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天国はどこかにある

日本に帰ってきて、ようやく一週間がたちました。


昨日、仕事へ行くために駅のほうへ歩いていったら、

突然、隣から、


「俺のせいにするなよっ


という小さな声が聞こえました。

横を見ると、中学生か高校1年生くらいの、制服を着た男の子が、

背中を丸めながら歩いているのです。

最初携帯かな、と思ったのですが、

ポケットに両手を突っ込んでいるし、違うようです。

どうやら何か考えているうちに、

思わず声が出てしまったようでした。


私がびっくりして彼のほうを見たものだから、

男の子は足を速めて、

ぐんぐん先に行って、やがて駅の中に吸い込まれてしまったわけですが。


のりみたいに真っ黒な硬そうなボサボサ頭と、

ちょっと貧相な顔立ちと、

まだ子供みたいなやせた背中のコントラストが、

ああ、こりゃどうにもさえない子供なんだなあという感じを非常に強くかもし出していて、

なんだか可哀想になりましたね。

考えているうちに夢中になって、

つい声に出してしまうくらい、

いやなことが沢山あるんじゃないかしら。

「おれのせいにするなよっ」

といった彼の口調は、威嚇すると同時に怖がってもいるようで、

大人に向かって発せられたものではないような感じがしました。


私が神様だったら、

ふうっと息を吹きかけて、

ジャマイカとかタイとか、

とりあえずそういう天国っぽい場所に彼を吹き飛ばして、

ロケーションを変えてあげるのに。

やっぱりねえ、だめなところに長くいちゃダメ。

ダメなところは、いつまでいても、良くならないから。


日本人は伝統的な考え方がストイックだから、

厳しい状況というものが子供の目の前にあった場合、

その状況を変える子供を育てるのではなくて、

その状況に耐え得る子供を育てる方向に、

発想が向かうのだと思います。


でも、性質を変えるなんて簡単なことじゃないから、

そのうちに5年も10年も楽しいはずの子供時代が過ぎてしまって、

我慢だけして大人になって、

人を信用できない、事なかれ主義の、冗談のつまらない人間になってしまう。


あの男の子が、そのうち、

目立たず、人の心をいらだたせず、

空気を読んで、

うまいこと問題回避するコツを身に着けることは確かだろうと思います。

いったん集団のルールを身に着ければ、

内戦があるわけじゃなし、

日本でやっていくこと自体はそれほど難しいことではありません。

でも、それはあの男の子にとって、よいことなのだろうか。

やっぱり、ジャマイカに吹き飛んでいって、

あっちのほうで苦労して、

面白い人になってほしいなあ。

子供は頑張らなくちゃいけませんけど、

でも無駄な分野でがんばる事はないのです。

陰湿な人間関係に耐えるより、

もっと頑張り甲斐のあることはいっぱいあると、

つくづく思ったことでした。


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日本に帰ってきた

なんと、日本に帰ってきました。

いやー、遠かったー。


ひさしぶりの日本は暑いです。

何ともいえず、暑いです。

何ともいえず、心地が良いです。

半袖で一日中過ごせるというのは、

もう本当に神さまのおかげですね。

やっぱりオランダは寒かったんだなあ。


久しぶりに会う母と弟と兄も、

全然変わってなくて、元気そうで、

それぞれちゃんとやっていて良かった。

一緒に暮らすのは楽しいですねえ、やっぱり。

家族の近くに住めればいいのに。

いつでも会える距離にいたら、それは本当に最高ですよね。


久しぶりの日本は、

やっぱり洒落たものや美味しいものが沢山あって、

言葉も通じるものだから、

お金もないのに、色々な細かいものを、必要もないのに買ってしまいます。

だって可愛いものや綺麗なものがいっぱいで、

欲しかったものが欲しかったような形態であるし、

やっぱり日本は物質天国ですね。

オランダでは、何一つ欲しいものがなかった、

というか、あっても見つかりやしなかった私ですが、

こちらではもう、ざっくざく。

日本に住んでいる人は、お金がいくらあっても足りないでしょうね。

母の家だって、ロッテルダムのスラム街の我が家に比べると、

なんだか洒落ていて、ヨーロッパ風のものがたくさんあります。

ロッテルダムのほうがヨーロッパ風であるべきだと思うのですが(笑)。


なんだか、オランダって全体の空気がジャスコみたいだったんだなあと、

しみじみ思いました。

それでいて、値段だけはね。一丁前にね。高いからね。

日本と同じ位しますからね、やっぱり。

何にも欲しくなくて、

ほぼ一年の間、何も買い物をしませんでしたが、

それでも全然平気だったのです。

日本に来た途端、欲しいものの嵐。

今まで平気で着ていた、ダサくもあり、ぼろくもある己の衣服が、

急に恥ずかしくなったりしました。


でも、それってやっぱり、危険だなあ。

いらないものばっかり売っているのも確かなことで、

日本のウサギ小屋でヨーロッパ風の小物はどこかそぐわないというのも、確かなことです。

日本人はおしゃれで綺麗な服を着てるけど、

なんだかそのおしゃれが、着ている人のことをちっとも感じ良くしていないと思いますし。

東京にいると、そんな本質的なことよりも、

なんだか、生活に上質だとか美だとかを追求しない自分が、

そこにお金をかけない自分が、とたんに恥ずかしくなってきます。

セレブじゃない自分を恥じてしまうのです。

これはね、作戦ですよ。国家的な、作戦です。


まあだからって、

日本人はぼろを着て農耕をしていればよいと思っているわけじゃないんですけどね。

やっぱり綺麗なものやかわいいものに囲まれていると、

穏やかで優しい気持ちになりますし。


そんなこんなで、日本の物質主義的な一面に、

今のところ魅了されています。

まあ、そうはいっても、ひと月しか滞在しないし、

そのうちの三分の二は仕事しているわけですから、

買い物している時間もそんなにないと思うのです。

かえって良かったなあと思っています。


だ、れ、か私をとめーてーよ

おさえつけてあの木に縛るの


というCoccoの歌がありますが、

あんな感じですね。

このままでいったら、いくら遣っちゃうのかしら!








33 3/1 動画発見

ロシアの素敵バンド、Нетслов(ネットスローフ=無言)というバンドの曲を、

以前翻訳して紹介したことがありました。

ただその時には良い音源がなかなか見つからなくて、

ロシア語のわからない人でリンク先から音源が聴取できた人っていたのかしら。


ところで今回、YouTubeでネットスローフがテレビ出演している映像を発見。

しかも「33 3/1」を歌っています。

やっぱりしぶい。格好いい。

小さな目が非常にセクシーです。


ということで、


こちらから「33 3/1」が聴けます。


おれたちは黙って 黙っていた こんなにも長く
- おれたちの横を川が流れた
おれたちは立ち尽くし 音に耳をすませた 
- 音は遠くから聞こえた
幾年も 1隻の船もなく 一人の釣り人もいない
ただ黒く 冷たい水、 水は深かった

33と3分の1- 天空の嵐の目のなか
人生の時間はぐるぐると流れる ー これは見ものだ
33と3分の1-ひっきりなしに電話番号も変わる
愛した人の顔さえ 記憶から薄れてゆく 
- それを惜しむのは愚かなことなんだろう

33と3分の1-1段目は役目を終えて燃えた
もう地上ではなく だけどまだ空じゃない 
- 33と3分の1
目を閉じた、 1秒前、 そのとき俺は8つか9つ
誰もが3時間ごとにギターを弾いたし 
どの部屋にも詩人が住んでいたもんだ

おれたちは黙って 黙っていた かくも長く
- おれたちの横を川が流れた
おれたちは立ち尽くし 音に耳をすませた 
- 音は遠くから聞こえた
幾年も 1隻の船もなく 一人の釣り人もいない
ただ黒く 冷たい水、 水は深かった

33年と3分の1は 豪華なフライトみたいに進む
やつらと一緒なのは誰だ、まさかおれか?
写真はあまりにもはっきりしない
33と3分の1 -そうだね、足なんか気にせず走ってきた
落ちたやつもいるし 果たせなかったやつもいる
旋回したかったのに 燃えてしまった

おれたちは黙って 黙っていた もうずっと
- おれたちの横を川が流れた
おれたちは立ち尽くし 音に耳をすませた 
- 音は遠くから聞こえた
幾年も 1隻の船もなく 一人の釣り人もいない
ただ黒く 冷たい水、 水は深かった


気が狂った人

最近、「シャルダム・サーカス」というハルムスの戯曲を、

新しくHPにアップしました。

これは、実際に上演もされている、子供用の人形劇です。


ところでこの戯曲の中に、

こういう会話が出てきます。


ヴァーニャ。  どういう事?

団長。     どういう事かと申しますと、彼女が檻から逃げてしまったのです。

ヴァーニャ。  てことは、彼女、電波系ですか?

この「電波系」というのは、

もちろん単に私がそう訳したというだけで、

原文は


Ваня. Значит, она сумасшедшая ?


というものです。

このсумасшедшаяは、「気の狂った女」という意味で、

私は最初 


「てことは彼女、キチガイですか?」


と訳しました。

そうして全部訳し終わって読み直しているときに、ふと、思ったのです。


そういえば、「キチガイ」って、使っちゃいけない言葉だっけ?


そこから、ちょっと悩んでしまいましてねえ。

まあ私の翻訳は、まったくもって趣味でやっているもので、

出版される予定もまったくないのですから、

別に好きなように訳したってかまわないだろうと思いますし、

第一、そんなに大勢の人が見るわけじゃなく、

苦情なんか絶対来ないことはわかっているのです。


ただ、公の出版物に「キチガイ」という言葉があってはいけないということは、

もしかしたら、

文章の最初は必ずひとマス開けなくちゃいけないのと同じ、

ルールなのかもしれないな、とふと思ったのです。


出版社が「キチガイ」という言葉をなるべく避けるのは、

おそらくそれまでに、「キチガイ」と呼ばれる側の人から、

そういうことは言わないでほしい、という要望があったからかもしれませんし、

精神を病んでいる人は自分で自分をキチガイと思っていないにしても、

家族は彼が「キチガイ」と呼ばれることにたいして非常に傷つく、ということはあるのかもしれません。

あえて芸術として、扇情的な言葉を使用する場合は別ですが、

特にそこに思想なり意図がない場合は、

なるべく差別的表現とされている言葉は避けたほうがいいのかな、

それが翻訳者としての一般的な常識かしら。

などとおもったり。


だけど、この「キチガイ」に変わる言葉って、あまりないですよね。

なんと訳したらいいのでしょう。

私はこの「キチガイ」という言葉のニュアンスが、

ちょっと古典的な感じがして、なおかつちょっとパンクな感じがして、好きなのです。

市井のアナーキズムというかね。

それでいて「キ印」とか「左巻き」みたいな砕けすぎた感じはしないし、

「キグルイ」はちょっと暴力的だし、

「精神病者」「精神病患者」とかいうのは、会話に出てくるには立派過ぎるし、

「精神を病んだ人」「頭のおかしい人」はくどいし。

簡潔にスカッと、言いたいのに。


「ということは、彼女、気が狂っているんですか?」


が普通の訳だと思うけど、

なんとなくそれじゃ、

сумасшедшаяの形容名詞な感じが出ないというか、

まあそんな感じどうでもいいのかもしれないけど、

やっぱり「キチガイ」のような原語とほどほどな距離感の言葉はそれほどないと思うのです。


ということで考えた挙句、

一円にもならない趣味翻訳の自由気ままさを駆使して、

「電波系」という言葉を採用しました。

ふふふ。

公の出版物のルールに従いたいとか言っておいて。

こっちのほうがひどいと思うけど。

これも、あと5年もしたら差別用語リストの仲間入りですかねえ。

まあ、そんなにポピュラーな表現として定着しないかもしれませんが。


そういえば、高校生のとき、

好きだった先生のひとりに地学の先生がいて、

大澤先生というのですが、

これがまた、恐ろしい先生でした。

私語を交わせば怒鳴られる、

居眠りすればはたかれる、

反抗すれば怒り狂うといった人でした。

でも、きちんと自分の人生に美学があって、

芯がピッと通っていて、

子供なんかに妥協してなるものかとずっと意地を張り通した挙句、

先生の間でも孤立しちゃう感じが、

私は好きでしたね。

私の兄も好きだと言っていましたから、

兄妹で好いていた先生だったわけですよ。


ところでその先生の授業というのは、

こちらに地学という学問への興味がさっぱりないのに加え、

結構専門的で高度なところまで網羅し、

チンプンカンプンな上に単調で、

まあ一言で言えば、退屈でした。


先生は居眠りしている生徒の頭は名簿で叩くので、

いつも眠り込まないように必死になっていたものですが、

ある日、やっぱり授業中に猛烈な眠気に襲われてしまったのです。

その眠気と闘っているうちに、

なぜか、私は全身をビクリッと震わせ、


「おお!」


と外人の歓声のような大声を上げてしまっていました。

自分でも何が何だか、計り知れません。

そのときちょうど先生は教科書を読みながら横を通り過ぎていましたが、

私と一緒にびくっとして、


「おっ」


と言いました(笑)。

その瞬間、あまりの恐ろしさに、さーっと眠気がひきましたよ。

でも先生は意表をつかれて、とっさに自分らしい対応ができなかったらしく、


「な、なんだテメエ、キチガイか


と言って、逃げるように授業に戻っていったのです。


これ、教育委員会かPTAに袋叩きにあってもおかしくないですけどね。

現に暴言が新聞に載っちゃう教師とか、よくいますし。


でも、私は自分に元気がないときとか、

ちょっと笑いたいときなんかには、

このときの先生のビビリがちの、

「な、なんだテメエ、キチガイか」発言を思い出します。

思い出すだけで、なんだか笑えるのです。

あの先生、やっぱり好きだったなあ。

先生のほうでも、自分が私のフェイヴァリット教師だということは知っていて、

そんなにポピュラリティを獲得できるような人ではありませんでしたから、

なるべく私の頭を張りとばしたくはなかったのかなあ、と、

勝手に思ったりもするのです。

誰でもみんな両思い(トモフスキー)ですからね。

だからやっぱり、そんな暴言を吐かれても、

むしろ武勇伝みたいな良い思い出なのですよね。


まあ、言葉というのは、つくづく、時と場所と関係性によると思いますね。

人を傷つける表現というのは、

表現の自由云々の前に、やっぱり使うべきではないと私は思うけれど、

それでも悪意から独立した言葉「だけ」で、

人を傷つけ得るとはとても思えない。

言葉そのものに悪意が本来的に備わっているわけではなくて、

人の悪意が言葉にこもれば、どんな言葉だって差別用語になるものです。

だけどまあ、そんなこと言ったって、

「キチガイ」とか「ビッコ」とか、

差別用語として有名になってしまった言葉は、

文脈と関係ないところで読者がひっかかってしまう可能性があるので、

いずれにせよ、翻訳ではもう使えないかもしれないですけどね。

ざーんねん。



Fishmansの絶望

しばらく前ですが、

私の弟が私の誕生日に、

自分のニューアルバムとフィッシュマンズの『空中キャンプ』を送ってくれました。

フィッシュマンズは弟のフェイバリットバンドなのです。


弟のニューアルバムについては、

自分の弟の事でもあるし、どうしても肩入れしてしまって、とても冷静には語れません。

やっぱり、家族の誰かが何か創造的なことをして、

それがひょんなことで形になったりすると、

家族はファンにならざるを得ませんなあ。

弟は6歳年下なので、私にとってはいつまでも小さな子供みたいなものですが、

その彼が、なんだかギターを弾いて、作曲して、ライブをして、

それをレコーディングして、歌詞を印刷して、CDにしたのだ、と考えると、

そのプロセスについて全然無知な自分がいて、

そのことにびっくり。

CDをつくるって、すごいことですよ。

偉いもんだ。

兄がね、ミキシングをしたんですって。

ミキシングって何だ。

偉いもんだ。


その兄も、今度Queersというアメリカのパンクバンドの来日コンサートの前座をするらしいですよ。

なんとねえ。

家族の誰かが何か創造的なことをして、

それがひょんなことで派手な活動に結びついたりすると、

家族はファンにならざるを得ませんなあ。

ライブは19日らしいです。

あっ!

私が日本に帰国するのは21日。

あと2日早ければー!!!

見たくて見たくてたまらないのだけれどもね。

「クィアーて言うのはホモのことだぜ」

と私の彼氏は意地悪く言うけれど、

そんなこと関係ない!

そんなこと関係ない!

おっぱっぴー。

今、これ日本で流行っているらしいですね。

私はインターネットの文字で知っているだけなのですが、

日本に帰って実物を見るのが楽しみです。


ところで、フィッシュマンズですが、

ボーカルの佐藤伸治さんが亡くなった時、

私はいくつくらいだったのかな?

とにかく非常に若かったような気がします。

当時ロッキン・オンを兄の影響でよく読んでいたのですが、

そのロッキン・オンが佐藤伸治の死の翌月に、

当時人気絶頂だったミスターチルドレン特集を組んで、

佐藤伸治についてはほんの小さなコラムで触れるにとどめていたことに、

非常な憤りを感じたのを覚えています。

ミスチルかよ!みたいなね。

ルイ・ヴィトンの広告塔になったゴルバチョフに感じるのと同等の怒りをロッキン・オンにも感じていました。

別にすごいファンというわけでもなかったのにね(笑)。

まあそこらへんが若かったのかもしれません。


弟が送ってくれた『空中キャンプ』を、

オランダ語のサマースクールに自転車で向かう道すがら、

毎日毎日聴きましたが、

昔聞いていたのと全然印象が違うのでビックリしています。

昔はキャッチーなメロディーばかりを追っていて、

虚無的な歌詞がかっこいいとばかり感じていたのですが、

あらためてこの年になって聞くと、

断片として耳に入ってくる言葉が、

これがもう、非常に、絶望的なのです。


何も変わらない毎日とか、

意味なんか何もないとか、

今にも壊れそうだとか、

彼女はいつも傍にいるけど、それはある意味ひとりぼっちだとか、

そういうメッセージに満ちているのです。


ところが、メロディーがとてもポジティブで、

絶望的でうちにうちに巻き込まれていくような歌詞が、

歌になるとなんだかとてもほのぼのというか、

何も変わらない平穏な毎日、

意味なんか知らない人生、

素敵な孤独、

みたいな、おしゃれな感じに意味が変換されていって、

それが二重・三重の意味で絶望を深めてゆくというか・・・・。

しみじみと、素で絶望している感じなのです。


あー、こりゃ長生きできないはずだなあと、

つくづく思ったのでした。

佐藤伸治という人が、

自分の音楽の中で、こういうことをどこまで意識的にやっていたのかは知りませんが、

やはりどこかで、人生にたいして失望した部分がすごくあった人なのだろうと思ったり。

詩人が短命なのは世の常ですが、

やはり人間や人生というものに、美意識を持ち続けることは、

危険なことなのかもしれません。


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