IT系?

 秋近し 曇天 蝿もなき窓辺
 林に 鳥の鳴き声もなく。 

(1933年 10月17日)


ハルムスの四行詩を短歌として訳してみました。
原詩はもっと長いのですが(当然ですけど)、
今の私の気分にぴったり。
最近私はIT関係の職場で働いているわけなのですが、
もう、ねえ。私は本当に、

♪おれメカに弱えから
                  (ハイロウズ)


なわけですよ。
もうチンプンカンプン。
DHCPとか、IPアドレスでサブネットマスクのなんとやらとか出てきた時点で、
もう何かが終わっている状態なんですよね。
ストレスですねえ、これは・・・。

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語りの言葉

イワン・フョードロヴィッチが帰宅しました。家にはまだ誰もおりません。サリヴァンという名のオス猫が、玄関口の床に座って何か食べていました。
「お前なにを食ってるんだい?」イワン・フョードロヴィッチはオス猫に聞きました。オス猫はイワン・フョードロヴィッチをちょっと見て、それからドアをちょっと見て、それから脇をちょっと見て、なにか見えないものを床からくわえると、また食べ始めました。
 イワン・フョードロヴィッチは手を洗おうと、台所へ抜けました。
 台所ではケープカという小さな黒い犬が、コンロのうえに寝そべっておりました。イワン・フョードロヴィッチは人を驚かすのが大好きで、いくつかの物事をあべこべにしているのです。彼はわざとオス猫サリヴァンには玄関に寝るよう、犬のケープカにはコンロの上に寝るよう躾けたのでした。
「どうしたケープカ?横になってるのかい?」手に石鹸をこすりつけながら、イヴァン・フョードロヴィッチは言いました。ケープカは一応おすわりをすると、ほほえみの意味で、右の犬歯をむき出しましたとさ。 

(1930-1931)


今日のハルムスは、
語り口を「だ・である」調から「です・ます」調にかえて訳してみました。

私は子供の頃、まあ、中学生くらいまで、
子どもの本は「です・ます」調で書かれていなくてはならないと、
断固として思っておりました。
ファージョンしかり、リンドグレーンしかり、パディントン・シリーズしかり、メアリー・ポピンズしかり。
面白い本は大抵「です・ます」調で書かれていて、
逆に言えば「です・ます」調で書かれていないと面白くなかったのです。
ミヒャエル・エンデ(神)の本などを読むと、
内容はファンタジーなのに、
なまじ大人でも読めるために「である」調で書かれているので、
随分がっかりしたものです。
これが「です・ます」だったら、どんなにいいだろうか、
なんて思ったものです。
今となっちゃあ、「です・ます」じゃなくて良かったなと思ったりもするけれど、
あの頃は、色々難しい年頃だったのですよ。

子供って不思議なもので、ちゃんと最初から好みがあるんですよね。
私は日本人が書いた児童文学がキライで、
作者が日本人の時点で、安房直子だろうが松谷みよこだろうが、
鍵おばさんだろうが『押入れの冒険』だろうが拒否しました。
主人公の名前が日本名だった時点でもうだめでしたね。
あ、これ、ダサいわ。みたいな。
日本人が書いたのに、登場人物はカタカナ系はもっとだめでしたね。
子供って結構敏感ですから、
コンプレックスとか、作者の美学が作者自身の出自と裏腹になっている感じとか、
安手のカントリー感とか、
すぐに感じ取るものなのかもしれません。
ニセモノだわ。なんてすぐ思っちゃう。

今読むと、安房直子さんなんて、いいですけどねえ。
散文詩ですね。安房さんは。

「です・ます」も私の好みで、
石井桃子さんの訳の児童文学なんて、よく読んだし、大好きでしたね。
岩波文庫には多いんですよ。
語り口がすごく優しくて、きれいなのです。

大人の本がみんな「だ・である」調なのは何故だろう、と今でもよく思うのですよ。
あれ?なんでだったっけな?
なんか、昔調べて、読んだことあるような・・・
知ってたなあ、私、確か。
忘れちゃったけど。
まあ、忘れたからには、
多分そんな面白い由来があるわけじゃないと思います。

忘れちゃったようなことはきっとそんなもーん。
忘れちゃったような人はきっとそんなレベルゥ。(トモフスキー)

または、私にはちょっと難しすぎたのかも。
その説明も「だ・である」調で書かれていたのでしょうし。
「だ・である」調は、ちょっと偉そうだし、
カサカサして、角ばっていて、男社会みたいですよね。
いかにも朝から晩まで働いていそうな。
育児休暇とるとクビになりそうな。
飲み会の席で無礼講となって突然怒鳴りだしそうな。
まあまあまあ。
そんなわけのわからない批判はどうでもいいのですけれど。




ぎっくり腰

ハルムス 無題の詩。

ちいさな頭の小鳥さん
なにをそんなに あわれに鳴くの?
どうして 蹄で 地面を叩くの?
どうして うえへ 飛んでかないの?

ちいさな頭の小鳥さん
僕らの窓辺へ 飛んできた
このちっぽけなペテン師は
僕らと 古い顔馴染み。

去年の 三月あけそめに
僕ら 緑深い森のなか すわっ「て」た
軽いカードみたいに突然飛んだのは
ちいさな尻尾の小鳥さん。

ちいさな頭の小鳥さん
雲の上をお飛び
鉄砲もって 人がきて
小鳥さんを 弾で 撃ち抜くよ。

(1933)


おととい突然私を襲ったぎっくり腰は、
まだ少し痛むものの、だいぶ良くなってきました。
昨日はもう本当、暗くなりましたよ。
ぎっくり腰って。
なんですか、それは。
中年女性なのですか、私は。
・・・まあ、完全否定も出来ないかもしれませんが。

ぎっくり腰って、温めてはいけないのですね。
ぎっくり腰は、冷やさなければいけないのです。
初めて知りました。
お風呂に入ってじっくり温めたりすると、かえって悪化するそうです。
一昨日の私のように。

それにしても、ネットって便利ですねえ。
部屋にいて、「ぎっくり腰」と検索をかけるだけで、
山ほど忠告やら治療法やらぎっくり体操やら知ることが出来ました。
おかげで不安がありませんでしたよ。
私の母は健康マニアで、薬やら自然療法やら、やたらと詳しいので、
「トンブリの栄養分って何?」
とかそういうことを聞きたい時にはまず母に聞くことにしているのですが、
ネットって、母よりも確実ですよね。
母から帰ってきたトンブリの栄養分についての答えは、
「トンブリは畑のキャビアって言われているのよ」ということでした。答えになってないし(笑)。

腰痛

いてててて。
腰痛なのです。
中腰になってずっとパソコンの画面を眺めているうちに、
気がついたら腰を痛めていました。
私は別に腰痛もちではなかったのですが、
以前演劇学校で、
三ヶ月くらいずっと『罪と罰』の老婆役をやっていたことがあって、
その時ひどく腰を痛めたのですよ。
別に老婆の腰がすべて曲がっているわけじゃなし、
ぴんと背筋をのばして老婆を演ずればよかったのですが、
一旦腰が曲がった老婆の役作りをしてしまったからには、
今更引き返せなかったんですよねえ。
それ以来、ちょっと腰を曲げていたりすると、
すぐ腰が痛くなるのです。
痛いよー・・・うーん。
熱いお風呂にでも入ろうかしら。

私は仕事をしていないときは、
いつでも片手に本を持っていて、
とにかくジャンク・ブックとでもいいますか、
ポテトチップスを食べる要領で文字をむさぼり食ってゆくのですが、
お風呂の中でももちろん本を片手にしています。
最近読んでいるのは山本周五郎。

海外でちょっとだけ暮らした女性によくあるように、
私もまたバリバリのフェミニストです。
男性がぼうっと女性に大きな荷物を持たせて、
手を貸そうともしないこの国の現状に、
いつもイライラしている一人なのです。

といいつつも、山本周五郎。
・・・好きなんですよねえ。
矛盾だなあ、と自分でも思うのですけど。
『日本婦道記』とか、もう最高。
何が最高って、うまく言えないんですけど。
とにかく、主人公の女性たちが、偉くてねえ。
どんなに旦那がバカでヒステリックでエゴイストのクソばか野郎でも、
一度嫁いだからには、心の底から旦那を愛し、
自分には理解不可能な夫の行動をひたすら支え、
我慢して、あやまって、向こうが悪いのに責められて殴られても、
「私が悪うございました。・・・」なんて三つ指つくわけですよ。
こう言ってしまうと、
なんか随分悪趣味で感じ悪い作品だと思われるかもしれませんが、
そこに周五郎マジックがあるのです。

あくまでも、ノスタルジック。
あくまでも、人情。
あくまでも、いい話。

なんか、ほのぼの、
「うむ、そうか。千代、よく言った・・・」
なんて思ってしまうのですよ。
まあ、男側の視点に立って読んでいるだけですけど。

こういう女性がいたらいいなあ、という、
理想郷を忠実に描いているわけなんですよね。
それがえらく純粋で、迷いもないし、
きらきらした、少年のような心を感じるわけなのです。
実際そんな忠犬ハチ公みたいな可愛い子がいるわけもないのに、
延々と、山本周五郎氏は書き続けるのです。
あれだけの量、同じテーマ、同じような女のタイプで、
あんた、どれだけストーリーのバリエーション持っているのよ?
みたいな感じなのです。
それで、どの話も面白いんですよ。
結局面白いのです。
才能ですよねえ。

今図書館から借りているのは、
「人情武士道」
「明和絵暦」
「火の杯」
の三冊。
『人情武士道』は面白かったけど、
あとの二冊はどうやらハズレですね。
『火の杯』にはなんと、伏字あり。
時代ですねえ。
戦時中の新聞みたいよ。

フォンタンカ28番地に

フォンタンカ28番地に
ヴァロージャ・カブルコフが住んでいた。
ヴァロージャに聞いてみるとする。
「おい、ヴァロージャ・カブルコフ!
 世界で一番強いのは誰だい?」
「おれだよ!」と彼は答えるだろう。
「世界で一番頭が良いのは誰だい?」
「おれだよ!」と彼は答えるだろう。
もし君が誰より頭が良ければ
もし君が誰より強ければ

(1931


フォンタンカというのは、小さな噴水という意味で、
ペテルブルグに実際にある地名です。
私の通っていた演劇学校のすぐ横手あたりがフォンタンカ通りで、
通学路で通っていましたが、
噴水はありませんでした。

ところで、数日前から、
私の和露辞典が見当たらなくなりました。
普段和露ってあまり使わないので、
ぽいとどこかにほうっておいたのですが、
それきり見当たらなくなってしまった。
探しても、探しても、どこにもおりません。
今それがなくちゃ困るとか、そういうことはないけれども、
でもやっぱり寂しいですね・・・。
研究社の和露ですよ。
囲み記事とか一杯出ているやつ。
赤茶の表紙のキュートな彼。
どこに行っちゃったのかな。
私は自分の部屋から物がなくなると、
思春期みたいにまず母親を詰問するのですが、
さすがに母が私の和露をもって行ってしまうとも思えず、
捨ててしまうとか、しまいこんでしまうとか、
そういうことも考えられませんし、
やっぱり自分でどこかに忘れてきてしまったのだろうと思うのですよね。
でもねえ、おかしいなあ。
新しく買うとなると高いし。
マイナー言語の辞書は、高いですよね、やっぱり。



折ってはいけないもの

ハルムス無題の詩。

人間になるには みっつの部分で、
みっつの部分で、
みっつの部分で、
ヘイ ラ ラ
ジリン ジリン ツーツー
みっつの部分で。

(前、うしろ、その場でとまれ、
 その場でとまれ、
その場でとまれ、
 ヘイ ラ ラ
 ジリン ジリン ツーツー
 その場でとまれ、人間よ。

 みっつの部分でフェドットになる
 フェドットになる、
 フェドットになる、
 ヘイ ラ ラ
 ジリン ジリン ツーツー
 フェドットは人間になる。)

あごひげ おめめに 手がじゅうごほん、
手がじゅうごほん、
手がじゅうごほん、
ヘイ ラ ラ
ジリン ジリン ツーツー
手がじゅうごほんに 肋骨。

(ちなみに 僕はそんなこと言ってない、
そんなこと言ってない、
そんなこと言ってない、
ヘイ ラ ラ
ジリン ジリン ツーツー
 そんなこと言ってない。

 ちなみに 肋骨がじゅうごほん、
 じゅうごほん、 
 じゅうごほん、
 ヘイ ラ ラ
 ジリン ジリン ツーツー
 じゅうごほんはあれじゃないったら。

 あれじゃないよ、かんたんに折れるやつ
 かんたんに折れるやつ、
 かんたんに折れるやつ、
 ヘイ ラ ラ
 ジリン ジリン ツーツー
 オノでかんたんに折れるやつ。

 あれだよ、折ってはいけないもの、
 折ってはいけないもの、
 折ってはいけないもの、
 ヘイ ラ ラ
 ジリン ジリン ツーツー
 オノで折ってはいけないもの。)

ちなみにね、腕じゃないもの じゅうごほん、
じゅうごほん、
じゅうごほん、
ヘイ ラ ラ
ジリン ジリン ツーツー
じゅうごほんは、腕じゃないったら。

(1930)


カッコに入っているのは何かというと、
ハルムスが線を引いて消していた部分だそうです。
ということは、
これはちゃんと正式に発表された詩ではなくて、
草稿の状態で家族によって保存されていたものが見つかって、
死後に発表されたものだということです。

これ、訳そうかどうしようか迷いましたが、
結構いい感じだと思ったので残しました。
というか、つけ加えました。

カッコ抜きの部分だけだと、
単純にハイテンションで笑えるのですが、
カッコが加わることによって、
ハルムスの底恐ろしい感じが薄らぼんやり伝わってくると思います。
こわかわいいみたいな?
かわこわいみたいな?
これ本当に子供のために書いたのかな、的な何かですよね。


今にあらず

不今

これはこれ。
あれはあれ。
これはあれじゃない。
これはこれじゃないものじゃない。
残りはこれか、またはこれじゃないもの。
すべてはあれか、またはあれじゃないもの。
あれでもなくこれでもないなら、これでもなくあれでもない。
あれでありこれであるなら、それ自身である。
それ自身であるなら、もしかしたらあれであって、これじゃないし、
あるいはこれはあれじゃない。
これはあれへと失せ、あれはこれへと失せた。僕らは言う
                       神さまが息を吹きかけたって。
これはあれへ失せ、あれはこれへ失せ 
僕らはどこからも出てゆけず どこへもたどり着けない。
これはあれへ納まった。僕らは聞く「どこへ?」
           歌いかけられた「そこよ」
これはそこから出てきた。これは何?これはあれ
これはあれである。
あれはこれである。
そこにこれとあれがある。
そこはこれに失せ、これはあれに失せ、あれはそこに失せた。
僕らは見たが、見出さなかった。
あそこにはこれとあれが立っていた。
あそこはここじゃない。
あそこにあれ。
そこにこれ。
でも今は あそこに これとあれ。
だけど今は そこに これとあれ。
僕らは悲しくて考えて苦しむ。
今は どこなんだよ?
いまはそこ、いむはあそこ、いまはそこ、いむはそことあそこ。
これはあれだった。
そこはあそこである。
これ、それ、そこ、あそこは、僕、僕ら、神さまのこと。 
(1930年5月29日)
         


不思議な感じのハルムスの詩。
声に出して読んでみると、とってもいい感じです。
わけがわからなくて。
原文の雰囲気を伝えられたかしら、と思いますけど、
どうかな。
ハルムスは結局、音ですからねえ。

「神さま」って、いい言葉ですよね。
人間が編み出した、一番文学的な言葉じゃないかと思います。
「神」という字が現れると、
必ずそこには人間的な、文学的な物語やテーマが否応なく現れます。
私は完全な無宗教者ですけど、無信心ではないというか、
神様はいるなあと思います。
ただ、その神様が人間とそっくりの姿をして、
白衣を着て頭に輪ッカをのせて、
天の上のほうで私たちのこと愛してる、とはやはり思えず、
気持ちとして私の神様観は、どこかこの詩の神さま観に近いようです。
つまり、神様って言うのは、
これとそれとそことあそこなのです。
そうして、私と私たちなのかな。

昔、モスクワの大学の寮にいた時、
学校の食堂が夜になるとディスコになるので、
私もよく遊びに行ったものですが、
そこに毎土曜日になると、べガールというノルウェイ人が現れたものでした。
この人が洒落た人で、髪の毛を長くして、ひげを生やしていて、
眼鏡をかけていて、4,5ヶ国語をあやつるのです。
ギターも弾けたり。ハンサムでねえ。
毎日ずっと勉強しているのですが、
毎週土曜日だけはディスコにやってきて酔っ払います。
当時、
♪セックスボム、セックスボム ユー アー セックスボム!
という歌が流行っていたのですが、
それにのせて、
♪セックスボム、セックスボム、アイ アム セックスボム!
と絶叫したりするのですよ。
私は大好きでしたね、彼のこと。

そんなベガですが、実は大学では神学を学んでいたということでした。
それを聞いたとき、やっぱりベガは酔っ払っていたので、
私は吹きだして、
「じゃあ神様を信じてるわけ?本気で?」
といったところ、ベガは、
「神様って言うのはねえ、僕のことを好きな女の子みたいなものだよ」
といいました。
「その子は僕のことを愛していて、遠くからじっと眺めているけれど、
 決して愛を打ち明けたりはしないんだ。
 だから僕はその子が僕を愛していることはわからないし、
 もちろん、愛っていうのは見えも聞こえも匂いもしない。
 だからって、君はその子は存在しないっていえるのか?」
といわれまして。
これは、それまで聞いた中で、一番納得のいく神さま論でしたねえ。
つまり、神とは自分のことを好きな女の子である、みたいなね。
ある意味、本当にそんな感じだろうと思うのですよ。
そんな事いってたら、本気の信仰者には怒られるかもしれないけれども。





やせる方法

 ひとりの太った男が、痩せる方法を思いついた。そして痩せた。ご婦人たちは彼にまとわりつき、どうやって痩せることに成功したのか教えろとせまる。しかし痩せた男が答えるに、男は痩せているほうが似合うが、ご婦人には似合わない。いわく、ご婦人はぽっちゃりでなければならないと。彼は、根っから正しかった。

(1930年代半ば 3月)


ハルムスの金言です。

あーあ。
なにしろねえ、今私は激太りをして、
そろそろダイエットを始めなきゃ、と思っているところなのです。
何故激太りをしたのか自分でもよくわからないのですが、
とにかくもう、二年前ロシアから帰ってきて以来、
ムクムクムクムク際限なく成長していきまして、
合計7キロほども太ったでしょうか。
え!本当?
あらためて書くとすごいなあ。
二年前ガブガブくらいで着ていた服が、
いまピッチピチ。
とにかく、
宇宙人の子供を知らないうちに身ごもってたとか、
そういうことでもなければ考えられないほどの太り方なのです。

それで、『やせよう』という企画が自分の中で非常に大きく盛り上がってきているのですが。

やせるためには、要するに、
少なく食べて多く運動すればいいのでしょうけど、
言うは易し、行うは難し。
食べるのは好きだし、動くのは嫌い。
これが反対になればいいんですけどねえ。
昔、まだ女子高生だった頃、
『催眠術でやせられる』というCDを買ったことがあるのです。
毎晩寝る時に聞くと、深層心理に催眠術をかけられて、
食欲はうせ、油ものは嫌いになり、
そのかわり走ったりしたくなるという、
要するに欲求の順位を反対にしてくれるというCDでした。
私はそういう他力本願的なグッズは大好き。
『催眠術』とかいうのもクールだし。
効果は・・・どうだったかなあ。
覚えていないんですけどね。
これも催眠術っぽいですよね。

いま、アルバイトでコンピューター関係の研修を受けているのですが、
講師をしている人がまだ若い男の人で、
パソコンのことなんでも知っていて天才みたいな人ですけど、
(パソコンのこと詳しい人って、何だか本当に詳しいですよね?
 ミリ単位というか。あれは一体どういうことなんでしょう?) 
この人がものすごく痩せているのです。
パソコンデータを主食にしているんじゃないかと思うんですけど。
日に7時間くらいその人の痩せた小さな顔を眺めて、
時々トイレ休憩で鏡を見たりすると、正直ぎょっとしますよ。
違う生き物みたい。
多分、その講師の人も、鏡を見てぎょっとしていると思います。逆に。

母は、私の幼い頃、私のことを時々、
「まんまるさん」と呼んでいましたが、
まさに「まんまるさん」ですよ、今、私は。
ちょっと老けたまんまるさんだけどね。

ハルムスみたいな、太った女の人好きな男性が一杯いてくれれば、
何の問題もないんですけどね。
三段腹を見せびらかすと、それがセクシーと呼ばれる国がないものか。
価値観が全部ひっくり返って、太っていれば太っているほど美人、みたいな。
あ、でもそういう国では、
私は美人、てほど太っていることにならないのかも。
半端だからねえ。
「ちょっと可愛い」くらい?
・・・それでもいいから、そうならないかなあ。

ああ、ダイエットかあ。ヤダヤダ。









ウラジオストック青年劇場

おでこが 変わっていった
ツノが よじれていった
おでこ 上に伸びる 鼻だったのは森
やがて ツノ たわみはじめた
たわみはじめた
おでこ 広くなる 茸子だったのはコーファ
ツノ ひずんでゆく
まっすぐだったのに 曲がってしまう
おでこが高くなって 広くなるほど
ツノは ひんまがってゆく
ツノが輪になったということは
一体どういう意味だろう
おでこは 袋になったということか
アウ!アウ!おでこが とても高いよ
ツノが おでこの命汁を吸っているよ。

*袋には間抜け、の意味もある

1930年10月22日


気持ち悪くて怖いなあ。
ハルムスらしい、アバンギャルドの雰囲気をよく伝える詩です。

さて、5月12日~14日にかけて、
皆さんは何をなさっているでしょうか。
もし何もなければ、両国のシアターX(カイ)に足を運んではいかがでしょう。
ウラジオストック青年劇場の『かもめ』を上演しています。
そしてなにより、私がそこで通訳をしています。
多分、死にそうな顔をしながら、周囲の顔色をうかがって
ムチャクチャ頑張っていると思うので、
どうぞ冷やかしに来てください。
私の頑張っている姿なんて、多分三年に一度くらいしか観られませんよ。

これはねえ、中心になってるプロデューサーの女の人が、
(まだ若いんですけど)、
自分が気に入った劇団を呼ぶために、
私財を投げ打って招致したという、感動の一品なのです。
ウラジオの青年劇場はこれから伸びる!と確信しているそうで。
いやあ、観て後悔はないと思いますよ。

『かもめ』はチェーホフのあの『かもめ』ですけれど、
ちょっとストーリーは違うようです。
脇役なんかは全部切ってしまって、
主軸の四人(二人の女優と二人の作家)の物語にしてあるとか。
だからすっきりとして、ロシア語でもわかりやすい構成だそうです。
そうしてなんとね、
トリゴーリン(有名作家)とアルカージナ(有名女優)を演じる俳優さん二人は、
実生活でも夫婦だそうです。二人ともロシアの功労俳優だそうで。
そして、ニーナ(若い女優)とトレープレフ(若い作家)を演じる二人も、
同じく実生活で夫婦。
そして前の二人はあとの二人の両親。だそうです。
ニーナ役の女優さんのご両親が、上のほうの二人というわけですね。
つまり、本当の意味での親子劇場・家族芝居なのですよ。
すごいですよねえ。実際。ケンカにならないのかな。
まあ、それはいいけれども。
私もまだ観ていないんですけど、
見るのがすごく楽しみ。
皆さんも、是非、是非。

事前にブローグニキとして連絡を頂ければ、
個人的に割引しますよ。
前売り4000円・当日4200円のところ、
前売りを3800円。
三人以上で来て頂ける方には大負けに負けて、3600円で!
連絡は
xapyka272@hotmail.com
まで。

戯曲

     アレクサンドル・イワーノヴィッチ・ドゥードキン
もう朝の七時になるぞ。雄鶏はもうとっくに鳴いた。
なにゆえこんなに早く目覚めたのだろうなあ?
こんなことは未だかつてなかったのに。
しかしおれの頭はどうしたのだろう? 恐ろしく痛むじゃないか。
昨日飲んだっけ? いや、飲んでいない。
なにゆえ頭が痛むのだろうなあ? ああでもない、こうでもない。
こんなことは未だかつてなかったのに。
さっさと起き上がって顔を洗ってしまおう。
冷たい水で頭を洗えば気持ちいいだろう。
ペラゲーヤを起こさなきゃならん、さもないとあいつは
おれがまだ眠っていると思うだろうから。
こんな早朝に目覚めなきゃならんとはなあ!
おいペラゲーヤ!(壁を叩く)ペラゲーヤ!
ペラゲーヤ!
くそばばあ!惰眠をむさぼってやがる。いいや、
長靴か何か、重いものを持って、
目が覚めるまで壁を殴り続けてやるぞ。―
畜生め!長靴はどこだ?
これをどう考えるべきかな。ははは。長靴でやってきて、脱いで、あそこへ置いたのに、なくなったぞ。おっと!ズボンもだ!おやおやおや。実際問題、おれはどうしちゃったのかな!耄碌したか?
こんなことは未だかつてなかったのに!
まあいいさ、放っておこう。
考えてもみろ。頭が痛む。つまりおれは
ものすごく早く目覚めたということだ。
すなわち頭が痛むということで、
要するにおれは夜何かをしたんだな・・・いや。
とても早く起きて、頭が痛いんだ。
ということは長靴をなくしたってことか?
ばかな!
長靴をなくした・・・イコール頭が痛い?
同じくばかばかしい!
まあいいさ。頭が痛い、すなわち、
おれは長靴をなくしていないんだろ。
だけどおれは長靴をなくしているじゃないか!
こうもいえる。頭が痛むということは、つまり、
おれは長靴をああもしないし、こうもしない。
ふむ。
難しい問題だ。

二章
ドアノック。

ドゥードキン:どなた?
   :ああ、おれだ、おれだよ
ドゥードキン:誰?ペーチカ?
   :おう、そうだ、早く開けてくれよ!  
 ドゥードキン:今、今。ちょっとだけ待ってくれよ。
    :はやく、はやく、あっと驚くようなことを聞かせてやるよ!クソ驚くぞ! すごいことを知ってるんだ・・・(入る)
 ヴァラーモフ:まだ眠ってるのか?
 ドゥードキン:今何時だ、おそい?
 ヴァラーモフ:すすす・・・おそい?時間なんてクソだ!なあ、このバカ・・・
 ドゥード:― なに?・・・ 
        ・・・え?・・・
          ・・・なにが?
 ヴァラ:おまえ、おまえは・・・おまえは一番の金持ちになったんだぞ!
 ドゥード:うん?
 ヴァラ:うんってなんだよ?! 20万が当たったんだぞ!
 ドゥード:( Bを眺めながら、黙って立っている)
 ヴァラ:何を突っ立っているんだよ?バカ。服を着ろよ、銀行へひとっ走りだ。
 ドゥード:着るものが何にもないよ。 
 ヴァラ:着るものが何にもないだと?
 ドゥード:昨日帰ってきたとき、全部椅子の上に置いたんだけど、何もないんだ。
 ヴァラ:じゃあどこにあるんだよ? 
ドゥード:知らないよ。
ヴァラ:ああ、くそったれ、20万が当たったんだぞ!はやく行こうよ!
ドゥード:だけど何を着ていけばいいんだよ?

ヴァラーモフとドゥードキン、舞台前方へ

ヴァラーモフ:このまま行けよ!
ドゥード:このままは良くないよ!
ヴァラーモフ:じゃあおれの背広を着ていけ!
ドゥードキン:お前は?
ヴァラ:おれはお前のコートを着ていくよ!
ドゥード:それならおれが自分のコートで行ったほうがいいだろ!
ヴァラ:どっちでもいいよ!じゃ自分のコートで行けよ。
ドゥード:お前は自分の背広で行くのかい?
ヴァラ:おれは自分の背広で行くよ。
ドゥード:(くちごもりながら)―

(1927)


ああ、続きが知りたいなあ。
ハルムスは中途半端なのが多すぎ。

でも、一日ひとつ訳していくには、
ちょうどいい長さですけど。

今平行して、ロシアの若手作家の戯曲を翻訳しているのですが、
(これも純粋な趣味としてね・・・)
こちらのほうは結構長くて、
パッパッとあっという間に訳し終わるハルムス式に慣れてるから、
いつまでも終わらないことにイライラしています。
なんか難しいしィ。

愛の詩

お隣さん 君とお近づきになりたいな
君から最初にはじめてよ。
わからないな
すっかり こんぐらがっちゃった
君はどうしたいのさ?
僕ら 知り合いになれるのかな
それとも通りを眺めていたいの?
公式の場所を飛びたって
僕らの間を 郵便屋みたいに飛び交ってる
あの見えない鳥を軽蔑しているのかい。
心臓から心臓へと願望を運んでくれるのに。

僕からは近づいていけないよ
君が助けてくれないか
最初の合図をくれないか
君はどうなのさ 可愛い人。

自分から 自分から 僕を助けに来ておくれ
僕には 君に近づいてゆく力なんてないもの
恐ろしいのさ、ああ、ひどく恐ろしいんだよ、
君が拒絶したら、僕は どうしたらいいのだろう。

(1931)

昨日はアニシモフさんの誕生日

幾歌

  ぼくら 目を閉じましょう
 みなさん!みなさん!
  ぼくら 目を開けましょう
 戦争!戦争ですよ!
  
 ぼくらを 水の上にひきあげてください
天使さま!天使さま!
  敵を 水の下に沈めてください
悪魔さま!悪魔さま! 
   
  ぼくら 目を閉じました
 みなさん!みなさん!
  ぼくら 目を開けました
 戦争!戦争ですよ!

 水の上をわたる力を授けてください
鳥さん!鳥さん!
 水の下で死ぬ勇気を授けてください
魚さん!魚さん!

(1934-1935) 

すごい!

510

― ばあ・ばあ・ばあ!あの婆あはどこだ?ほらあそこにすわっていただろう、あのベンチにさあ?
― あそこに婆あがすわっていただなんて、よくおわかりですね?
― わかるさ、だって婆あの匂いがするからね。(ベンチの匂いを嗅ぐ)
― あそこに座っていたのは若い奥さんですよ。今、クローゼットを片付けに、自分の部屋へ行ってしまいましたがね。

(1936年 8月)
  


昨日は弟と一緒に、兄と兄の友人たちの花見にお邪魔しました。
あー・・・
兄の友人たちはパンクで、
私にとってはみんな珍しい感じの人達なのです。
やっぱりすごかったわ。
私はぼうっとなってしまって、
知らないうちに色々な酒をちゃんぽんで飲んで、
悪酔いしましたよ。
帰りの電車の中で気持ち悪くってねえ。

さて、最近私の彼氏(オランダ人)が、
メールでこんなサイトを紹介してくれました。

http://www.ezprezzo.com/animations/mindreader.html

これ、すごいんですよ、本当に!
ぜひ試してみてください。

最初に、自分の好きな二桁の数字を考えるのです。
次に、その二桁の数字の、前の数字と後ろの数字を足します。
その合計を、二桁の数字からひきます。
(23だったら、2+3=5、23-5=18)
最後に、その答えの数字を表のなかから探し出して、
数字の隣に描いてある記号を覚えます。
そして、水晶をじっと見ながら意識を集中させ、
記号を頭に浮かべるのです。
そして、水晶をクリックすると!!!

な、なんと、思い浮かべた記号が、水晶の中に・・・・

本当に、これはすごいですよ。
百発百中なのですから!
試しに風呂上りの弟をムリヤリ部屋につれこんで、
パソコンの前に座らせてやらせてみました。
弟は用心深い性質ですから、
一切マウスには手を触れず、
クリックするときも指でパソコンの画面に手を触れて、
「ここ、クリックして」という感じで
私に指示を出したのですが、
それでも的中しました。
私は心の中でひそかに、
「人間は数字を探しているときに、
 無意識にマウスでその数字のところを触ってしまう。
 それに反応してるんじゃないか」
と推測していたのですが、どうも違いましたね。
弟もびっくりして、首をひねっていました。

そこで調子に乗って、
今度は台所にいる母のところへパソコンを持って走ってゆき、
やらせてみましたが、
うちの母は「水晶にカーソルを合わせて」の意味がわからずに
ノロノロ、ノロノロ、
いつまでもカーソルを画面じゅうにはいずりまわらせ、
「なんのこと?」「え?」を連発。
やっとのことで、水晶に矢印をあわせると、
今度は「クリック」の意味がわからずに、
マウスを握りしめてぼうっとしているし。
何度説明しても、マウスをぐうっと押しっぱなしにしてしまうのです。
ああっもう、思い出すだけでイライラしてきた。

しかも、もう60歳を過ぎてすれっからしになっていますから、
やっと母の記号の数字をちゃんとコンピューターが当てたとき、
「あらら、これはね、全然だめよ。
 インチキよ。
 私、今、違う数字を思い浮かべたんだから。
 頭の中の数字を当てるなんて、うそばっかり

と勝ち誇ったように言いやがりました。
もう本当にね、自分の母親ながら、手に負えません。

それにしても、
どういう仕組みなんでしょう?

彼氏の会社には頭のいい男の子がいて、
その子はからくりを見破ったらしいのですが、
彼氏はそれを教えてくれませんでした。
私も頭を振り絞って考えているのですが、
うーん、わかりませんねえ。
すごい。

この仕組みを考えた人は天才ですよ!
それを見破った男の子も天才だし!
その男の子が彼氏だったら良かったのに!
うそ。それは嘘だけど。

イタチ

パパがイタチを獲ってきてくれた顛末

あのね 夕がた 家に
帰ってきた 僕のパパが
帰ってきた 僕のパパが
野道を 遅く 家に。

パパはふっと見て じっと見た
地面に イタチがいる。
地面に イタチがいるけど、
パパのことは 見ていない。

パパは思った 「イタチというのは・・・
見事な獣だな。
見事な獣だなあ、
もしこれが イタチだとしたら」。

イタチは じっと すわってたけど、
パパのほうをふっと見た。
パパのほうをふっと見たら、
もう おめおめ すわってはいなかったね。

パパは すぐ 駆け出して、
鉄砲に 弾 こめた、
イタチが 逃げてしまわぬように、
猛スピードで 弾 こめた。

イタチは 川のほうへ 逃げてゆく、
茂みから つかず離れず、
パパも 川のほうへ 走ってゆく、
イタチの後ろを つかず離れず。

パパは 怒鳴る
弾丸 ガチャガチャ鳴らして、
鉄砲 ガチャガチャ鳴らして、
「待てぇ!」と 叫んだ、

イタチは 尻尾を ぴんと立て、
橋の向こうに トンズラきめる。
叫び声とともに 橋の向こう 駆けてゆく、 
空に 尻尾を ぴんと立て。

パパは ときの声をあげ、
丘の上から まっさかさま
躍り上がって まっさかさま
まだまだ イタチを追いかける。

鉄砲は パパの手の中
鳴り響く タ ラ ラ!
打ち鳴らすように タ ラ ラ!
飛び跳ねる 手の中。 

パパは 脇を走る、
イタチは もう ぐったり。
パパから 逃げもせず
イタチは 地面に ぐったり。

そこで すばやく 僕のパパは、
イタチを 家に ひきずってきた。
やつの足 持って 僕のパパは、
イタチを 家に もってきたんだ。

嬉しくて僕は 手を打った、
イタチで僕は 名を売った、
木屑をつめて 剥製つくった、
そうして 再び 手を打ったよ。

ほら 君らの前に 僕のイタチ
ページの上 斜めに。
描いてあるでしょ 斜めに
君らの前に 僕のイタチ。

(1929)
 



老婆

老婆

年月 日々は 輪になってめぐる。
砂がとび 川がさざめく。
家のなか 妻は夫へ歩み寄る
眉は白く 腕は震えて。
澄んだ目はもう涙ぐみ、
まわりすべてが 憂鬱なようだ。
心臓は 生きるのに疲れ、
地上に安息をもとめようとする。

老婆よ、お前の黒い髪はどこだ、
すらりとした立ち姿、軽やかな歩みは?
よく響くお前の声はどこへ消えた、
指輪と剣と、お前のコルセットは?
今 お前に 全世界は堪えがたく、
年月 日々の歩みは 憎い。
走れ 老婆 松の林へ
ひたいを大地にねかせ 朽ち果てるがいい。

(1933年10月20日)


老婆よ、朽ち果てるがいい、だって。
今日のハルムスは石原慎太郎みたいよ(笑)

「老婆」は、「蝿」や「夢」とならんで、
ハルムスの作品によく出てくるキーワードです。
なにか不気味で、制御しがたいもの、
悪夢のようなもの、
絶望、恐怖など、
ネガティブなものの表象として使われることが多いようです。
ハルムスが女ばかりの家庭のなかで、
たった一人の男の子として育ったことを考えると、
この「老婆」というキーワードは非常に興味深いものがあります。

さて、「老婆」という題名の作品は、
ハルムスのなかに、もうひとつありますが、
これは小説です。
家のなかで見知らぬ老婆が死んでおり、
死体を始末するために七転八倒するお話。
ハルムスの特徴がよく現れている作品です。
以前翻訳したものが手元にあるのですが、
ちょっとネットで発表するには長いんですよねえ。
どうしたものだか。
ちょっとづつ連載してゆこうかな。
どう思います?
なああんてね。
皆さんにはどうでもいいことは充分自覚しつつ、
あえて問いかけてみましたよ。
寂しいと死んでしまうので。

そういえば、昨日の夜洗面台の前で、
眉毛をちょっとカットしたのですが、
無精者なのでそれを片付けないで寝てしまいました。
ところが。
今朝見てみたら、なんと!
私のカットされて洗面台の上に落ちた毛が、
自然と「K」の形になっていたのですよ!!!

これがその証拠写真です。

k.jpg


ちょっと判りにくいでしょうか?
よくよく目を凝らせば、「K」が見えてくると思います。
これ、偶然だとしたらすごいですよね??
神様からのメッセージかもしれません。
そして、「K」とはなにか?
それはもちろん、KUBOですよね。
間違いないと思うのです。
もうすぐ久保家の時代が到来するということでしょうか・・・
なんだか生きる希望が湧いてきました。
神様、素敵なメッセージをどうもありがとう。

ぺぺルマルジェーエフ

どこの町かはいわないことにするが、ある町に、フォーマ・ペトローヴィッチ・ぺぺルマルジェーエフという名の男が住んでいた。中背で、簡素な目立たない格好、大体はトルストイ風な灰色の上着と藍色のズボンで歩き、丸い鉄製の眼鏡を鼻にかけ、髪は分け目を撫でつけてあり、口ひげも顎ひげも剃っていて、それはもう完全に目立たない男であった。
 私は彼が何をしていたかさえ知らない。どこか郵便局にでも勤めていたか、または製材所でなにかやっていたかもしれない。知っているのはただ、彼が毎日5時半に家に帰ってきたことと、それからソファに横になって休み、一時間ほど眠ったこと。それから起きてきて、電気ポットでお湯を沸かし、穀粒パンでお茶を飲んだことだけである。

(1930-1931)


エミネムが、三ヶ月前に再婚したキムさんと、
また離婚するそうですね。

http://abcdane.net/blog/archives/200604/eminemu_kim_sairikon.html

オドロイタァ。
一度泥沼離婚したキムさんと再婚したときにも驚いたけれども。
エミネムは、何回キムさんと離婚すれば気が済むのでしょうか。
もうそろそろいろんなこと、わかってもいい時期だと思うんですが。

エミネムは、すごくはまった時期があって、
なかでも「キム」という曲は大好きでした。
その名の通りキムさんのことを歌った歌なのですが、
甘いラブソングとは決定的に路線を異としており、
とにかく罵りまくって、
最後にはキムさんの断末魔の声で終わるという、
エミネムの憎悪の妄想ソングなのです。
発声がすごくよくってね。
ネガティブな感情の大爆発なのに、なぜか爽快で、
キムさんの台詞(エミネムが自分でやってる?)も、
かなりピンポイントに笑いのつぼをついてくる感じです。
こればっかりは100回くらい聴きましたよ。
ここに歌詞が載っていますが、

http://www.lyricsstyle.com/e/eminem/kim.html

「キム」ばかりは聴いた方がいいです。
エミネムなんて下品で嫌いよ、と思っていましたが、
これ聴いて私は好きになりました。
もう本当、エミネムって天才かも。

それにしてもエミネムって、なんだかマネキンみたいな顔ですよね。
MTVでよく彼のPVを流していますが、
おどけていてもやっぱりちょっと薄気味悪い顔だなあと思います。
整っていて、ハンサムなんですけどね。
人間ぽくない顔ですよね。
色が白くて、時々水死体みたいな、
やせているのに妙なぶよぶよ感というか、
この人死んでるんじゃないかなあ的な気持ち悪さがあるのです。

eminem.jpg


夜トイレに行く途中、廊下に彼が立っていたら、
怖くて横を通り抜けられないかも。
私は誰かの曲を聴いてすごく気に入ると、
大抵ちょっと「結婚したい」みたいな気持ちになるのですが、
エミネムばかりは不思議とそういう気持ちになりません。
「恋人になりたい」とか、「彼の子供が欲しい」とか、そういうのもなし。
彼のアルバムを100回くらい聴いちゃうほど気に入ってるのに。
多分怖すぎるからでしょうねえ。
楳図かずおのマンガに出てきそうなんですもの。

まあ、だからこそ、逆に、エミネムは凄い、と言えます。
軟派な気持ちや邪念(笑)を一切抜きに、
こんなにアルバムを聞き込めるのですから。
純粋に音楽のみ。
やっぱり天才なんじゃないかなあ。

奥さんとまた離婚してしまうなんて残念ですけど、
今度また再婚するときが楽しみです。
エミネムは、キムさん以外とは結婚しないのかなあ。


ひとりぼっち

 私はひとりだ。毎晩アレクサンドル・イヴァーノヴィッチはどこかへ行ってしまい、私はひとり残る。女家主は早めに床に着いて、自分の部屋に鍵をかける。隣人は四枚ものドアの向こうに眠っている。私だけがひとり自分の小さな部屋のなかにすわり、石油ランプに火をともす。
 私は何もしない。犬の恐怖が私をとらえている。風邪から、インフルエンザにかかってしまったために、ここ数日私は家にいる。もう一週間も軽い熱が続き、背中が痛む。
 しかし、なぜ背中が痛むのだろう、なぜ一週間も熱が下がらないのだろう、なにを病んでおり、どうすべきなのだろう?こんなことを思い、自分の身体に耳をすませ、私はおびえはじめる。恐怖で心臓が震えだし、足が冷たくなる。恐怖が私の首筋をつかむ。これが何を意味するか、たった今わかった。首が下のほうに圧迫されており、これでほんの少し頭全体が上に圧迫されたら、自分の状況を把握する能力は失われ、気が狂ってしまうような気がする。体全体が衰弱しはじめる。衰弱は足からはじまる。
「もしこれが恐怖からはじまったのではなく、これから恐怖が始まったとするとどうだろう?」そんな考えが突然ひらめく。ますます恐ろしい。私はもう考えごとを脇にのけておくことすらできない。読書しようと努める。しかし、私の読んでいるものは突然透明になり、私は再び自分の恐怖をみる。アレクサンドル・イヴァーノヴィッチが早く来てくれればいいのだが!しかしあと二時間は、彼を待っても無駄だろう。今彼はエレーナ・ペトローヴナとデートしていて、愛について自分がどう思っているか、彼女に説明しているところだ。

(1932)


ハルムス、無題の自伝的形式の小文。
ハルムスは1931年に一度逮捕されて、
最初は三年の流刑を命じられるのですが、
のちに減刑され、実際にはクルスクで五ヶ月ほど収容所暮らしをします。
この小文はこのクルスクにいる間に書いたものです。
アレクサンドル・イヴァーノヴィッチとは、
一緒に逮捕されて同じくクルスクに島流しにあった、
オベリウの同志、親友のフヴェジェンスキーのこと。
エレーナ・ペトローヴナは、おそらく、
やはり一緒にクルスクに流刑されていた、
女流画家のエレーナ・ヴァシーリエヴナ・サフォーノヴァだとされています。
ちょっと名前が違いますけどね。
ハルムスには特徴的なことだそうです。

ひとり、ということはどういうことだろうと、
私は時々考えます。
ハルムスは意外と、孤独な人ではなかったようです。
小さな頃はお母さんや伯母さんや姉妹の中で、
たった一人の男の子として(多分)大切にされて育ちましたし、
おおきくなってからはオベリウという創作グループの中で、
ちゃんと志を同じくする仲間を見つけることが出来ます。
友人もいますし、恋人も、のちに妻になる女性もいました。
けれど、ハルムスの作品の中には、
抑えがたい孤独や恐怖や苦痛が、
淡々としたリズムのなかに否応もなくにじみ出ます。
そうして結局、彼は独房のなかで、
一番恐れていたであろう形での死(精神病院独房での餓死)を迎えるわけですが・・・
引き寄せられたかのように。

話は変わりますが、
桜が満開ですねえ。
今日の雨でだいぶ散ってしまうかもしれませんが、
これぞ春って感じ。
庭のチューリップやムスカリも良い感じに咲き誇っています。
嬉しいなあ!
きれいな季節になってきたもんです。
はやく夏になって欲しいです。
寒いのはもうイヤッ

神様

君はどこ?
僕はここ。
君のガールフレンドはどこ?
ガールフレンドはお客にこなかったんだよ。
君の大きな本はどこ?
本は棚に隠してあるよ。
なんで本を棚に隠したのさ?
ああ、たんなる間違い。
もさもさした雑巾で
僕は椅子から埃をぬぐった。
食べ物のまわりで
ハエが飛ぶのを僕はながめている。
いろいろな、大切なものの上に
いろいろな、汚らしい跡を残してゆくところを。

(1933年8月24日)


ハルムスの無題の詩です。

君というのは誰だろうか、と考えているうちに。

国の数だけ色々な風習があるもので、
ロシアにいてもオランダにいても、
随分ビックリするようなことがありましたが、
そのうちのひとつに、
「ロシアでは神とタメ口で対話する」というものがありました。
これ、トリビアの泉に投稿したいくらいなんですけど。

ロシア語には、日本語と同じく敬語があります。
人称代名詞は日本語のように多くありませんし、
敬語からタメ口に移行するプロセスが日本人よりうんと早い気がしますが。
ロシア語の敬語の二人称ВЫ(ヴィ)は、もともとあなたたち、という意味で、
それを個人に向けて使うとき、敬語になります。
タメ口二人称はТы(トィ)です。
友達と話すときに、「お前さー」とかいうのは、このТыです。

ところで、神様と話すときにつかうのは、このタメ口のほうなのです。
日本では、神様には普通敬語で話しかけると思いますが、
ロシアでは
「助けてくれ」「許してくれ」と、友人に話すように話しかけます。
神様をお前(または君)呼ばわりするのです。
これには驚きましたねえ。
神様と友達づきあいしているみたいじゃありませんか。
どういう言葉で話すかって、
やはり関係を決定しますから、
神様に対する姿勢なんかも違ってくるでしょうね。
ロシア人は日本人より神様と対等なのかもしれません。

ロシア文学の翻訳をみてみると、
神様に話しかける場面があると、だいたい普通は、
敬語に置き換えて翻訳しているようです。
やっぱり日本人の心には、
神様とは敬語で話す方がしっくりくるからでしょうね。
もっとも、神様と対話する機会は、
日本人の方がロシア人よりもぐっと少ないかもしれません。
革命が起こって、子供が唯物論を学校で教わるようになるまでは、
ロシア人というのは大層信仰心の厚い民族だったようです。
ペレストロイカ以降、社会主義体制が崩壊してからは自由になって、
ロシア正教会に通い始める人が急増しているとか。

一方日本人の信仰心のなさというか、
宗教的な節操のなさは面白いですよね。
全部まぜこぜで、あまりこだわらないし、
素敵ならクリスマスもオーケーよ、みたいな。
八百万の神ってこういうことなのでしょうか。
サンタも仏陀もキリストもいるような。
私は日本人のそういうところが好きですけど。





 カルーギンは眠りに落ちて、あた・かも彼は潅木のなかにすわりこんでいて、その潅木のそばを警官が通り過ぎる夢をみた。
 カルーギンは目を覚まして、口をカリカリ掻き、また眠りに落ちた。そして再び、あた・かも彼は潅木のそばを通り過ぎていて、潅木のなかには警官が隠れてすわっている夢をみた。
 カルーギンは目を覚まし、枕をよだれで汚さぬよう、頭の下に新聞紙をひいた。そしてまた眠りに落ちたが、再び、あた・かも潅木のなかにすわりこみ、潅木のそばを警官が通り過ぎているような夢をみた。
 カルーギンは目を覚まし、新聞紙を替えて横になり、また眠りに落ちた。眠りに落ち、また夢をみた。あた・かも彼は潅木のそばを通り過ぎていて、潅木のなかには警官が隠れて座っていた。
 ここでカルーギンは目を覚まし、もう眠るまいと決めたが、その途端に眠りに落ち、あた・かも警官の前にすわっていて、そばを潅木が通り過ぎているような夢をみた。
 カルーギンは叫び声を上げ、ベッドの上でのたうちまわったが、目を覚ますことはもう出来なかった。
 カルーギンは四日四晩ぶっ通しで眠り続け、五晩めに目を覚ましたときには、長靴を紐で足にくくりつけないとぬげてしまうほど、やせ衰えていた。カルーギンがいつも小麦パンを買うベーカリーでは、彼のことがわからず、ライ麦パンをよこした。アパート中を歩き回っていた衛生委員会は、カルーギンをみるなり、非衛生的でどこにも益をもたらさぬ人物であるとし、カルーギンをゴミと一緒に放り出すように賃貸住宅協同組合に命じた。
 カルーギンは二つに折りたたまれ、ゴミのように放り出された。

 1936年8月22日
プロフィール

Kachika

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