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セローフ

画家と時計

 画家のセローフは脇水路へ向かった。何故彼はそこへ向かったのか?ゴムを買うためである。何故ゴムを?自分用に小さなゴムを作るためである。何故小さなゴムを?ひっぱり伸ばすためである。そう。まだ何か?それではもうひとつ。画家のセローフは自分の時計を壊した。時計は正確だったのに、セローフはそれを手にとって、壊してしまった。それからまだ何か?何もねえよ。何もないし、これでぜんぶだ!それから自分の汚い面を、いらないところに、つっこんでくるんじゃねえよ!ああ、神様仏様!
 ひとりの老婆が住んでいた。生きて、生きて、囲炉裏で焼かれた。ざまあみろ!画家のセローフは、少なくとも、そう結論を出したが・・・
 おや!もっと書きたかったのだが、インク瓶がどこかへ失せてしまったよ。

(1938年 10月22日)


ははは。
罵ってるなあ。
このわけのわからない爆発は一体なんだろう。

ちなみに、セローフというのは、実在のロシア人の画家です。
ヴァレンティン・セローフ。
レーピンの弟子で、師匠のレーピンほど有名ではありませんが、
熱狂的なファンを持つ天才的な画家です。
レーピンほど有名になれなかったのは、
おそらく、時代が悪かったんでしょうね。
でも、日本ではもしかしたら、
レーピンなんかもローカルな作家に入っちゃうのかな。

Serov-thumb.jpg

セローフの絵

セローフが生まれたのは、1865年。
ハルムスは1905年生まれですから、
まあ、セローフのほうがだいぶ年が上ですね。
二人ともペテルブルグ出身です。
この文章が書かれたとき、
セローフはもう押しも押されぬ大物作家だったでしょうから、
この文章を読んで、一体どういう反応をしたのでしょう。

あ、セローフは1911年没でした。
ということは、この時とっくに亡くなっていますよね。

あ、しかも、この文章が最初に発表されたのはパリですね。
1985年のことです。
ということは、やっぱり、
ハルムスさえも亡くなっていますよ(笑)
死後発見されて、奥さんによって保管されていた原稿ですね、多分。

ロシアの作家がロシア国内で自由に著作物を出版できるようになったのは、
本当にここ最近なんですよね。
ブルガーコフもハルムスもソルジェニーチィンも、
みんな海外で出版しているのです。
もっとも、闇では出回っていたらしく、
私の演劇学校時代のロシア語の先生は、
大学生のとき、
ボロボロになって読み古されたブルガーコフの闇本が、
さらに回し読みされていて、自分も読んだと言っていました。
そんな時代もあったんですねえ。
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驚き

驚きの猫

不運な猫が 前足切って、
座りこんだまま ひと足踏むこともできないの。
猫の前足 治すなら、
はやく 風船 買ってこなくちゃ!

そうしたら すぐ そこらじゅう 人があつまって、
わいわいがやがや、叫んだり、猫を眺めたり。

猫が はんぶん 歩きながら、
はんぶん 空を ぷかぷか 飛んでるんだから!

(1938)
koshika.jpg


私は子供の頃から猫が欲しくてほしくて、
しょっちゅう母親にお願いしていましたが、
アレルギー性鼻炎だったり、
無精者で面倒をみなさそうだったりして、
母親から猫に関しては拒絶ばかりされているのです。
でもねえ、欲しいなあ。
猫じゃなければ、象亀でもいいんですけど。
犬はね、ちょっとイヤですね。
大きすぎるし、面倒くさそう。精神的に。
その点、猫は9つの命を持っていますからねえ。
亀もまた、長生きなんですってね?
1000年生きるっていいますし。
一生一緒に暮らせるのはいいですよねえ。

そういえば、前にインタビューを読んだのですが、
黒柳徹子さんはアイボを飼っているらしいですよ。
死なないからいいんですって。
だからってアイボはないだろうと思うけど、意外といいのかも。

私の住んでいる家の近くに、
野良猫が住んでいたのですけど、
この猫が非常に人懐こくて、
バイトの帰りやなんかに坂を登ってゆくと、
あとをついてきて、私の顔を見上げてニャアニャア鳴くのです。
それが本当に話しかけているみたいな鳴き方で、
二十歳のときの私だったら確実に誤解して、
この猫はどこかに私を案内しようとしている、とか、
そういう思い方をしてしまいそうな鳴きかたなのです。
まあ、結局、ナンカクレヨということでしょうけどね。
ただ最近、ふと気がつくと、その猫がいないんですよ。
いつでもいないのです。
どこかに連れていかれちゃったかな。
人懐こい猫でしたからね。
・・・保健所じゃないといいけれども。

それにしても、猫が欲しいなあ。

4つの素描

新しい考えが、いかに準備の出来ていない人間を唖然とさせるかについての、4つの素描

                ?
作家: 私は作家だ。
読者: 私が思うに、あんたはゴ・・・オだ!
(作家はこの戦慄すべき新しい考えに数分間立ち尽くし、意識を失って倒れた。
彼は運ばれてゆく)

                ?
画家:私は画家だ。
労働者:俺が思うに、あんたはゴ・・・オだ!
 (すると画家はシーツのように血の気を失い、
  葦のごとくゆらゆら揺れ、
  図らずも死に至った。
  彼は運ばれてゆく) 

                ?
        作曲家:私は作曲家だ。
 バーニャ・ルブリョフ:わしが思うに、あんたはゴ・・・オだ!
 (作曲家は重苦しく息をつきながら、そのまま息絶えた。図らずも彼は運ばれてゆく)

                ?
  化学者:私は化学者だ。
 物理学者:私が思うに、あんたはゴ・・・オだ!
(化学者は二の句が継げず、どたりと床に倒れこんだ)。

(1933年4月13日)


Г(ゲー)ではじまり、О(オー)で終わる単語といったら何でしょう?
本文はГ・・・Оとかかれているのです。
わからないのでそのままゴ・・・オとしてしまいましたが、
ロシア人だったらわかるのかなあ。
государство(政府)くらいしか思い浮かびませんでしたよ。
全然人称じゃないし(笑)






パイプ

パイプ教授:   (出てきて)
  こんにちは、諸君!
  こんにちは、諸君!
  こんにちは、諸君!

諸君:
  こんちは、先生!
  こんちは、先生!
  こんちは、先生!

パイプ教授:
  ご無沙汰だったねえ!
  ご無沙汰だったねえ!
  ご無沙汰だったねえ。
 
諸君:
  これはまた どちらに いらしたんですか?
  どちらに 消えていらしたんですか?
  とちらから いらしたんですか?

パイプ教授:
  私は アメリカにいたし
  オーストラリアにもいたよ
  海で 泳ぎ        
  山に 登っていたよ。

  私は アメリカにいたし
  オーストラリアにいたよ
  北極にもいたよ

  海底にも もぐった
  灯りを 手に
  飛行船で 舞いあがりもした
  雲の 中に
  私は たくさんの鳥の巣をみたよ
  盛りのときの象みたいだった
  パイプを通して 星ぼしも見た
  星と月を。
  私は 小鳥たちの歌を聞いたよ
  南京虫が 呼吸するのも 目にした
  巨大な顕微鏡で
  虫たちを よくよく見てみたんだよ

 (1933年 9月20日)
  


このパイプ教授には、
発表されていない幾つかのバリエーションがあるようです。
発表されていない奴の方が面白いかなあ。

〈1〉
 教授: このわめき声をなんとかしてくれ
     私は教授で 老人なんだ
     ドンチャカ騒ぎには 向いてない
     わめき声には 倒れてしまうよ

みんな: 静かに!
     静かに!
     静かに!
     シャッ!

教授:  やっとのことで息をしながら座っとるんだ!
     ひげの先が震えておる。       
     水を 一杯くれ。

みんな: 静かに!
     静かに!
     静かに!
     シャッ!

教授: やっとのことで息をしながら座っとる!
    耳鳴り
    めまい
    神よ 神よ 救いたまえ!


〈2〉
パイプ教授:(入ってきて)
       こんちには!
       こんにちは!
       こんにちは!
       こんにちは!
 
  みんな: こんにちは!
       こんにちは!
       こんにちは!
       こんにちは!   

パイプ教授: 私は諸君のもとへ
       カツレツの国からやってきました。 

  みんな: そんな国はないようですが。

パイプ教授: それじゃ 私のいた国は 
       チョウザメスープの湖のあるところだったんだ。

  みんな: それもやっぱり たわ言ですよ。

パイプ教授: 申し訳ありませんがね、
       私は 自分で みたのですからな
       湖から 蒸気が
       まるい塊になって 空にのぼってゆくのを 
       そこに 住んでいる人々が
       スープをスプーンで味わってから
       水の中から ジャガイモをすくいだし、
       噛みくだくところを。
       私自身 スープを ためしてみましたよ。
       甘露の一語に尽きましたなぁ。
 
  みんな: そりゃあ 最高でしたねえ。
       しかし やっぱり たわ言ですねえ。


〈3〉
パイプ教授: こんにちは!
       こんにちは!
       こんにちは!
       こんにちは!

  みんな: こんにちは!
       こんにちは!
       こんにちは!
       こんにちは!

   教授: 私は有名な 科学の教授だ
       南アメリカから やってきたのだよ 私は
       みんな はやく わたしのまわりに座りなさい
       アメリカについて 話してあげよう 私が。

  みんな: 聞かせてください!
       聞かせてください!
       聞かせてください!
       聞かせてください!

   教授: 静かに!静かに!
       大声はいいから!
       質問をしたまえ
       私が君たちに答えよう。

 子供たち: あのことを 聞かせてください
       このことを 聞かせてください
       聞かせてください 聞かせてください
       ぜんぶ 聞かせてください 
    
   教授: 静かに!静かに!静かに!静かに!
       騒いだり わめいたり するんじゃない!
       質問をしたまえ
       私が君たちに 答えよう。

 ペーチャ: カバってなんですか?

パイプ教授: そりゃ あれだ・・・
       そりゃ あれだ・・・
       そりゃ あれだよ このぐらいの
       ドアも 通り抜けられないくらいの、
       そりゃ・・それは、それは、単に、
       それは単に 恐ろしい獣である。
         

戦車兵

戦車兵

息子が言った 
「聞いてよ ママ
ぼく 戦車兵になりたいな。
そしたら ぼく ファシストをさ、ママ 
散り散りバラバラに 粉砕してやる」。

「そうねぇ、坊や」母親はいう、
「あなたは 戦車兵にならなくちゃね」
息子は言った 
「もちろんだよ ママ、
ぼく 戦車兵にならなくちゃ

ぼく知ってるんだから、ファシストが
 四方八方から迫ってること。
 やらせておいて、やってやるんだ・・・
 奴らにガツンとくらわせてやる」。

「そうねぇ、チビさん」母親は言った、
「奴らにガツンとくらわせなきゃね」
息子は答えた 
「そりゃそうさ、ママ、
ガツンとくらわせなきゃ。

大人にならなくちゃね、もちろん、
 敵に弾を食らわせるため。
 子供は待たなくちゃね、もちろん、
 ただ ぼく 待つなんてできないよ」。

「そうねぇ、私のお友だち」母親は言った、
「待たなくちゃ、待たなくちゃいけないわよ」
息子は 答えた
「そりゃそうさ、ママ、
だけど待つのはひどく難しいね。

もし マルシャールが ぼくに 突然
『少年よ、何になりたい?』と聞いたら、
ぼく言うよ、『同志マルシャール、
ぼくは戦車兵にならなくてはなりません』って」

「そうね、私の坊や」 母親は言った、
「あなたは 戦車兵にならなくちゃ」
息子は答えた 
「そりゃそうさ、ママ、
 今すぐ ならなくちゃいけないんだよ。
 壕をとびこえて 僕らの戦車が
 ファシストの方へ 動き出すんだ・・・
 わかるでしょ、ママ、ファシストを打ちまかすため
 僕は いつでも、いつでも 準備は出来てるんだ」

母親は言った 
「敵を打ち負かすため
いつだって、坊や、準備しておくのよ」
息子は言った、
「もちろんだよ、ママ、
 僕は いつでも、いつでも 準備は出来てるんだ」

(1938)


今日はなんだかハルムスっぽくないなあ、と思ったあなたは、
正しい。正しいのです。
今日は、クヴィトコというユダヤ詩人の作品を、
ハルムスが翻訳した作品を、私が更に翻訳しました。
・・・まあ、なんといいますか。
意味はないかもしれませんが、
こういうこともやっていたということで。



巨匠とマルガリータ

 お客

 お話を考えてごらん

ネズミが僕に お茶でもいかがって
新しいおうちに さそってくれた。

なかなか おうちに はいれなくって、
やっとのことで はいこんだのさ。

さあ、今度は あなたが 話してみて
なんでか そして どうしてか。

家でもなく、 お茶でもなく、
文字通り なんでもなく!

ダニール・ハルムス(1938)


ユーゴ・ザーパド劇場の『巨匠とマルガリータ』、
やっぱり良かったです。
複雑怪奇な内容がよく整理されて、
あの世界をほぼ表現していたし、
作品の個性が劇団の個性によくあっていました。
ブルガーコフの原作自体が難しいので、
原作読まずに来た人にはちょっと理解するまで大変かもしれませんが、
よく舞台化したよなあ、と感心したし、
なかなか面白く仕上がっていたと思います。
ユーゴの演出家はモスクワの端っこの、
ちいさなアマチュア小劇団をメジャーに押し上げたほどの人ですから、
やはりすごく技量があるのだなあ、と感じました。
 
ただ、やはり、ポンティ・ピラトの物語と
現代の悪魔の物語を結ぶ線について、
どうも解釈があいまいだったし、独自の解釈って訳でもなく、
結局よくわからなかったのが残念でしたが・・・

俳優さんたちも、面白かったです。
もともとここの俳優さんたちは、個性が強くて、
演技が黒テントみたいなんですが、
その異形性への志向というか、
それがもう、ブルガーコフにぴったりで。
もう一度観たいですねえ。
ただし、もっと小さい小屋で。

もともとユーゴの劇場がアートスフィアより大分小さいせいか、
または俳優たちの大半がきちんとした俳優教育をうけていないせいか、
多くの俳優の声が枯れているか、
枯れても当たり前の悪発声だったことが気になりました。
それに、劇場空間が広すぎて、やはり拡散したような雰囲気がありましたよ。
滅多に反応を見せず、色々な仕掛けに食いついてこない日本の客に、少々不安が募っているようにも見えました。

一緒に劇場に行った知り合いは、
モスクワにいたときユーゴに通いつめていたので、
『巨匠とマルガリータ』も何度も観ているそうですが、
やっぱり宴のシーンとか、もっと怖かったと言っていました。
裸の男の人が踊り狂って、人殺しの女の人達は叫んで、
もう衝撃だったって。
ちょっとアートスフィアだと、そういうのは難しいですよね。
人員を増やしてくれればそれもいいけど。

あ、裸の男の人といえば、
もうロシア人の裸がねえ、綺麗なんですよ。
足が長いし、背が凄く高くて、すらーっとしてて。
宴のシーンで、顔をマスクで隠した男の人達が、
ハイレグ姿になって皆一列に踊るんですけど、
ふと見ると、体の格好のいい人が中央に集められ、
ちょっとぽっちゃりチビデブ系は脇の方で目立たないようになっていました。
明らかに数合わせだし(笑)
やっぱり演出家が、すみずみまで気を配っていましたねえ。
女の人も、半裸体の人がいるんですけど、
ユーゴの主演女優のひとりで、これがまた。
すごくきれいですよ、体の形が。
そういう意味でも見る価値あり。

色々な意味で、でもやっぱりいい舞台でした。
今度はモスクワで見たいなあ。








建築家

建築家

カブルコフ: マリヤさん!

  マリヤ: 私を呼んでいるのは誰?
       八年の間 物音ひとつ聞かなかったのに、
       突然 私の耳のなかで
       秘められたネジが廻りだす。
       荷馬車の轟音がきこえるわ
       そして警護兵が代わるとき、かかとの後ろを打ち鳴らす音。
       二人の大工の話し声も聞こえる。
       ほら、一人は「マルバタバコ」と言っている。
       もう一人は、ちょっと考えて、「スープときび粥」と答えた。
       空中でモーターボートがブンブンいっている音が聞こえる。
       風によって屋根が壁をパタパタ叩いている音が聞こえる。
       誰かの小さな囁き声が聞こえる。「マーシャ!マーシャ! 」って。
       八年の間 何も聞かずに生きてきた。
       それなのに、私を呼んでいるのは誰?

カブルコフ: マリヤさん!
       きこえますか、マリヤさん?
       ぐずぐずしないで、
       下におりてきて、ドアを開けてください。   
       私はもう、ヘトヘトなんですから。
       はやく、はやくドアを開けてください!
       暗闇では人間はみな獣だ。

  マリヤ: 自分じゃあ決められないわ。
       私の主人は建築家なの。
       彼に聞いてみてください。
       もしかしたら、いいって言うかもしれないし。

カブルコフ: おお、訳のわからん平静さよ!
       まさか耳に入らんわけじゃないでしょう、
       すぐ近くでおこなわれている大規模な戦闘の轟きや、
       押し合いへしあいの恐怖で沸きかえる家からの興奮が、
       群集の悲鳴、恐ろしい戦い、
       泣き声、うめき声、
       静かな祈り、
       空の下の短い銃声が。

  マリヤ: 扇動しようったって、無駄ですよ。
       私と何の関係があるの、・・・馬や剣が?
       ここからどこへ行けっていうの?
       私はここにいるわ。
       花嫁なんですもの。

カブルコフ: 契りの枷の本分には
       ことさらの趣あり。
       露ほどの小心ももたぬ者のみ、
       むなしきよしなしごとを捨て
       ミューズの救いを刹那に求めつ
       大いなる狩りの野を駆ける。

  マリヤ: ごらんなさい!
       建築家があなたの胸を狙っているわ!
     
カブルコフ: 人殺し!
       お前の番も遠くないぞ! 

           (建築家は発砲する)

  マリヤ: ああ!
       青灰色の球で煙が空気を切り開く! 

  建築家: 道は清められた
       朗らかな日が訪れよう。
       家は終焉する、石の君主よ。
       高さと重さの調和が従う。
       目を凝らせ、歓喜せよ!
       御影石の堅い額が、
       書物によって時を蝕み、
       防壁をうちたてた。
       軽快な窓列を見下ろし、
       高みでは、嵐の女友だち、
       屋根が彼らの前に広がっている。
       空中の旗が撃たれる。
       賞賛と栄誉を建築家へ!
       我こそは、建築家である。

(1933年 春)    
 

明日、とうとうユーゴ・ザーパド劇場の『巨匠とマルガリータ』日本公演を観にいきます。

http://www.tennoz.co.jp/artsphere/yugo_top.html

モスクワで昔すごくお世話になった人がいて、
その人が一緒に行かないかって誘ってくれたのです。
昔、随分その人はユーゴ・ザーパド劇場にはまっていて、
私も一緒に何度か劇場に足を運んだもんですが・・・
この劇団の『巨匠とマルガリータ』は傑作という呼び声が高くて、
チケットを手に入れるのがなかなか大変だったものですから、
実は私、初めて観るんですよね。
うおおおおお、超楽しみ
しかもたぶん、字幕つきですよねえ。
すごい贅沢だ!

テレビシリーズ『巨匠とマルガリータ』では、
わたし、悪魔のヴォラント氏を演じたおじいちゃん俳優に甚だ不満でした。
ヴォラント氏っていうのは、
もう外見からはっきり奇妙じゃなくちゃいけないと思うんですよ。
もっといえば、ヴォラント氏は、
ハルムスに似ていなくちゃいけないと思ったりするのです。
    
20060224234905.jpg


だから、テレビシリーズの、
あの挙動不審なだけの普通のおじいちゃんはちょっとねえ。

私は昔、空港で知り合ったロシア人の教授を、
そのまま家に連れてきて、泊めてしまったことがあるのですが、
ハルムスでなければ、この人が、私の中でのNO.1ヴォラントですね。
私がキャスティング担当だったら、是非お願いしたいです。

身長はおよそ2メートル。
アルコール臭のただようグダグダのスーツ姿。
眼鏡の奥の、ちょっと無表情な目と、
いつでも笑っている薄い口元。
大声で、知っている日本の単語を連呼する、
やたらとインチキくさくも奇妙奇天烈な物腰。
私の知っているなかで、一番変な人といえば、
間違いなくこの人でした。

休暇で日本に向かう飛行機で隣り合わせたのがそもそもの出会いなのですが。
成田に着いて、なんだかずっとウロウロしているので、
「大丈夫ですか?」と声をかけたところ、
バスのチケットを買って夜行で京都に行きたいって言うんですよね。
水資源関係の学会があるとかで。
で、じゃあ手伝いますよ、といって、二人でチケットカウンターに行ったのです。
すると、その先生は受付の女の人に向かって、
「ワタシィハ、ニコライ先生デス!水ノ学会ニイキマス!」
と絶叫したんですね。
「はあ」と女の人はいってましたけどね(笑)。
思えば、この絶叫に私はやられたんでしょうねえ。

割り込んで事態を整理したところ、
夜行バスの切符はもう売り切れで。
他の可能性も探ってみたのですが、
その日じゅうに切符を手に入れられる可能性はないということでした。
ニコライ先生は学会の招聘部にいけばお金を貰えるというんですが、
その時現金はあまり持っていなくて、
できればホテルに泊まりたくないというものだから、
つい、
「じゃあ、うちに来ますか」と言ってしまったのです。
善きサマリア人ですね。

もちろん、私は人間嫌いだし、
普段は絶対そんなお人好しなこと、しないんですよ。
だけどその時は何故か、
このニコライ先生の強烈な個性に、
吸い込まれたようになっていたのです。

もともとファンタジーというか、
非日常的なことに弱いんですよね。
自分が平凡で地味だからだと思うのですが、
ゲイパレードなんて観にいくと、
自分があれの一員で、
あとに一緒についていけたらどんなにいいかと思ってしまうのです。
あとサーカスとか、手品とか。広義ではダンサーとか?
だけど、絶対にあれの一員にはなれないし、
そういう風に生まれついてはいないし、
自分が入ったら雰囲気を下げると思うし。
憧れだけが募るのです。
その私の心に、ニコライ先生はスパーンと入ってきたのですよ。
それはもう、ムチャクチャ奇妙でしたから。
バスのなかでも、都心がみえてきた瞬間にエキサイトして立ち上がり、
写真を撮り始め、バランスをくずして転がったりね。
二メートルの巨体ですから、転んだときは怖かったです。

そうして、つれて帰って、案の定後悔しました。
ニコライ先生には、
エネルギーが泉から湧き出ずるように、無限にあるのです。
私は体が弱くてすぐ疲れてしまうので、
旅を終えてうちに帰ってくると、必ず熟睡するのですが、
「日本を見たい。これから行きたい
なんて家に着いた直後に言い出すのですよ。
それを近場の多摩の景色をみせてお茶を濁し、
なんとか夕食までこぎつけましたが、
そこからがまた長かったー・・・。
ニコライ先生はしゃべりぱなしで、深夜を過ぎても解放してくれません。
おまけにうちの母親がまたしゃべりっぱなしで、
いちいち通訳していたら気が狂いそうになりました。
あんな話の長い人間同士のトークバトルを、
通訳なんか絶対出来ませんよ。
米原万里さんでも出来ないと思う。
だんだん支離滅裂になってくる私の日本語とロシア語に、
母親は不審げな表情になってくるし、
ニコライさんはかまわず押し捲るし。
家中の酒を飲みつくし、テーブルの上の食事を全部平らげ、
まあ私はロシア人男性は勧めれば底なしに受け入れると知ってますから、
そりゃあそうだろう、と思ってましたが、
母親の目が痛くてねえ。
どんな罪と罰だったのでしょうか?あれは。

次の日、ニコライ先生を新幹線の駅まで送っていったのですが、
結婚を申し込まれまして。
すいません、彼氏がいるんです、オランダ人なんです、
と仰天しながらいいましたら、
「あなたが早く結婚してしまえばいい。
 私は苦しい。もうすぐまた日本に行くから、会ってほしい」と
メールが来ました。
ニコライ先生は45歳・独身だったのですが、
そんなこと、あとからわかったのですよ。
ロシア人は老けるのが早いですから、
家につれて帰ったときには、55~60歳くらいかと思ってましたし。
当然、結婚もして、孫でもいるかな、くらい思っていたのです。
結婚とは。
びっくりしました。
まあねえ、女性が自分の家に男性を招いて泊めるなんていうことは、
言われてみれば、「OK 」のサインだったかもしれませんね?

そんなこんなで、メールには断固返事を出さず、
電話にも出ず、居留守を使いまくり、
なんとか逃げ切ったわけですが、
今でも思い出すと、
ドン引き8割、郷愁2割です。
惹かれる気持ちは、バカみたいですけど、やはりあるのです。
もし私がロシア人だったら、ああいう奇妙さを拒絶しないで、
ちゃんと受け入れることもできたかも。
いや、もちろん、友達としてね。
ロシア人って言うのは、どこかそういう大きいところがありますからね。
だけど、やっぱり私は日本人で、
ちょっとああいうエネルギー体は怖くて、ついていけないし。

そんな人に是非おすすめなのが、
このユーゴ・ザーパド『巨匠とマルガリータ』。
日常のなかで奇妙奇天烈さを受け入れることが出来ず、
なおかつ憧れ続けるならば、
せめてお芝居でも観るよりほかはないじゃありませんか。
皆さんも是非。是非。
日本におけるロシア演劇市場を少しでも広げるためにも(こっちが本音?)。

明日のヴォラント役者が楽しみ。
どんな人が演じて、どんな演技をするのかしら。
あの奇想天外なお話を、どう舞台化しているのかしら。
たぁぁぁのしみ!






調書

 ミローノフは路面電車に乗って行ったが、行く先まではたどり着けなかった。何故なら、途中で命を絶ったからである。
 ミローノフが乗っていた路面電車の乗客は、警官を呼び、ミローノフの死は変死ではない旨を調書にとるよう要請した。
(1934-1936)

六ヶ所村ラプソディー

Ohne 水車

腕 折れた
ナイフ 落ちた
香水 ため息
スプーン 光った
また アンドローニィ
憂鬱に 立ってた
すこし 青
すこし 栗色
呼んだのは 口笛吹いたのは
彼らのしたの 地面
犬の魂よ
身体 折れた
地面に クラック
軽く 息。
アンドローニィは ゆく
足をふりながら

(1931年 1月)


今日、多摩の映画館で『六ヶ所村ラプソディー』(鎌仲ひとみ監督)
を観てきました。

http://rokkasho.ameblo.jp/

パルテノン多摩で上映していたのです。

六ヶ所村で、もうそろそろプルトニウムの再処理工場が稼動を始めるようです。
20年くらいは大勢の人が大反対して、
大反対市民運動に発展したようですが、徐々に寂れて、
やっぱり最後は金で権利を手放したり、
仕事がなくて再処理工場で働くことにしたり、
工場は出来てしまったし、
大金は投入されているし、
もうあとはスタートするだけなのだから、
やるしかない、仕方ない、という話のようです。
受け入れざるを得ない状況になっているようですね。
いま実質的に反対運動をしているのはほんの数人だということでした。

こういう記録映画というか、ドキュメンタリーフィルムを観ると、
いつも追い詰められたような気持ちになります。
原発とか、イラク戦争とか、劣化ウラン弾とか、温暖化とか。
話を聞いていると、50年後には必ず人類は滅びている気がします。
実際、50年後の人類って、50年前の人類より、
確実に病的で不健康だと思うし。
地球は破滅に向かってひた走っていて、
自分もその遁走の大車輪を動かす歯車のひとつだと、
激しく意識せざるをえないわけなのです。
自分は関係ない、と思っていても、
実は関係していて、しかも加害者側に関係している。
別に選んでその仕組みに組み込まれているわけではなくて、
ただ生まれた時からそうだったからそうなっているんですけど。
じゃあ別の生き方を知ってるかといわれると、
知らないし、知らないから出来るかどうかわからないし。

もちろん、原発はいけない。
プルトニウムを海や空気に微量づつでも垂れ流すなんて、とんでもない。
六ヶ所村付近の野菜や米は今後絶対食べたくないし、
自分や家族や友人が白血病になったりしたら、すごく怖い。
とはいいつつも、
こうしてパソコン叩いているのも、電力だしねえ。

そうして、私の小さい頃からずっと、
正論は負け続けているのです。

クルイロフの寓話に、
『狼と子羊』というのがあるのですが、
それは、
「強いものの前では、弱いものはいつでも間違っている」
というので、
お腹がすいた狼が、
なんのかんのと難癖をつけて子羊を暗い森の中に引きずってゆくという話です。

多分、六ヶ所村の敗北は、
狼が羊を食べる、というのと、同じなんでしょうね。
それが私たちの動物としての本能に一番あっているから、
こんなに負けが込むんだろうなあ。

何かをやらない、というのは、よっぽど頭が良くないとだめなんだろうか。
映画に出てくる反対派の人達は、
みんなお金じゃなくて、子供のことや孫のこと、
自分の生まれ育った土地や仕事(農業や、漁業)のことを考えて、
地道に出来る限りのことをしている。
決して声高だったり、口だけだったりしないのに、
それでも敗れていくっていうのはどういうことなんだろう、と
思ってしまいますねえ。

日本は魚だけじゃなくて、昆布や貝や、
とにかく海の幸をたくさん摂取する国なのに、
その海の中に配管して、核廃棄物を捨てる、っていうのは、・・・
再処理したプルトニウムは、陸路で日本中に運ばれるって言うし。

でも、やっぱり、大きなお金が動くことだから、
白血病やガンで死ぬ日本人の子供ががんがん出てこないかぎり、
この流れは止まらないのかもしれません。

私は、もし政府が率先して、電力消費規制をかけたなら、
7月までクーラーを使わないとか、
使っても11時から20時までとかすれば、
別に結構普通に出来る気はしますけどねえ。
企業もちゃんとやるなら、私だってやるし。
自動販売機を全部撤去するとか、夜の営業を基本的に全部禁止とか、
お上がそう決めて、皆がやってれば、
日本人は結構普通にやると思うんですけど、
そういうもんでもないのかな。

日本で、住民運動が勝利を収めた例ってあるのかな?

まあ、そんなことを思いつつ。
日本人は、「男たちのYAMATO」とか観ていないで、
ぜひ「六ヶ所村ラプソディー」を観てほしいですねえ。
国を守るって本当はどういうことか、
定義の問題について、やはり考えざるを得なくなると思います。

ところで今回のこの映画、
文化庁の支援(つまり国からお金が出ている)でできていて、
パルテノン多摩の上映会のスポンサーは東京ガスだったのです。
どういうことなんだろう?
面白いですね。


ハルムス

長短短格詩

赤毛のお下げの女の子
斜面の下の影のなか 歩く
高いかかとも かまびすしく
椅子に座った 若者は
短刀と 二発の弾丸 投げ出して
束ねた鍵は 手もとに残した。

(1935-1937)

エヴァ ロシアンポップス

今日はちょっと毛色を変えて、
ロシアの現代音楽を紹介したいと思います。

まあ、ロシアの現代音楽は、
私が言うのもなんですけど、ちょっと野暮ったいですね。
どこでも同じく、ダンス音楽が栄えていて、
チープなアレンジ、セクシーダンス、適当な歌詞。
日本のテレビでよく見られるようなジャンクミュージックがロシアでも隆盛です。

私はロシアにいる間、
レニングラードというスカパンクバンド(これは凄い格好いい!)以外は
あまり聞かなかったのですが、
唯一気に入ってよく聞いていたのが、エヴァという女性ボーカルのアルバムでした。
http://www.rosianotomo.com/othervideo/eva.htm

あんまり気にいったので、
アマチュアミュージシャンである弟にお土産で買って帰ったら、
「安っぺええー」
と一蹴され、へこんだりしてね。

この人の凄いところは、音楽はユーロビートなのですが、
歌詞は中島みゆきだというところです。
私は中島みゆき、好きですからねえ。
ぐっと来てしまいましたよ。
歌詞はたとえば、こんな風です。

「あなたの瞳は夜のよう」

1 
 夜のような あなたの瞳を 
 どうか閉ざさないで
 非難でもいいから その灯りを私に 
 私は まえみたいに
 あなたの隣にいたいだけ 
 バカみたいな服と ストッキングと 口紅で 
 あなたがまだ愛して、信じて、覚えているもの全部のままで

(リフレイン)
逃げないで 会ってよ 
こんなにあなたを大切に思ってる
私はまだ あなたと呼吸を合わせていたいの

私は あなたにいった
「ふさぎこまないで お願い 許して 許して」
さようならを言うのも 忘れたまま

2 
あんなに長く残っていた雪が解けた
私の部屋の鍵がみつかって
私はもう どうしたらいいか わからない
さびしい
仲間といるときの 私にたいする 不機嫌も
すべて受け入れると 約束するから

(リフレイン)
逃げないで 会ってよ
こんなにあなたを大切に思ってる
私はまだ あなたと呼吸を合わせていたい

私は あなたにいった
「ふさぎこまないで お願い 許して 許して」
さようならを言うのも 忘れたまま


中島みゆきですよね?
曲はディスコって感じですけど、でも、メロディアスですよ。
エヴァの声がまた、いいんですよねえ。
ちょっと蓮っ葉な感じで。
神保町にある新世界レコード社
http://www.shinsekai-trading.com/
で手に入るんじゃないかなあ。
この、『未来からの来訪者』というアルバムは名曲ぞろいなので、
かの有名なロシアレコード屋をひやかしついでに、
是非聞いてみてはいかがでしょう?






期限どおりよこせ

期限どおりよこせ

 麦を よこせ 
 麻を よこせ
 綿を よこせ
 期限だぜ!
 どうせ どうせ どうせ、―
 これは もうけになるんだぜ。
 工場も 後ろについてるんだ
 工場が おれたちに 送ってよこす
 更紗 大ガマ 芝刈り機
 トラクターと脱穀機
 皮でできた丈夫な靴。
 お前も 工場に おくりだせ
 ただし いそいで
 ただし 愛想よく、
 期限ぴったりに
 必要なもの 全部。
  
(1931)

ナイト・ウォッチ

ブルドッグとダックスフント

骨の前に おすわり ブルドック、
柱にくくりつけられて。
ちっちゃなダックス 近づいた
額にちっちゃなシワよせて。
「聞いてよ ブルドッグ、ブルドッグさん!」
招かれぬ客はいいました。
「おねがい ブルドッグ、ブルドッグさん!
 その骨を 私に くださいな」。

ブルドッグは ダックスに うなりかけ、
「お前さんにやるものなんか ねえ!」
走った ブルドッグ ダックスのほうへ、
ダックス ブルドッグから 遠くへ。 

柱のまわりを ぐるぐるぐる。
ブルドッグのうなり声ときたら、ライオンみたい。
鎖が あたる 柱のまわりに、
柱のまわりに かちんかちん。

ブルドッグに 骨は もう
どうしたって 手に入らないよ。
骨をくわえた ダックスフント
ブルドッグに こう言いました。
「約束の時間だわ
 もう8時5分前じゃない。
 遅くなっちゃった! さよなら!
 鎖のうえに おすわり してなさい!」

(1939)


そのうち、『ナイト・ウォッチ』という映画が公開されるようです。
http://www.foxjapan.com/movies/nightwatch/

なんとこれは、ロシア映画なのです!
ハリウッド映画みたいなロシア映画第一弾らしいですよ。
ファンタジー映画というか、SFXを駆使したというかね。
これはすごい!
絶対観なくちゃ!
どんなものに出来上がっているのか、想像もつかないよ。
なんて思ったのですけれど、
公式サイトを見てみたら、なにやら怖そうです。
おどろおどろしいっていうか。
私はホラー映画とか、血とか肉とか、怖いのは本当にだめなのですが。

大体、ロシア人のつくる映画は、時々本当に痛そうでイヤになりますよ。
鞭打ちで背中に血がにじんでいるとか、
拷問とか、精神的にやられていく感じでも、
生々しい感じの痛さなんですよねえ。

まあ、どこの映画でも、怖いのはイヤですけど。
グロテスクだったらいやだなあ。
サイバーホラーとかいって、・・・ロシア人がサイバー?
それもよくわからないし。

だけど、4月1日からお台場で公開されるらしいので、
私は是非観にいかなくちゃと思っています。
ただ、お台場でしかやらないのかなあ?
あんなところまで行きたくないので、
多摩マイカルに来てくれないかなあと、
ちょっと思っているわけですが、
まあ、多摩マイカルには
「観たい映画はほぼこない」という法則もあることですし、
期待は出来ません。

お台場かあ・・・。
そうだ、これを読んでいる数少ない皆さんのうちの誰か、
私と一緒に『ナイト・ウォッチ』観にいきませんか。
映画館会場で是非お会いしたいものですね。

万国のブローグニキよ、集結せよ!

行ってもいいという方、コメント欄にコメントを。
・・・または、私のメルアドをご存知の方は、メールください。

騎士たち

騎士たち 

 老婆でいっぱいの家がありました。老婆たちは一日中家のなかをうろつきまわり、紙製のおもしでハエを叩いたりしておりました。この家の老婆は、全部で36人。いちばん達者な老婆はユフリョーヴァという名字で、他の老婆たちを仕切っていました。言うことを聞かない老婆がいると、その肩をひねりあげたり、足払いをくわせるのです。すると老婆たちは転げ落ちて、不細工な顔を打ち砕かれたりするのでした。ユフリョーヴァに罰を受けたズヴャーキナという老婆などは、打ちどころが悪くって、上下のあごを壊してしまったほどでした。ドクトルを呼ばねばなりません。彼はやってくると、白衣をはおり、ズヴァーキナを診察して、あごを直すことを検討するにはこの人は年を取りすぎとるね、と言いました。それからドクトルは金槌とのみ、ヤットコと紐を持ってくるように言いました。老婆たちは、ヤットコとのみがどういう格好のものだか知らぬまま、長いこと家じゅうを探し回り、道具に似ていると思うものを全部ドクトルのところへ持ってゆきました。ドクトルは長いこと毒づいておりましたが、ついに、必要なものをすべて手に入れると、全員に部屋から出るようにといいました。老婆たちは好奇心に焼かれながら、ほぞをかむ思いで部屋を出てゆきました。悪口雑言不平不満とともに、老婆たちが部屋からぞろぞろ出てゆくと、ドクトルは彼女らの背後で錠をおろし、ズヴャーキナに近よりました。
「さあてね」ドクトルは言って、ズヴャーキナをつかまえると、紐で固く縛り上げました。それからドクトルは、金切り声と悲鳴も気にせず、ズヴャーキナのあごにのみをたて、金槌でそれを激しく叩きだしたのです。ズヴャーキナはしゃがれたバスの声で叫び始めました。ズヴャーキナのあごをのみで砕いたあと、ドクトルはヤットコをつかみ、ズヴャーキナのあごをそれで挟んで、もぎとりました。ズヴャーキナは血を流しながら、わめき、叫び、うめきました。一方、ドクトルはヤットコともぎとったズヴャーキナのあごを床に投げ、白衣をぬいで、それで手をぬぐうと、ドアに近づいて開け放ちました。老婆たちは喚声をあげて部屋へなだれ込み、おのおのズヴャーキナやら、床に転がった血だらけの塊やらに、大きくみはった目を据えました。ドクトルは老婆をかきわけて出てゆきます。老婆たちはズヴャーキナのほうへとんでゆきました。ズヴャーキナは静かになりはじめ、見た感じ、死にかけているようでありました。ユフリョーヴァはその場に立ち尽くし、ズヴャーキナを見つめながら、ひまわりの種をカリカリかじりました。ビャーシェチキナばあさんがいいました。
「ねえ、ユフリョーヴァ、あたしとあんたもいつか死ぬんだねえ」
 ユフリョーヴァはビャーシェチキナをひっ転がしてやろうとしましたが、相手はその瞬間に脇へとび退きました。
「行きましょうよ、ばあさんたち!」ビャーシェチキナは言いました。「ここで何をするのさ?ズヴャーキナの面倒はユフリョーヴァにみさせておけばいいじゃないか、あたしたちはハエを叩きに行こうよ」
 老婆たちは部屋から移動し始めました。
 ユフリョーヴァは、ひまわりの種をかじり続けながら、部屋の真ん中に立ち、ズヴャーキナを眺めておりました。ズヴャーキナは静かになって、身動きもせずに寝転がっております。もしかしたら、死んだのかもしれません。
 しかし、筆者は、インク壷がどうしてもめっからないという理由のため、この小説をここで終わらせたいと思います。

1940年 6月21日 (金曜日)


ハルムス最後の作品群の中のひとつ。
この時期の作品は、すべて暗くて出口のない、
絶望的な感じに満ちています。
発想が非常に罰当たりになってきて、
普段にも増して、
残酷で、厳しくなってくるのですね。
理由もなく、意味もなく、老婆たちはひどい目にあい、殺されます。

この翌年、「敗北主義的発言」によって逮捕されたと書いてあるのですが、
非常な精神的危機は、もうすでに訪れていたのではないでしょうか。
追い詰められている雰囲気は出てますよね。

昨日の時点で訳し終えていたのですが、
なんだかブラックなのでアップするのをためらってしまいました。
ブラックユーモアは好きなのですが、
これは、ユーモアって感じじゃなくて、たんにブラックだし。

ロシアに文豪が次々と生まれた19世紀は、
実は検閲がひどく激しい時期でした。
不思議なんですけど、ロシア人の作家は、
弾圧が厳しければ厳しいほど天才的な作品を生み出すようだ、と、
大学のときの先生が言っていたのですが。
ただ、その影には、ハルムスのように、
身に受けた弾圧や拒否や希望のなさを、
作品に昇華できずに潰れていった作家が五万といるだろうと思います。
実際死んじゃった作家も山ほどいるわけですし。
ハルムスは20世紀の作家ですが、やはりその末裔ですよねえ。
生き抜けない、ということが、一体どういうことか、
日本に暮らしているとなかなか骨身にしみませんが、
国家の在り様や政治体制や経済や国際社会の動向や、
自分は関係のないようなずっと上のほうの枠組みで、
最初から運命が決ってしまうこともありえるのだ、と、
ロシアに暮らすうちに、しみじみ思うようになりました。
せいぜい日本がそうならないように、今のうちに頑張りたいですけど、
こればっかりはねえ。



お芝居

夫と妻の度量の違い

夫: 娘をムチでぶったたいてやった、今度は女房にムチをくれてやる。
妻と娘: (ドアの向こうから)べべべべべ!メメメメメ!
夫: イワン!侍従イワン!
   (イワンが入ってくる。イワンには腕がない)
イワン: は、ここに。
夫: お前の腕はどこだ、イワン?
イワン: 戦争の日々、塵芥のなかへ失せましてございます!

(1933-1934)


ハルムス中期の作品です。
・・・短いですよね。
メッセージとか、あるのかなあ。
べべべべべ!メメメメメ!って面白いですけどね。
ちょっと『北斗の拳』みたい。

今日は下北沢のOFF・OFFシアターに、
お芝居を観にいってきました。
ユニークポイント『しるし』。
高校時代の友達がでていたのです。
いやあ、懐かしかったわあ。
高校のとき、文化祭で一緒に清水邦夫のお芝居をやりましたが、
変わっていませんでした。
昔から舞台上でごく感じのいい人でしたけれどね。
ハンサムなんですよ。これが。

ただ、私の隣に座っていたおじさんが、
始まって3分くらいで寝始めたのです。
で、最初から最後まで寝息がプスー・・・プスー・・・と聞こえるから、
もう非常にイライラしてねえ。
心をかき乱されてしまいました。
寝ているのはこの人だけじゃなくて、
前の方でもおじさんがイビキをかいたし、
反対側の横手でもおじさんが寝ていたし、
私がつれてきた友達もコックリコックリ寝ていたし。
もうおやじはね、来るなと。
その前に、呼ぶなと。

お話は、病院のなかで、三人の女の人の生死にまつわる物語。
みんな死にかけているわけですが。
だけどねえ、横でプスープスー言われていたら、
舞台でいくら「私死ぬんだよっ」とか言われても、
本気になれませんよ。
お芝居は自然でしたし、
どの人もリアリティがあって良いと思いましたけど。
ただ、三本とも女の人が同じような感じで、
話も細部は違え、構造的には同じような感じで、
リアリティや主張はあるけれどファンタジーや詩は足りなくて、
ちょっと途中だれちゃいましたね。
隣でプスープスー言ってるし(しつこい)。

あまりしくじりのない舞台というか、
マイナスがないんだけれども、
だからといって胸を打つほどの自分の内面とのリンクは見つけられず。
私は舞台の上に、どうしても日常以上のもの、
自分が胸の中に確かに持っているけど、
決して外には表現しない感情を観たい、と思ってしまいます。
または、自分が憧れてやまないものとか、
自分では絶対に考えつかないこととか、
新しい世界の眺め方とか。
そういうのはあまりなかったですね。
社会の時間につくる箱庭みたいな話。
ただ、ホンは良く書けていたし、
役者さんたちも感じが良くて、やりすぎず、自然で、
ニュートラルでねえ。
そういう意味では観ていて怒りたくなるような感じは一切ないんですけど。
ただ、退屈ですなあ。
そこかしこで眠っていたのは、まあ、そういうことかもなあと思いました。
だからって寝ちゃあいかん。

















タルコフスキー

今日のハルムス。
やはり無題の、子供の詩です。

アマディ・ファラドンという音楽家がおりました、
アマディ・ニコライ・ファラドン。

彼がフルートを吹くときは、
テュ・リュ・リュ
カエルもはね踊る
トゥルリム
テュ・リュ・リュ、
トゥルリム
テュ・リュ・リュ、
トゥルリム!

彼がラッパを吹くときは、
トゥ・ル・ル
犬もはね踊る
ファラライ
トゥ・ル・ル、
ファラライ
トゥ・ル・ル
ファラライ!

彼がツィターを弾くときは
 ジン・ジ・リン、
ひよこもはね踊る
 トゥンドゥルン
 ジン・ジ・リン、
 トゥンドゥルン
 ジン・ジ・リン、
 トゥンドゥルン!

ニコライ・アマディ・ファラドンが
ティンパニィを叩くときは
 ドゥン・ドゥン
 ジリ・ドン
 ドゥン・ドゥン
 ジリ・ドン、
 ドゥン・ドゥン。

(1935年 11月) 


絵本にしたらよさそうですね。
誰か挿絵描いてくれないかなあ。

昨日はビデオで、
タルコフスキーの『ローラーとヴァイオリン』を観ました。
まだ大学生のときの作品ですって。
ローラー車の運転手と、
ヴァイオリンを弾くために苛められている少年の、
たった一日の交流を描いた映画。
男同士の、大人と子供の、理想的な関係が描かれていて、
大人が本当に大人として、厳然と存在しているので、
観ていてすごくほっとします。
子供があんな風になりたい、とちゃんと思えるような、
それでいてリアルな大人が出てくるのです。
私はすごく好きな作品です。

タルコフスキーといえば、もうひとつ好きな作品で、
「僕の村は戦場だった」という作品がありますが、
これ、私はロシアで観たのが最初でした。
というか、タルコフスキーは私にはまどろっこし過ぎて、
あんまり観ていないんですけどね。

戦争中に12歳の少年が、
大人以上に躍起となって戦争に参加し、
おさない命を落とす、というストーリー。
http://www.imageforum.co.jp/tarkovsky/bknmr.html

本題は『Иваново детство』といいます。
イワンの子供時代、という意味です。
日本に帰ってから、もう一度観たくなって、
しばらく探したけど、なかなか見つからなくて。
だって、
まさか邦題が『僕の村は戦争だった』だとは思わないじゃありませんか。
この邦題もなかなかインパクトのある良い題だと思いますが、
私はやはり、『イワンの子供時代』に惹きつけられます。
色々考えさせられる、深い意味のある題名だと思うのです。

普通、「子供時代」という言葉を使うときは、
大人としての「現在」から、振り返ってみての「子供時代」で、
前提としてその先があるのだ、という感じがするものです。
また、幸せだとか、笑いだとか、郷愁だとか、
そんな連想を誘う言葉でもあります。
ところがイワンには普通の意味での子供時代はなかったし、
また別の言い方をすれば、
少年スパイとして処刑死したイワンには、
子供時代しかなかったのです。

だから映画を観終わって、
あらためて『イワンの子供時代』という題名を目にするとき、
ぽっかりとした欠乏感というか、
あってしかるべきものが消えうせた喪失感で、
自然と胸がしめつけられるのです。
初めてこの映画を観たときには、
なんて凄い題名だろう、と思ったものですよ。
それが、「僕の村は戦場だった」とは・・・。
うーん、悪かないんですがねえ。
イワンが田舎ッぺえみたいじゃありませんか。
鼻垂らして大根かじっている姿が目に浮かびますよ。
東北でね。

20060313212749.jpg
本当は美少年イワン

『ローラーとヴァイオリン』も、
『イワンの子供時代』(あえて)も、
普通のタルコフスキーの映画は芸術過ぎてついてゆけない人に
お勧めです。
やっぱりしみじみ、いいなあ、と思います。
是非是非。

ロマンス

ロマンス

理性のきえた目で 彼は私を見つめる。 -
あなたの家と玄関は 私にはもう長いことお馴染みのもの。
暗紅色の唇で 彼は私にくちづける - 
私たちの祖先は 鋼鉄の鱗におおわれて 戦争へ行ったのね。

彼は 暗紅色の釘のブーケを 私に持ってきてくれた -
あなたの厳しいお顔は 私にはもう長いことお馴染みのもの。
ブーケの代償に 彼が望んだのは ただ一度きりのくちづけ -
私たちの祖先は 鋼鉄の鱗におおわれて 戦争へ行ったのね。

黒い指輪をはめた指で 彼は私にそっとふれた ―
あなたの黒い指輪は 私にはもう長いことお馴染みのもの。
トルコ風の長椅子に 私たちふたり なだれ込んだ ―
私たちの祖先は 鋼鉄の鱗におおわれて 戦争へ行ったのね。

理性のきえた目で 彼は私を見つめる ―
おお 星よ きえて! 月よ 蒼褪めよ!
暗紅色の唇で 彼は私にくちづける ―
私たちの祖先は 鋼鉄の鱗におおわれて 戦争へ行ったのね。

ダニール・ダンダン
10月15日 1934年


暗紅色の釘のブーケを持ってきた、というのは罪なくして流される血のシンボルではないか、という指摘があります。
また、繰り返される 私たちの祖先は鋼鉄の鱗に覆われて戦争へ行った、という一節は、十字軍の時代を想起させ、黒死病(ペスト)への連想をさそう、とも言われています。

今日、庭に狸が出ました。
狸ですよ。
動物園以外のところで初めて見ました。
びっくり!!!!
世田谷では絶対ありえないことですよねえ。
引っ越してきて、土地が変わるということの意味を実感しています。


パトルリョーバ

昨日は暇だったので、
ちょっと長めのテクストを訳してみました。

 私は皆さんに、ある魚に起こった、また正確には魚でさえもなく、パトルリョーフという人に、いや、より正確にはパトルリョーフの娘に起こった、あるひとつの出来事について物語りたいと思う。
 その誕生から始めることとする。ちなみに誕生と言えば、うちで床の上に生まれた・・・いや、これはまたのちほどお話ししたい。
 単刀直入に言おう。
 娘・パトルリョーヴァは土曜日に生まれた。この娘をラテン文字でMと呼ぶこととする。
 この娘をラテン文字でMと呼ぶことにしたところで、確認したい。

1、二本の腕、二本の足、住人に長靴を。
2、耳は目と同じものを持っている。
3、走るというのは、足もとからきた動詞である。
4、さわるというのは、手もとからきた動詞である。
5、ヒゲは息子にしかありえない。
6、壁に掛かっているものを、後頭部ではじっくり見ることができない。
17、6番のあとは17がくることに注意。

 イメージに彩りをあたえるために、この17項目を覚えておこう。
 それでは、5番目の項目に片手でよりかかり、このことから何がもたらされたかを見てゆくこととする。
 もしもこの5番目の項目に台車や砂糖や天然リボンでもって寄りかかろうものなら、「ああ、それから、またあれとこれと」などと言わねばならぬところであろう。 
 実際に想像してみよう。そして簡潔さを旨として、たった今想像したことはすぐ忘れよう。
 それでは、何がもたらされたのか、見てゆくこととする。
 こちらをご覧いただきたい。私はあちらをながめることとする。おや、私たちはどちらも、あちらを見ていますよ。
 正確にいうならば、私があちらを見るので、あなたは他の場所を見ていただきたい。
 次には私たちが見ているものを明らかにするとしよう。そのためには、私が見ているものと、あなたが見ているものとの個別性を、自らにじゅうぶん納得させなければならない。 
 私は家の片半分を見ており、あなたはもう半分の町を見ておられる。簡潔さを旨として、これを結婚式と呼ぼう。
 さてパトルリョーフの娘にうつる。彼女の結婚式は、ええと、いってみれば、その時分にとりおこなわれた。もし結婚式がとりおこなわれるのがもっと早めであったなら、私たちは、結婚式は予定よりはやく成立した、と言っただろう。もし結婚式がもっと遅くとりおこなわれていたら、私たちは『波だ』と言っただろう。なぜといって、結婚式は遅く執りおこなわれた訳だからである。
 17の項目、いわゆる羽、が揃った。その先へ進もう。

 
       その先は以前のものより太く
       なまずは灯油管より太い。
       スクリューはたまねぎより大きい。
       本はノートより厚いが、
       たくさんのノートは一冊のノートより厚い。
       これはつくえ 本より大きい
       これは丸屋根 床より大きい
       このつくえは 以前のものより大きい
       以前のものは たまねぎより高い
       たまねぎとは クシより小さいもの
       帽子がベッドより小さいように
       そのベッドは 本のはいった棚が
       おさまるくらいのものだが
       棚は
       帽子より深いし
       帽子は もっと柔らかい、
       スクリューとくらべたら。
       しかしミツバチは ボールより鋭い。
       おなじように 美しいのは
       この塀ぞいと
       こちら側の塀ぞいに生えているもの
       すべての本は スープよりしなやか
       耳は 本よりしなやか
       スープは 燈明より 水っぽくて油っぽい
       それでいて 鍵より重い。

       陳述
       うさぎには口ひげのかわりに両手。
       パパの後頭部にはキジバト。
       お店には四つのボタン。
       バラ園にタンポポ。
       サーベルにマカナシ。
       新聞に八つの記号。
       僕には尻尾がある。
       君にはゆりかご。
       巨人は帽子を持ってる。

            組み合わせ
       嘴つきの家。
       タタール人と子供。
       灯油の上の小船。
       髪の毛のないお皿。
       連続数のあいだのカラス。
       フォーファの破裂音と毛皮外套。
       八方ふさがりのカーリャ。
       手洗い器からルーマニア人。
       天使エルショーフ。

              逃亡
       雄鶏は水から逃げだした。
       ジャンはあごヒゲから逃げだした。
       釘はパラフィン紙から逃げだした。
       ムチはグラフィン(水差し)から飛びだした。
       剣はゴキブリから逃げだした。
       経験はコップの下からのりだした。
       天文学者はワタから逃げだした。
       鍵は細長く横タワっていた。

             組み合わせ
       嘴つきの家。
       タタール人と子供。
       灯油の上の小船。
       髪の毛のないお皿。
       連続数のあいだのカラス。
       フォーファの破裂音と毛皮外套。
       八方ふさがりのカーリャ。
       手洗い器からルーマニア人。
       天使エルショーフ。

              熟考
       これは鍛冶屋じゃなくて、バケツ。
       これは米じゃなくて、マス目。
       これは手袋じゃなくて、倉庫主任。
       これは目じゃなくて、ひざ。
       これは私が来たのじゃなくて、君だよ。
       これはお水じゃなくて、お茶。
       これは釘じゃなくて、ネジ。
       ネジであって釘とは違う。
       毛皮は光じゃない。
       片手のひとは 窓がひとつの部屋とはちがう。
       靴は爪じゃない。
       靴は腎臓じゃない。
       まったく同じく、鼻の穴でもない。

               結論

パトルリョーフ父さんの娘は パトルリョーフの娘さん
つまりパトルリョーフ父さんの娘は パトルリョーフの娘さん
もしそうなら パトルリョーフ父さんの娘は
       つまり パトルリョーフ父さんの娘さん。
       ほら娘、そして父親はパトルリョーフ
       娘はパトルリョーヴァ、父親はパトルリョーフ
       つまり娘パトルリョーヴァの父親はパトルリョーフ
       そして誰も彼が雄鶏だとはいわない
       それは反自然的なことであろう。
         
(1930)

哲学をパロディーにした、ハルムスのエセ科学論文のひとつ。
天使エルショーフ、つまりエルショーフは、
『せむしの子馬』を書いたロシアの有名な作家です。
昨日訳しながら、首をひねりつつ笑っちゃった。
不可思議な傑作だと思います。

ナルニア国物語

昨日、多摩マイカルのレイトショーで「ナルニア国物語」を観てきました。
この映画の原作となっている『ライオンと魔女』は、
わたしが子供の頃よく読んだ本です。
シリーズ本が何冊かあるんですけど、
『ライオンと魔女』が一番面白かったという記憶があります。
うちにあるのは岩波の昔のハードカバーの奴ですけど、
挿絵がすごくよくって、
開くと子供の頃の思い出がふわあっと浮かび上がります。

去年の夏、ロッテルダムの映画館で予告編を観てから、
これは絶対に観なくては!と固く心に誓いました。
だけどなかなか公開されなくて、
半年以上も待ち続けて、昨日ようやく実現に至ったわけです。
気合を入れて、家を出る前に多摩マイカルに電話をかけちゃいましたよ。
「レイトショーなんですけど、混んでいますか?」って。
まあ多摩マイカルのことですから、
混んでいないのはわかっていたんですけど、
念のために。

「ただいまのお時間でしたら充分ご覧になれると思います。」
「すいていますか?」
「ええ、お席に余裕がございます」
「どのくらい?」
「は?」
「10人以下ですかね?」
「はい?」
「あの、10人以下ですか?」
「ええと、・・・もう一度、宜しいですか?」
「客は。お客さんは、10人以下ですかねえ?」
「いえ、いえ、10人以下ということはありませんが」
「じゃあどのくらいですか?」

そんな粘着質な会話を繰り広げつつ、
やはり確実な返答はもらえないまま、
行ったらやっぱり空いていました。
でも普段の多摩マイカルレイトショーの、
あの一人とか二人とかの特別室ぶりはありませんでしたけど。
客は全部で15人くらい。
一番大きいスクリーンの部屋で。

肝心の映画ですが、
あんなに期待して損しました。
なんだか大味な映画でしたねえ。
途中で飽きてきちゃって、
目がうつろになっている自分を発見しました。
お金は掛かっているし、映像は綺麗なんですけど、
なんといいますか・・・。
あんまり面白くないのですよ。
子供たちも大きすぎて可愛くないしねえ。
キャラクターにも魅力がありません。
長男ピーターは鈍感そう。
長女スーザンは泣いているかろくでもない提案をするか、凡庸。
末妹のルーシーは、・・・なんだかねえ。
大文字で子役って感じ。
「オハヨーゴザイマース」とか現場ですごい大声で言いそうなタイプです。
ワル達者すれすれのラインです。
良かったのは、意地悪次男エドマンドですかねえ。
この子は唯一繊細そうでした。

この映画は全体的にすごく退屈で冗長ですけど、
唯一好きだったのは、フォーンのタムナスさん。
ハンサムなんですよ。
セクシーです。
感じいいし。
タムナスさんが画面に出てくるたびに、
失望でささくれだった心が癒される気がしました。
演じているのはジェームス・マカヴォイ氏ですね。

20060310120510.jpg

タムナスさん

タムナスさんは良かったー。
タムナスさんを主演にすればよかったのに。

さて、今日のハルムス。
またもや無題の、子供のための詩です。

パパは眠る
リーザもおなじ
イーリャは まどろんでる めいっぱい
僕は窓の外に目をやった。おやまあ!
そこはもう朝、夜じゃない。

こうなったら しかたない
服を脱いで ベッドへ 
眠る 眠る 眠る そして 考える
十時を寝過ごしちゃならないぞ

力あまって
早起きするのは誰。
十時半に 僕に
長靴をはかせてよ。

僕らは心配事にさいなまれる
思い「出」せ ズボンをはきながら
君だって 市電のうしろを
猛スピードで 追いかけるかも

もしかしたら追いつけず
100の溝を飛び越えて
ほかのよく似た 市電のうしろ
猛スピードで まっしぐらかも

(1930)


書かれたのは1930年ですが、発表されたのは、
1990年に、「レニングラード芸術」に掲載されたのが最初。
リーザは妹のエリザヴェータ・イヴァーノヴナ(1914-1994)、
イーリャはユヴァチェフ一家の雇用人である、
リリヤ・アレクサンドロヴナ・スミルニーツカヤ(1942没)のことだそうです。
そういえば、ハルムスは女ばかりいる家に生まれ育ったのです。
お母さんと、伯母さんと、妹二人。
お父さんは不在がちだったようです。


図書館長期休館

軽いおしゃべり
テーブルの前で 繰り広げ
肩をゆるめ 僕は座っていた
身動きもせず 美しく

(1930-1933)


ぐっと短いハルムスの無題の詩です。
四行。
短歌みたいですね。
印象をさっと歌った詩でしょうか。

・・・短歌風に訳すと、どうなるのかしら。
そんな思いつきから、短歌風にしてみました。

むだばなし
ゆるり座った 卓前に 
みうごきもせず
われ美しきかな


あらっ。
意外に良いですね。
こちらのほうが良いくらいですね。
七五調というのはやっぱり、心地の良いリズムだし。
あ、でも、季語がないや。

3月6日から3月19日まで、
多摩市の図書館は全館お休みです。
二週間。蔵書点検と、システム入れ替え作業ですって。
この間私は8冊本を借りたのですが、
今日もう6冊は読んでしまって、あと2冊しか残っていません。
20日まで、長いなあ・・・・。

私の家には子供の頃、テレビもマンガもなかったので、
唯一の娯楽が小説本の濫読でして、
それが定着してしまいました。
私の一番好きなことは、
寝転がって、つまみとワインでもって、本を読むことなのです。
濫読なので、全然身についていませんし、
お風呂に入るときも歯を磨くときも、寝る前も、
ご飯を食べるときも、本を片手にしているので、
ちょっと本に対する尊敬は足りないかも。
ド近眼ですし。
でも、もう習慣になってしまっていて、
やめられないんですよね。
タバコを吸う人がやめられないのと同じです。
でも、タバコと違って人から責められないのは嬉しいかな。
おんなじくらい有害なのに(笑)

いずれにせよ、図書館は私にとって、すごくありがたいところです。
どれだけ借りても全部無料だなんて、天国ですよ。

もっとも、多摩市の図書館は「サービス」とか言っちゃって、
宮部みゆきとか村上春樹とか、
軽い流行作家のよみものはやたらと充実しているのに、
世界的な名作や文豪の全集などは、
読みたいと思ってもなかなか読めません。
書庫においてあるか、取り寄せになるか、
全集だったら全部揃っていないとか、・・・。
頭が良くてそういう本を熱烈に求めている人は、
そりゃあ手に入れられるかもしれませんが、
ぶらぶら図書館内を歩いて、
目に触れた本をテキトウにぱらぱら覗いている人の手には、
絶対に手に入らない仕組みになっているのですよ、
たとえばドストエフスキー全集とか、
チェーホフ全集とか。
もし図書館でそういう本に出会えなければ、
一体どこで貧乏なスーパーのレジのおばさんの家の小学生は、
世界的名作に出会うことが出来るのでしょうね??
あってもボロボロの汚い文庫本で、
翻訳もごく古いやつで、
手に触れたくもない代物だったりするし。

どうせ図書館の本はタダで提供されているんだから、
読者が読みたいような本なんてある程度にしておけばいいんですよ!
図書館は本屋と違うんだから。
図書館にあるべきものは、人類の叡智の積み重ねであって、
人類のひまつぶしの積み重ねじゃないんです。
あ、でも、暇つぶしの積み重ねではあるのか。

私が中高生だったときには、
やっぱり図書館の本をアイウエオ順に端から読んでいく、
なんていうことをしたものです。
暇のたくさんある中高生がそういう試みをしているときに、
どれだけ多くのちゃんとした本にあたるか、
これって結構大切なことだと思うのですけど。

図書館のサービスを徹底させて、
利用者の求めている本をくまなく揃え、
利用者が滅多にいない固い本は購入せずに経費(税金)を浮かせる。
これ、一見良いみたいですけど、
これじゃあ民度は下がる一方だと思います。
多摩市の図書館は、民間に事業を委託しようという話もあるようです。
ということは、
サービスを徹底させる代わりに有料化、なんていう流れなのかなあ。
いやだいやだ。

私から天国を取り上げないでくださいよ。













愛について

ハルムスの愛の詩(無題)。


僕の愛は
君には秘密
眉ひとつ動かさず
百年でも。

一年が過ぎる
愛とともに
されど 一度たりとも
眉ひとつ動かさず。

君を知って
すべてを忘れ
ばか騒ぎの中で
僕はもの憂い。

僕の前で 世界は
よそよそしく 奇妙になった
僕は どの女にも
「否」と言っていた。

(1932)



charms.jpg


詩人が恋人だというのは、
随分良いでしょうねえ。
たとえハルムスみたいな奇妙な詩人であっても。
詩人の内面というのは、
やはりその書く詩とおなじくらい詩的なものなのでしょうか。
現代でミュージシャンがモテるというのも、
多分根は同じで、
女の人は男の人に、
詩的な心を求めがちということかも知れません。
私の弟がこの間ふと、
「大江健三郎は若い頃、激モテだったらしいね」
といったのですが、
ハルムスだって、きっと激モテだったに違いない、
と私は踏んでいるのです。

overlee

私は、
もとウィーザーのマット・シャープが脱退してつくった、
レンタルズというバンドに一時期はまって、
「セヴン・モア・ミニッツ」というアルバムばかり、
毎日聞いていました。
今でも、このアルバムの曲は全部歌えます。多分。
いや、それはないかな。もう。
名曲ぞろいの名盤なので、是非聞いてみてください。

なかでも私が好きだったのは、
「オーヴァリー」という曲なんですけど。

It is the saddest day
一番悲しい日は
When ya find you're alone
君が自分は一人だと悟る時
Well, that's why I'm here with you
そう、だから僕はここに君といるんだ
See, I got no place to go
行くところもないしね
Yeah, the truth is I feel safe here
そうだよ、ここは安心だと感じられるというのが本当のところ
The most comforting place that I know
知っているなかで一番心地の良い場所
It's still the saddest day
それよりまだ一番悲しい日は
When you say this is not my home
ここは僕の家じゃないって君が言う時だ

I wanna take you to Overlee
君をオーヴァリーに連れて行きたい
In a blue world floating endlessly
青い世界に永遠に浮かんでいるところ
Where there's no language and there's no country
言葉も国もないところ
I wanna take you to Overlee
君をオーヴァリーに連れて行きたい

Now, I return to your place
今、君の場所へ戻ってきて
Knocking trying to get in
中へ入ろうとドアをノックする
And your roommate opens the door
そうしたら君のルームメイトがドアを開けて
And says "Why are you back here again?"
「どうしてまた戻ってきたのよ?」って言うんだ
I put my things down in the hall
僕は玄関に荷物を置いて
Quietly enter your room
静かに君の部屋に入る
You're sound asleep with the cats
君は猫と一緒に眠っている
As I climb back in bed with you
僕がベッドに戻って君と一緒に眠るみたいに

I wanna take you to Overlee
君をオーヴァリーに連れてゆきたい
In a blue world floating endlessly
青い世界に永遠に浮かんでいるところ
Where there's no language and there's no country
言葉も国もないところ
I wanna take you to Overlee
君をオーヴァリーに連れてゆきたい

And we could swim around and round and round (in the blue)
そして僕らは泳ぎ回る(青のなかを)
And we could swim around and round and round (in the blue)
And we could swim and swim until we drowned (in the blue)
そして僕らは泳いで泳ぐ おぼれるまで (青のなかを)
We could swim (we could swim) around and round and round
僕らは泳ぎまわって まわる まわる まわる

I wanna take you to Overlee (Overlee)
君をオーヴァリーに連れてゆきたい
Floating 'round endlessly (endlessly)
永遠に浮かび続ける(果てしなく) 
No language and no country (Overlee)
言葉もなく 国もなく
Where I could hold you tenderly (tenderly)
君を優しく抱きしめられる場所で
Where we could swim around and round and round
僕らは泳ぎまわって まわる まわる
And we could swim and swim until we drowned

僕らは泳いで 泳ぐ 溺れるまで

という歌なのですが。
今はどうだかわかりませんが、
この時マット・シャープにはスペインに住んでいるスペイン人のGFがいて、
これがぐっと年も離れているし、英語もあまりしゃべれないし、
マット・シャープはだんだん年を取ってきているし、
もう憂鬱極まりないなあ、という感じなのです。
それでいて、人生にたいする憧れや望みがそこはかとなく歌われていて、
しみじみといいアルバムだったなあ。
この、なんともいえない感傷的な感じがねえ。
声も好きだったし。
なんて事を思い出す今日この頃でした。

ハルムスの詩。
子供のための詩でしょうか。

一度、演劇学校でユーリー・アンドレーヴィッチ・ヴァシーリエフという、
有名な舞台発声・発話の先生についたことがありまして、
その先生はよくハルムスの詩をエクササイズに取り入れていました。

で、その先生が言うには、
どんな不条理なテクストにも意味とロジックがある、というのですね。
だからハルムスのテクストを考えるとき、
その言葉の持つ詩としてのリズム(無意味でも発生する快感)に
身を任せるのはもちろん大切だけど、
その世界の意味と論理をまず把握し、それにくっついてゆく身体、
スムーズにその世界を物語るからだの状態をつくるのだ、と
そういうのですね。

あー・・・、懐かしいなあ。
ユーリー・アンドレーヴィッチ。
会いたいですけどね。
彼から学んだことは計り知れません。

ということで、皆さんは、
とりあえず今日のハルムスの詩から、
それなりの意味とロジックを発見し、
身体を動かしながら読んでみてください。

全部 全部 全部の木 ピフ
全部 全部 全部の石 パフ
全部 全部 全部 自然 プフ。

全部 全部 全部の娘 ピフ
全部 全部 全部の男 パフ
全部 全部 全部 結婚 プフ。

全部 全部 全部のスラブ人 ピフ
全部 全部 全部のユダヤ人 パフ
全部 全部 全部 ロシア プフ。


あ、2,3回繰り返して、意味が見え始めたら、
もしかして皆泣いちゃうんじゃない?

ハルムスおよび高額医療費

今日のハルムス。
無題の詩です。

カルポフは云った。「オレは鯨じゃない
名誉をかけてもいい。」
横になって 暖炉の上 いびきをかく。
カルポフは思った。「死なせてくれ。」
横になって 死んだ。 ストレカチョフは
泣いた。「カルポフ スツールを
プスコーヴィチェフは 死者の上で
ああだこうだと泣き上戸。こりゃ珍しい。」
長い夜に 眠れない
寡婦に 他の夫はいない
髑髏は ゆりかごにお辞儀をしない
思考は 陽気に さまよいだす。

寡婦の思考:ねえ みんな
      私は 戸籍登録所にいたのよ
      だけど 暗い玄関から台所に出ちゃった。
      台所では 白いタンクが
      パック パックと 沸騰していたわ。

(1930年 8月)  



今日の詩、みなさん、どうです?
正直、今日はどうも私は自信がありません。
なにしろ自分でも訳しながら、訳がわかりませんでしたよ。
ハルムスだから?
・・・それとも誤訳のせい?
うーん、もしかしたら。

ストレカチョフは
泣いた。「カルポフ スツール
プスコーヴィチェフは 死者の上で
それはもう号泣している。こりゃ珍しい。」


これなんかね。
もう、本当に謎ですよ。
何故スツール?
ていうか、これ日本語?

ロシア語では

Стрекачев
плакал : Карпов табуретка
то-то взвоет Псковичев
над покойным.


です。
あ、もしかしたら、
・・・いや、でもなあ。

「神西清先生、降りて来い降りて来い降りて来い」と
天に祈ってみたのですが、だめでした。
「じゃあ池田健太郎先生でもいいです」とも祈ってみましたが、
やっぱり降りてきてはくれませんでしたね。
誰カータスケテー

まあ、素人ですからね。
しょうがない、しょうがない!
こうだよ、と思う人がいたら、
遠慮なくコメント入れてください。
どうぞ、遠慮なく!

ところで、私は数年前、
好酸球性肺炎という、アレルギー性の肺炎を患いまして、
それ以来笑ったりしゃべったりすると、時々咳が止まらなくなるのです。
最近また咳がひどくなってきたので、
今日お医者に行ってきたのですが、
治療費なんと、薬とあわせて
6,450円 !!!!

あいたたたた・・・・
もう、心に激痛が走っていますよ。
なんなんですか、この国は?
王侯貴族でなければ心の激痛なしに医療が受けられない仕組みですか?
アメリカでは国民健康保険制度がちゃんとしてなくて、
死にそうになっていても
「救急車を呼ばないでええええ!」と叫ぶ人がいるそうですが、
レベルは違ったって、日本も大して変わらないじゃありませんか。
私は今日、
「レントゲンと心電図は結構です」
と喉元まで出かかりましたよ。

日本で国民健康保険制度に関わっている議員ていうと、
誰でしょうかねえ?
最近この制度をさらに変えて、
国民に「自立」を促している議員というと、誰なんでしょう?
そういうのがパッと出てくるサイトがあるといいのになあ。
誰か知っていたら教えてください。

私、電話をかけますよ!!!
本当、本当。本当に。


小さな船 ハルムス

小さな船

川面を 小さな船がくる
はるか遠くから やってくる
船には 四人の
いと勇敢なる 水夫

20060301190827.jpg


やつらの耳は地獄耳
長い尻尾を もっている
やつらが 恐れるのは 猫ばかり
猫の中でも 雄猫ばかり! 


(1940)

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Kachika

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