉に、
私はなんだか、とても納得したのでした。


神さまというのはこの場合、キリストとか仏陀とか、
そういうスーパーな力を持った選ばれし個人のことではなく、
われわれ個々の人間の心にある、一種神様みたいなところのことです。
トルストイ的に言うと(というかキリスト教的に言うと)、
それは『愛』ということになります。
愛だなんていうと大げさすぎて日本人はアレルギーを起こしますけど、
要は人間に対する好意、寛容、理解、共感、差し伸べる手とか、
そういうことだと思うのです。

子供二人を家に閉じ込めて、
ずっと帰らないで餓死させた母親とか、
125歳のお年よりは30年前にもう死んでいたとか、
そういうことが起こるたびに、
私はどうしても行政や政府や、
そういうものに解決を求めてしまうのですが、
本当に本当のことを言えば、
自分を含めた周りの人間の心に神さまがいれば、
救えたはずなのかもしれないですよね。

行政とか、役所とか、システムとか、
私はいっつもそんなもののせいにするけれど、
隣にいる人間の心以外のところに神さまを宿らせることは、
本来的に無理なのではないか。
そう思いました。
そんなこと考えたこともなかったけど。
さすがトルストイですよね。
人生の指針になるに足る文豪です。

母親が子供みたいな顔をした23歳の風俗嬢で、
なにもかもほっぽらかして男と遊んでいたなら、
どちらにしても、子供はまともに育たないと思うのですよ。
餓死しないまでもね。
児童相談所と母親のところを行ったり来たり、
ぐれてとんでもないモンスターに育ってね。

でも、あの子供たちの運がすごく良くて、
周囲にひとり神様みたいな人がいたら、
母親なんかいなくても育ったかもしれない。
インターフォン越しに叫ぶ声をちゃんと耳にとめて、
助けて、面倒をみてくれる人がいたならば、
死ななくてすんだかもしれないし、
苦労しているだけに、ちゃんと人に同情心のある、
人の役にたつ子が育ったかもしれません。

老人問題しかり。
年金なんかなくても、家族なんかいなくても、
周囲にひとり神様みたいな人がいたら、
お年よりはちゃんと尊厳をもって死んでいけたのかもしれない。

オランダでは現在右翼とムスリムの闘争が進行中で、
右翼はムスリムをオランダから追放しようとするし、
ムスリムはお返しに右翼のリーダーの首をはねるべし(物理的に)と声明を出すし、
お互いにらみ合って大変ですけど、
これも両方の陣営にひとりづつ神様がいれば、
両方が共存できるのかもしれない。

どこでもかしこでも、
神様みたいな人がひとりいるだけで、
そこを取り巻く世界は激変するのかもしれません。
あとは自分が、その神様みたいな人間を目指すかどうかということだけで。

人間が神さまみたいじゃないことは、
誰も責められはしないけれど、
でももしも人間の四割くらいが神さまみたいに生きられたら、
助かる人はずいぶんいるんだろうな。

私は考えてみればすごく幸運で、
人生の要所・要所で、
神様みたいに良くしてくれる人にずいぶん会ってきて、
それで何とか首をつなげて生きてきたみたいなものです。
でも自分自身が他人に神様みたいに親切にしたことって、
そんなにないんですよねえ。
というか、ぶっちゃけ全然ないんですよね!
だからやっぱり、日本の空気が悪いのは、
行政の前に自分も悪いんだなと思ったり。

まあ、日本やオランダはそれでも神様的な人が多いから、
暗い世相なんていいながらもこんなもので済んでいる側面はあると思いますけどね。

そういえば、今日、こんな記事を読みましたが、
おいおい、フツ族・ツチ族はまだやってんのか!とびっくりでした。
やっぱりねえ、そこに生まれちゃった不幸ってあるなあと、
24世紀くらいになったらそういうものは消えてなくなるのかなあと、
思ったり・・・

 アフリカ中部のコンゴ(旧ザイール)で、240人余りの女性や子供が武装勢力の兵士に集団レイプされる事件があり、犯行に及んだとされるルワンダの反政府武装勢力「ルワンダ解放民主軍(FDLR)」の指導者らを国際刑事裁判所(ICC)で裁くべきだとの声が上がっている。また、現場からそう遠くない場所に駐留していながら、犯行を止められなかった国連平和維持活動(PKO)の国連コンゴ安定化ミッション(MONUSCO)にも非難が集中している。

(産経新聞)


ルワンダといえばホテル・ルワンダですが、
この最後に流れる歌がとても印象的だったのを覚えています。

この歌の中でも、
最終的に問題になっているのは「神さま」なんですよね。




良い歌なので、ちょっと訳してみました。

Wyclef Jean - Million Voices

(アフリカンコーラス)
-----------------------------------
Ni ryari izuba, Rizagaruka, Hejuru yacu,
Ni nd' uzaricyeza ricyeza.

[When will the sun return above us?] 
いつ太陽はわたしたちの上に戻ってくるだろう?
[Who will reveal it once again to us?]
誰がそれをもう一度わたしたちに見せてくれるのだろう?
-----------------------------------

Rwanda, Rwanda、
ルワンダ、ルワンダ、
Yeah Rwanda, Rwanda.
Yeah ルワンダ、ルワンダ
They said: "Many are called and few are chosen,"
「招かれる者は多くとも選ばれる者は少ない」という
But I wish some wasn’t chosen
誰も選ばれなければよかったのだ
for the blood spilling of Rwanda.
ルワンダの流す血に

They said: "Meshach, Shadrack and Abednego,
「メシャク、シャドラク、アベドネゴよ、
Thrown in the fire but you never get burned,"
火に身を投じても汝らは決して焼かれず」という
but I wish that I didn't get burned in Rwanda.
ルワンダでも焼かれなければよかったのに

They said: "The man is judged according to his works,"
「人は成し遂げたことで判断される」という
so tell me Africa, what’s your worth?
それならアフリカよ、なにがあなたの価値なのか?

There’s no money, no diamonds, no fortunes
金も、ダイヤモンドも、財宝も
on this planet that can replace Rwanda…
この地上でルワンダに代えられるものなどない

Rwanda Rwanda
ルワンダ、ルワンダ
Yeah, Rwanda Rwanda
Yeah ルワンダ、ルワンダ

These are the cry of the children
これは子供たちの叫びだ
Rwanda Rwanda
ルワンダ、ルワンダ
Anybody hear my cry?
誰かこの叫びを聞いているか

If America, is the United States of America,
アメリカだったら、それはアメリカ合衆国じゃないか
Then why can’t Africa, be the United States of Africa?
それならどうしてアフリカはアフリカ合衆国になれないのだろう
And if England, is the United Kingdom,
もしイギリスなら、連合王国だ
Then why can’t Africa unite all the kingdoms
ならばなぜアフリカはすべての王国を統べ
and become United Kingdom of Africa?
アフリカ連合王国になれないのだ
Rwanda Rwanda, Rwanda Rwanda
ルワンダ、ルワンダ、ルワンダ、ルワンダ
Yeah, yeah.

These are the cries of the children, yeah.
これは子供たちの叫びだ
Can anybody out there hear our cries?
誰かこの叫びを聞き届けてはくれないのか

Yeah, heavens cry ... Jesus cry.
天国が泣いている ・・・神さまが泣いている

Lord, did you hear us calling you?
主よ、あなたを呼ぶ声は聞こえたのか
Yeah, Rwanda Rwanda,
ルワンダ、ルワンダ

Lord, did you hear us calling?
主よ、呼び声は聞こえたのか
Can you do something in Rwanda?
ルワンダをなんとかしてくれないのか

Rwanda Rwanda, Rwanda Rwanda
ルワンダ、ルワンダ、ルワンダ、ルワンダ
I’m talkin' 'bout Jesus; talkin' 'bout
神さまのことだ、神さまのことを言っているんだ
Rwanda Rwanda Rwanda
ルワンダ、ルワンダ、ルワンダ
Talkin' 'bout … talk'n 'bout ...
いいたいのは、いいたいことは

Talkin' 'bout … talk'n 'bout ... talk'n 'bout ...

I wanna play my guitar for Rwanda....
僕はルワンダのためにギターを弾きたい
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Kachika

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