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男爵令嬢とインク壷

147 男爵令嬢とインク壷

バルボフ (クリストファー・コロンボを示しながら)クリストファー・コロンボ。
コロンボ (バルボフを示しながら)バルボフ。
バルボフ もし私の受けたしつけにご興味がおありなら、私言いますよ、言ってもいいですよ。
コロンボ ええ、ええ、どうぞおっしゃってください。
バルボフ じゃ言いますよ。何を隠すことがあるもんか。
コロンボ それはそれは、面白いですなあ!
バルボフ では言っちゃいましょう。私の受けたしつけはどんなもんか?孤児院式ですよ。
コロンボ 孤児院式。
バルボフ そら、言っちゃいかんのでしょう。
コロンボ いえ、どうぞ、どうぞ。
バルボフ 親父が私を孤児院へ送りましてね。あー。(口を開けっぱなし。クリストファーは固まってバルボフの口をじっと見つめる)。
バルボフ ちなみにね、わたしゃ売人ですよ(クリストファーはとびのく)。
コロンボ 私、私が面白いといったのは、ただ単に、あなたのその・・・あれをちょっと見てみることであって・・・む、む・・・。
バルボフ そうでございますねえ。私は孤児院で学び、男爵令嬢とインク壷に惚れましてね。
コロンボ まさか、惚れただなんて!
バルボフ うるさいな。惚れたんだよ!
コロンボ 奇跡ですなあ。
バルボフ そう、奇跡ですな。
コロンボ おかしなこともあるもので。
バルボフ そう、おかしなことで。
コロンボ どうぞ、お話しください!
バルボフ もしあんたね、クリストファー・バルボフ、まだなんか言うなら・・・

       舞台はすばやく転換する。
      バルボフがすわってスープを飲んでいる。 
  ブラウスを身に着け、傘をもった妻があらわれる。


バルボフ お前、どこへ?
 あっち。
バルボフ あっちとはどっちだ?
 ほら、あっちよ。
バルボフ あっちか、それともあっちか?
 ちがうわよ、あっちじゃなくて、あっちよ。
バルボフ それで?
 それでって?
バルボフ どこ行くんだよ?
 私、男爵令嬢とインク壷が好きになっちゃった。
バルボフ そりゃ良かったな。
  そりゃ良かったんだけど、だけどほら、クリストファー・コロンボがうちの女中に自転車を突っ込んだでしょう。
バルボフ きゃわいしょうなチョチュウ。
 かわいそうに彼女、台所に座って田舎に手紙を書いてるんだけど、自転車は彼女から垂れ下がったままなのよ。
バルボフ うん、うん。事件ちゃそういうもんだ。1887年におれらの孤児院でもやっぱりあったよ。教師がひとりいたんだが、おれたちそいつの顔にテレピン油を塗りたくって台所の机の下に置いといたんだ。
 なによ。なんのためにそんな事言い出したのよ?
バルボフ それからまた、こんな事件があってな。

 ソーセージ野郎が入ってくる。

1930年1月11日―30日


いかにもハルムスらしい、フリースタイルな一品。

ハルムスの作品を翻訳すると、
最初はずっと意味について考えます。
どういう意味なんだろう?とずっと考えるのです。
結局わからないし、
そもそもはっきりと定義できるだけの意味なんてないのかもしれませんけど。
デタラメなんだから、こっちもデタラメに訳せばいいのかな。
でもデタラメにはデタラメなりの秩序と理屈があるわけで、
その秩序と論理を理解したいなあなどと、
はかない頭脳で思うわけですが・・・。

今日、アルバイトが終わって、駅のホームで電車を待っていたら、
ちょっと離れた暗がりに、
モシャモシャした頭の女の子が立っていました。
髪の毛にパーマをかけていて、
それをデップか何かでさらにモシャモシャにしていて、
脱色した上にピンで留めてあるのです。
おしゃれなんですけどね、
その髪型が遠目に、ミヒャエル・エンデの『モモ』の、
モモの髪型に見えたのですよ。
ちょっと小柄だったし、立っている姿勢の感じとか、
あ、モモがいる、と思いまして。
疲れているものだから、例のごとく、
ふらふら近寄っていったのです。
そうして、ちょっと近くまで行ったら、
そのモモみたいな髪型の子は、制服を着ていました。

・・・ズキーン。
これには胸が痛みましたねえ。

なんだか、モモが制服を着せられているみたいで。
しかもねえ、なんだか、ひどく今風なのですよ。
スカートを巻き上げて短くして、
ワイシャツのボタンを第二まで外して、
だぶだぶのチョッキに、
長い靴下を履いたりして。
金の鎖をつけたりして。
フリースタイルの象徴、モモが、
もうあっという間に「ザ・女子高生」ですよ。

大体、日本人はどうして、
みんなああ、そっくりの格好をするのでしょうね?
不良っぽい子には不良っぽいスタイルの雛形があって、
その雛形にはまっていないと格好良くない。
個性的な子には、やはり個性的なグループ特有のスタイル。
真面目な子には真面目な子の、文部省が決めた雛形があって、
やっぱりそれにはまっている。
私の兄はパンクバンドをやっているのですが、
ライブに行くと、
「パンク」の人達であるにも拘らず、
その場に集まっている人がみなそっくりなことに驚きます。

・・・いや、驚きはしないかな。
そこに驚きはないけれども。

日本は、多様な生き方が不可能な国なのだと実感します。
でも子供よりは大人のほうがまだ気楽かな。
選択肢がまだありますしね。
大人になると、周りに影響されて否応なしに決められてしまうことが、
ちょっとづつ自己責任で自分で決められるようになるし。

住むところとか、着るものとか、生活習慣とか。

モモみたいな髪型の子も、あんなに蓮っ葉な格好していながら、
結局型にはめられちゃって、
自らはまりに行っちゃって、本当に気の毒。
毎日、楽しいのかな。
型からはみ出ようと思っても、
結局援助交際するとか、学校に内緒でバイトするとか、
彼氏を作って妊娠するとか、タバコ吸うとか、
ああーなるほどねー的な、平凡かつ陳腐な方法以外に、
選択肢(=想像力)がないかもしれないですよね。
私はもう駆け寄って、
「大人になればもっと自由になれるよ」といってあげたかったですね。
あと、忠告としては、
「ハルムスを読みな」とか。

ハルムスは立派ですよ、やっぱりね。
自分自身であろうとして、フリースタイルを追求して、
誰に似ていなくても、国家ぐるみで否定されても、
まったく評価されなくても、
自分の芸術を曲げて、
その他大勢の価値観に合わせることを決してしなかったのですから。
簡単に出来ることじゃないなあと思います。

あのモモみたいな髪型の女の子は、
姿かたちはあんなにモモに近いのに、
やっぱりモモからは1万光年くらい離れたところにいますよ。
それはやっぱり、胸が痛むようなことですよね。

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eels

昨日、弟にeels「Daisies of the Galaxy」というアルバムを借りて、
今日はそればかり聴いていました。
Daisies of the Galaxy はサードアルバムで、
eelsはもう5枚目をリリースしているそうですから、
全然新しくないわけですが。

でも、これがまたねえ。
すごく良かったですね。
お父さんが死んで、お姉さんが自殺して、
更にお母さんが病死して、
天涯孤独になってしまった直後につくったアルバムだそうですが、
にもかかわらず、メロディといい、なんといい、
ポップですよ。
そんなにポップなのにもかかわらず、胸が痛くなるほど痛々しい。
痛々しいにもかかわらず、どこか超然としている。
超然としているにもかかわらず、物悲しい。
ここら辺のバランスが、なんともいえず、好きですねえ。

最近、ミハイル・チェーホフの伝記を読んでいます。
ミハイル・チェーホフは、
あの日本で大人気の作家、アントン・チェーホフの甥御さんです。
役者であり、演出家であり、すぐれた教育者であり。
彼の考えた幾つかの俳優の演技トレーニングは、
今でも充分応用可能な上に、非常に理論として面白いものなので、
私はこのブログで、これも翻訳してみようかななどとおもっていたのですが、
生憎、面倒くさくって手をつけられず(笑)。
ハルムスにたいする愛がどんどん深まってくるにつれ、
ミハイルはちょっと置いておこうかという気になってしまったのです。

今読んでいる伝記は、ミハイル36歳のときの伝記ですが、
若いときに書いただけあって、
ユーモアたっぷり、
武勇伝たっぷり、
ワフタンゴフと殴り合って彼が気を失いかけるまで首を絞めたり、
いろいろ面白いですよ。
と同時に、アルコールに耽溺したり、
精神を病んだり、非常にもろい一面も正面から描かれています。
才能豊かで、舞台のうえで一度として物語の流れを失わず、
常に精神的な高揚と一貫した流れを我が物としていた少年時代と、
悩み苦しみ、あらゆる演劇を取り巻く事情に憤激する青年時代と。
ミハイル・チェーホフの演劇人としての人生は早く始まり、
濃く、速く、非常に豊かに展開します。

なあんて、まだ途中までしか読んでいないんですけどね。







起こってはおさまり、集まっては散る

路上の事件

 ある日一人の男が路面電車から勢いよく飛びだし、まったく運の悪いことに、車に轢かれてしまった。
 交通はストップし、この不幸はいかに起こったかを解明すべく巡査が現れた。
 運転手は車の前輪を指差しながら、長々となにか説明した。
巡査はこの前輪のほうぼうを触りながら、手帳に何事か書きとめた。
突然かなりの数の野次馬が集まりだした。
どこかの市民は、にごったような目をして、路傍の石台から転げ落ちてばかりいた。
どこかの奥さんは、他の奥さんをじっと見つめていたが、そちらはまたそちらで、最初の奥さんをじっと見つめていた。
その後野次馬は散り、交通は復活した。
にごった目の市民はそれでもまだ長いこと石台から落ちるのをやめなかったが、ついには彼もそんな作業を停止した。
この時、たった今買ったばかりのような椅子を運んでいたどこかの誰かが、全身の力を振り絞って、路面電車の下に飛び込んだ。
ふたたび巡査がやってきて、ふたたび野次馬が集まりだし、交通はストップし、にごった目の市民はふたたび石台からころげ落ちはじめた。
その後ふたたびすべてがおさまり、イヴァン・イヴァーヌイチ・カルポフさえもが台所へ戻ってきた。

1935年1月10日


ハルムス中期の作品。

http://blognik.blog44.fc2.com/blog-entry-92.html
これとか
http://blognik.blog44.fc2.com/blog-entry-64.html
これなんかに近いような作品ですね。

大体同じ時期に書かれた作品のようですが。
仮にこれをハルムスの「諸行無常シリーズ」と呼ぶことにしましょう。
ブローグニキ(ブローグニックを読んでいる人たち)の間だけで。
ちいさく、ちいさく。

今回は、事件が起こって、やがて静まって、
人が集まって、やがて散って、
そうしてまた何か起こって、また静まった。
やがてこれからも何かおこりそうな予感が。
というような文章です。

通訳という仕事は、この文章に近いような感じです。
仕事の間は色々起こって、ハリネズミみたいに駆け回ります。
私はロシア人が好きだし、
一緒に仕事をするとついつい相手に入れ込む性分なのです。
でもそれが、仕事が終わると何もかもが、
人とのつながりでさえもが、あっという間に終わる。
そうして、またしばらく静かで、
やがてまた次の仕事が。
まあ、誰の人生でも多かれ少なかれ、こんなものでしょうけど。

そういえば、amihappyさんが「かもめ」を観に来てくれて、
ご自身のブログでレビューを書いてくれました。

http://amihappy.exblog.jp/

随分ちゃんとしているでしょう。
ブローグニックのような、ダラダラしたブログを読んで、
それがきっかけになって、こんなかっちりした記事になるなんて、
わらしべ長者みたいですよね。
何だか少し良い気持ち。
たまにはこうして残ることもある、と。

岩手では地元の劇団ぶどう座の方々との交流会があったのですが、
ここでもふっと近くに来られて、
「じゃああなたが久保さんですね。ブログを読みました」
という方がいらっしゃってびっくり。
こんな遠くで読んでいる人がいるなんて、
まさか思わないじゃありませんか。
インターネットってすごいなあとあらためて。

交流会はぶどう座のアトリエでやったのですが、
ここがまあ、小さいけれど味のある、きれいなところでした。
劇場でひとつパーティーがあって、
そこから夜遅くに車でアトリエまで移動したのですが、
到着したら、
道路からぶどう座の玄関までの小道に、
手作りの灯篭が点々と置かれていました。
それが橙色にぼんやり光っているのです。
その間を、猿のお面をつけた人がこっちこっちと手招きしながら案内してくれたのです。
これは幻想的でしたねえ。
みんな疲れて、交流会だらけでうんざりしていたのに、
あっという間に異界が現れました。
あまりきれいなので、私はちょっとぼんやりしてしまいましたよ。
すごく効果的で、しかもごく演劇的な発想だと思いました。
岩手の山奥で、こんな風な演劇的な魂というか、
機知に出会えるなんて、感激でした。

まあ、交流会自体はTooMuchというか、
ロシア人も観光とリハーサルと舞台とパーティーと慣れない土地とで、
疲れ切った上での更なる交流会だったので、
楽しんでいた、とは言い難いのですが。

次回はもっとスケジュールを考えてくれるといいけど。
あれほど疲れていなければ、
きっとウラジオストック青年劇場側も、
ぶどう座からもっと得るところがあったろうと思うし、
真の意味での「交流」会になっただろうと思います。
もうねえ、形式的な演説とか挨拶とか、
本当は全部なくてもいいわけですよ。
あの灯篭の道を歩いて、あの猿の仮面の手招きを受けて、
岩手のいい空気のなかの、
木と劇場のいい匂いのする小さな稽古場にすわって、
同じ演劇の世界の人間同士が隣り合って会話するだけで、
どれだけ多くの感覚を共有できることか。
やっぱり疲労と形式とが、
お互いの距離を縮める努力を阻んでいたというか、
それがちょっと残念でした。

しかし、そんなことも、全て終わってしまえば、
懐かしくて、名残惜しいのですけど。
岩手もいいところでしたねえ。
もう一度行きたいな。
ウラジオストック青年劇場が『うたよみざる』を上演したのは、
銀河ホールというところなのですが、
ここのロビーは全面ガラスになっていて、
前にぱあっと湖(ダムだそうですが)が一望できるのです。
お芝居が始まるとぱあっと明るく、陽気になりますが、
始まる前や終わった後はしんと静かで、どこか眠っているような雰囲気。
詩的な、いかにも良い劇場でしたよ。
まあ、岩手という場所柄ですかねえ。
皆さんも、機会があったら、是非一度行かれてみては。

仕事の終わり

鶴と船

僕は石の上にすわる
海を眺める
海の上 浮かんでゆく船。
僕は草の上に寝転ぶ
空を眺める
空の上 渡ってゆく鶴。

そして鶴は叫ぶ
「あそこに船が浮かんでるよ、
 空想でふくらんで私たちのところまでのぼってきそうじゃないか。
 あんたも船のとこまでのぼっておいで
 私たちの後ろに ついておいで
 私たちの後ろ 波間をついておいで。」
 
僕は船に叫ぶ、
僕は鶴に叫ぶ。
「いやだよ、ありがとさん!」大きな声で叫ぶ。
「勝手に浮かんでりゃいいさ!
 勝手に飛んでいきゃいいさ!
 だけど僕はどこにも行きたくないよ。」

鶴は僕に叫び返す
「じゃあ船はほっとけばいいさ!
 私らがあんたを翼に乗せて運んであげるよ。
 すべて あんたに見せてあげる
 あんたに聞かせてあげる
 あんたに聞かせてあげるよ すべてのこと」

「いやだよ、ありがとさん!」叫ぶ。
「もう僕は飛ばないよ。
 あんたがたが僕のとこへ帰ってくればいいんだ。
 僕はここから
 ぜんぜん
 どこへも
 行きたくないよ!
 僕はソビエトの側に残るよ!」

(1939)


岩手から帰ってきて、2日ほど深く、深く眠り込み、
ようやく日常が復活してきました。
しばらくぶりに、ハルムスを翻訳してみたり。

ソビエトのそばに残るよ、なんて、
ソビエトが彼に何をしたかを考えると、泣けてくるではありませんか。
他の多くの文化人のように、
彼もまた海外に亡命し、自由に飛びたったならば、
子供のもの以外は出版を全て検問で拒絶される不毛の作家人生も、
獄中の精神病院で餓死する壮絶な最後も、
もしかしたら起こりえなかったかも知れず。
けれど、ハルムスは大弾圧の横行するソビエトに残ったわけです。

君たちは勝手に飛べばいい。
だけど僕は行きたくないよ。

親と同じように祖国も選べませんし、
その懐に生まれたからには、愛さないわけにはいかない。
国を捨てるということは、
自分の一部を捨てるということに、近いのかもしれません。
ハルムスの叫びは切実です。



もうすぐ

エリザベータが入っていったのは
世界のどまんなかにある
おおきな、すばらしい家の中。
ぽかんと口開けて入っていった。

(1933年9月)


ハルムスの四行詩。
いつもだったら575・77形にして訳すのですが、
「エリザベータ」がねえ。
ちょっと音としてはまらないので、今日はそのまま。

明後日からいよいよウラジオストック青年劇場の公演が始まります。
通訳の仕事は久しぶりですよ。
明後日には、
観客の皆様、お会いするのを楽しみにしています。

実は東京では『かもめ』の公演をするわけですが、
そのあと岩手へ行きまして、
『うたよみざる』というお芝居をやります。
こちらは青年劇場のもっと若い俳優たちの織り成す、
子供向け民話劇。
『うたよみざる』というのは、岩手の民話なんですって。
それをもとに岩手の劇団、ぶどう座がお芝居にし、
それ露訳したものを今回、
グリャズノフという演出家がロシア人俳優を使ってお芝居にした、
というものです。

実は私は昨日始めてこの『うたよみざる』の資料ビデオを観ました。

・・・最高。

いや、普通に。

私としては正統派『かもめ』よりいいかも。
粗筋はこんな感じです。


おじいさんが山で草取りをしているが、あまりに大変なので、
「もし誰か代わりに草取りをしてくれたら、三人いる娘のうちの誰かを嫁にやるんだがなあ」とぼやく。
するとサルが現れ、「約束したぞ!」ということで、草取りを全部やってくれる。
困ったのはおじいさん。
約束したはいいものの、娘たちから嫁入りに関して剣もほろろに断られ、途方にくれる。
ちょっと頭の弱い末娘よてこだけがおじいさんをかわいそうに思い、山へ行くことを承知する。
村人たちは喜び、
「それではサルを仕込んで、つれて来い。村で自分たちの代わりに働かせれば随分楽になるぞ。人間みたいに歩いたり、歌を詠めたりするようになればいいな」
とよてこに無理な注文をつけます。
素直なよてこは山に行って、サルを仕込み始めます。
(ここで、サルダンス。サルダンス、もう最高です。大好き)
でも歌だけがどうしても詠めません。サルだけに。
やがて春になり、里帰り。
サルは土産をいれた臼を背負い、よてこと山を下る。
娘は断崖に咲く桜の花をみて、一枝とってくれとサルにせがむ。
サルは花を取ろうとするが、臼が重くて転落。
そこではじめて猿は歌を詠み始めるが、そのまま沈んでしまう。
よてこは初めてサルを愛していたことに気がつき、
泣き続けているうちに、顔がサルのようになってしまう。
ひとりで村に帰ると、
村の人はよてこがもう人間じゃなく、さるの顔だというので、
石を投げる。
よてこはそこで本当にサルになり、どこかへ去る




まずねえ、原作がいいですよ。
サルと結婚するという設定自体が超クール。
一世紀くらい前の、
黒人と結婚する白人とか、
部落の人と結婚する長者の娘とか、
様々な社会的承認の伴わない結婚をイメージできると思うのですが。
相手が猿にも関わらず、嫁に行ってしまい、
しかも好きになっちゃうという、
女の人の感じ、私は好きですね。

そして村人ダンスと猿ダンス。
基本的にはそっくりですが、始まるともう、ウキウキします。
本当ですよ。
正確には、村人ダンスの時にはウキウキし、
猿ダンスの時にはウッキ-ウッキーするというところでしょうか。
・・・う~ん。まあ良しとしてください。
観てもらえれば、絶対にわかるんですけどね!

台詞の口吻は、民話劇だけあって、
ソビエト時代のアニメ(人形劇)を髣髴とさせるしゃべり方。
これも大分懐かしかったです。
昔、ロシア語を勉強している頃、
子供向けのテレビ番組にはよくお世話になったもんですよ。
「ああー、ロシアの人形劇ってこんなしゃべり方なんだなあ」とか、
そういう風に観てもらってもいいかも。

ロシアにもそっくりのフォークロアはありまして、
昔大学生の頃に読んだバリエーションのひとつには、
こんなものがありました。

・・・あ、でももう忘れちゃったな。
不正確かもしれませんけど、テキトウにね。

どこかの村で、恐ろしい怪物に何かをしてもらう代わりに、
娘を嫁に差し出すことになる。
首長には3人の娘がいるが、上の2人はもちろん拒否する。
勇敢で働き者の末娘だけが、父親がかわいそうで、
「それでは私が行きます」と承諾する。
荒野を歩いて、指定の場所へ行くと、立派な屋敷がある。
娘はそこに入る。
しかし、何日たっても別にとって食われることもない。
豪華な食事をし、立派な寝室をあてがわれる。
主人の怪物は姿を見せず、声だけが聞こえる。
その声が優しくて品があるし、
最初に思っていたよりずっと親切なので、
娘はやがてどうしても姿が観たくなる。
そう怪物に告げると、怪物はしぶって、どうしてもイヤだと答える。
「私のあさましい姿を見たら、あなたはきっと私が嫌いになるだろう」というのである。
娘がそれでも頼み込むと、突然目の前に、
ムチャクチャ醜いものすごい怪物が!
きゃああああああ!
娘は気を失う。

娘が目を覚ますと、周り中は真っ暗。
あまりの怖さに動転して、震えていると、
怪物がすすり泣く声が聞こえる。
姿を娘に観られて、
悲しくて恥ずかしくて泣く怪物の声を聞いているうちに、
娘は怪物にそっと声をかける。
「バカみたいに声を上げちゃってごめんなさい。
 さっきは突然だったのでちょっと驚いただけです。
 もう一度、あなたのお顔を見せてください。
 もう二度と驚いたりしませんから」
そういって、先ほどの醜い顔を眺め、娘はそっとキスをする。


という話なのです。
私はこの話、随分好きなお話で、大学生の頃に読んだのに、
未だに覚えているのですよ。
これでレポート書きましたし。

『うたよみざる』と、基本的には同じ話ですよね。
醜いが、能力のある者。
その能力を利用はするが、差別する社会。
生贄として差し出される娘。
そして愛。

怪物に向かって、
「もう一度お顔を見せてください。
 もう驚いたりしませんから」
と受け入れる娘の姿は、いつの時代・どこの国でも心を打ちます。
ここで怪物が王子様に変身したりすると、
また物語の性質は変わってきますが、
私の知っているロシア民話でも、岩手民話の『うたよみざる』でも、
そうはならないのです。
ただ、キスをするか、自分も猿に変わるだけ。
話の要点は、
自分の運命を受け入れ、その運命を愛するという姿勢にあるのです。
自分の運命を愛そうとする者は、人間として美しい。
それが幸せと直結していなくても。

というのが、『うたよみざる』から読み取れるメッセージでしょうか。
私はそういう風に感じましたが、
観客の皆さんはどう感じるのかしら。
ぜひ劇場に足を運んでいただきたいものです。

5月16日、17日に岩手県西和賀町の銀河ホールというところでの
公演になります。
岩手県あたりにお住まいの方は是非足をお運びください。
入場券は前売り1000円、当日1200円ですよ!
ムチャクチャ安いなあ。
今からチケットが手に入るかどうかは謎ですけど、
トライしてみる価値はあると思いますよ!

ククーシュカ

1930年代のハルムスの警句集。


私は子供、老人、老婆、分別ある中年が嫌いだ。


子供を毒殺する。残酷なことである。ただ、やはり彼らに な に か はしないと!


私は若くて健康で太った女性のみ崇めるものである。のこりの、人間のような形態をとっている者に関しては、疑いを持って接している。


分別盛りの老婆たちは、投げ縄で捕らえるのが良いだろう。


分別くさいスタイルのやつの顔はすべて、私のなかの不愉快な感覚をかきたてる。


花とは何か? 女性の足の間からは、もっとずっと良い匂いがする。あれもこれも自然ゆえ、誰も私の言葉に目くじらを立てることはできまい。

(1930年代)


昨日、母と一緒に渋谷で「ククーシュカ」というロシア映画を観てきました。

http://kukushka.jp/

ロシア映画と言っても、主人公は三人で、
それぞれロシア人と、フィンランド人と、ラップランド人なのです。

戦争中に、ラップランド人の先住民の女性のところに、
それぞれ自国の軍隊から追われることとなったロシア兵とフィンランド兵が転げ込むところから始まるのです。

すごく良い映画で、なんともほのぼのしましたよ。
これ、是非観て欲しいですね。

ヴェイッコという役のフィンランド人の男性は、
若くてハンサムで超セクシーなのですが、
プロフィールをみると、なんとペテルブルグ演劇アカデミー卒。
ということはですね、
私の先輩じゃありませんか。
おっほっほー!大興奮。
ああー!もうちょっとロシアに渡るのが早ければ!

それにしても、感心したのがロシア人俳優、
ヴィクトル・ブイチコフ。
ちょっと分の悪い役なのに、
どこかポエティックで、どこか上品で。
すごくうまかったです。最高でしたね。

是非ごらんあれ。

真っ赤な太陽

私は青いipodを持っているのです。

ipod.jpg

愛機・ポドコフ君

毎朝これで、音楽をシャッフルで聴きながら、
バイト先へ向かうわけなのですが。

今日の朝、駅へ向かう道の途中、
公園の芝生の上を歩いていると、
サニーディ・サービスの『真っ赤な太陽』という曲の、

風が二人の心を つかんでは ひどく揺さぶって
表通りで二人は からから 空まわりするんだ


というフレーズが耳にひょっと飛び込んできました。
するとこの言葉一つで、周りの景色がさあっときれいになって、
風が吹き抜けたような、かるくて空っぽな気分になりました。

私はサニーディ・サービスのこと、
特別ファンだとかいうわけではないのですけど、
この二行は天才的だなあ と思います。
メロディと、風景と、言葉と、みっつがうまいタイミングで合わさると、
本当に心のなかの空気が変わるのですよ!
どうやってこんな言葉をみつけてきたのでしょうねえ。
うまい言い回しや絶妙な表現をみると、いつも思うのです。
時々本当に、
神様の言葉みたいのがありますよね。

人生とは

 ある日アントン・バブロフは自動車に乗って町へ出かけた。
 車は壊れた熊手のうえに乗り上げた。
 タイヤが破れた。
 アントン・バブロフは路上のでっぱりの上に座って考え込んだ。
 突然何かがアントン・バブロフの頭を思いきりはりとばした。
 アントン・バブロフは倒れて意識を失った。


ハルムス中期の警句文。
人生とは、と考えたとき、なかなか深い一文です。
さいわいにして、私は因果応報の人生を送ってきたといいますか、
運の良い悪いは多少はあるにせよ、
基本的には自分の行為がブーメランみたいに結果となって戻ってくる人生を生きてきました。
でも、因果応報の人生を生きられるって、
多分世界中でも恵まれているほうですよね。

ロシア人は大抵運命論者で、
何が起こっても「これが運命だから・・・」と受け入れ、
そこから哀愁だとか哲学だとか詩だとか論理などを生み出しているという気がしますが、
確かにロシアでの人生って、何がどこでどうなるかわからない、
日本より遥かにジェット・コースターだという風に感じました。
また、ロシア人の気質自体、日本人よりよほど、
何をどうしちゃうかわからないようなところがありました。
悪い意味でも、それよりよほど良い意味でも。
この、単に車で出かけただけなのに、
わけのわからない不幸に立て続けに出会ってしまい、
意味不明に前後不覚になってしまう感じ、
人生ってこんなものだよねえ、
とハルムスは思っているわけでしょうか。
運命かあ。

昨日、ウェブ・カムというものを買いました。
へへへ。
宝の持ち腐れー。

プロフィール

Kachika

Author:Kachika
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