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気が狂った人

最近、「シャルダム・サーカス」というハルムスの戯曲を、

新しくHPにアップしました。

これは、実際に上演もされている、子供用の人形劇です。


ところでこの戯曲の中に、

こういう会話が出てきます。


ヴァーニャ。  どういう事?

団長。     どういう事かと申しますと、彼女が檻から逃げてしまったのです。

ヴァーニャ。  てことは、彼女、電波系ですか?

この「電波系」というのは、

もちろん単に私がそう訳したというだけで、

原文は


Ваня. Значит, она сумасшедшая ?


というものです。

このсумасшедшаяは、「気の狂った女」という意味で、

私は最初 


「てことは彼女、キチガイですか?」


と訳しました。

そうして全部訳し終わって読み直しているときに、ふと、思ったのです。


そういえば、「キチガイ」って、使っちゃいけない言葉だっけ?


そこから、ちょっと悩んでしまいましてねえ。

まあ私の翻訳は、まったくもって趣味でやっているもので、

出版される予定もまったくないのですから、

別に好きなように訳したってかまわないだろうと思いますし、

第一、そんなに大勢の人が見るわけじゃなく、

苦情なんか絶対来ないことはわかっているのです。


ただ、公の出版物に「キチガイ」という言葉があってはいけないということは、

もしかしたら、

文章の最初は必ずひとマス開けなくちゃいけないのと同じ、

ルールなのかもしれないな、とふと思ったのです。


出版社が「キチガイ」という言葉をなるべく避けるのは、

おそらくそれまでに、「キチガイ」と呼ばれる側の人から、

そういうことは言わないでほしい、という要望があったからかもしれませんし、

精神を病んでいる人は自分で自分をキチガイと思っていないにしても、

家族は彼が「キチガイ」と呼ばれることにたいして非常に傷つく、ということはあるのかもしれません。

あえて芸術として、扇情的な言葉を使用する場合は別ですが、

特にそこに思想なり意図がない場合は、

なるべく差別的表現とされている言葉は避けたほうがいいのかな、

それが翻訳者としての一般的な常識かしら。

などとおもったり。


だけど、この「キチガイ」に変わる言葉って、あまりないですよね。

なんと訳したらいいのでしょう。

私はこの「キチガイ」という言葉のニュアンスが、

ちょっと古典的な感じがして、なおかつちょっとパンクな感じがして、好きなのです。

市井のアナーキズムというかね。

それでいて「キ印」とか「左巻き」みたいな砕けすぎた感じはしないし、

「キグルイ」はちょっと暴力的だし、

「精神病者」「精神病患者」とかいうのは、会話に出てくるには立派過ぎるし、

「精神を病んだ人」「頭のおかしい人」はくどいし。

簡潔にスカッと、言いたいのに。


「ということは、彼女、気が狂っているんですか?」


が普通の訳だと思うけど、

なんとなくそれじゃ、

сумасшедшаяの形容名詞な感じが出ないというか、

まあそんな感じどうでもいいのかもしれないけど、

やっぱり「キチガイ」のような原語とほどほどな距離感の言葉はそれほどないと思うのです。


ということで考えた挙句、

一円にもならない趣味翻訳の自由気ままさを駆使して、

「電波系」という言葉を採用しました。

ふふふ。

公の出版物のルールに従いたいとか言っておいて。

こっちのほうがひどいと思うけど。

これも、あと5年もしたら差別用語リストの仲間入りですかねえ。

まあ、そんなにポピュラーな表現として定着しないかもしれませんが。


そういえば、高校生のとき、

好きだった先生のひとりに地学の先生がいて、

大澤先生というのですが、

これがまた、恐ろしい先生でした。

私語を交わせば怒鳴られる、

居眠りすればはたかれる、

反抗すれば怒り狂うといった人でした。

でも、きちんと自分の人生に美学があって、

芯がピッと通っていて、

子供なんかに妥協してなるものかとずっと意地を張り通した挙句、

先生の間でも孤立しちゃう感じが、

私は好きでしたね。

私の兄も好きだと言っていましたから、

兄妹で好いていた先生だったわけですよ。


ところでその先生の授業というのは、

こちらに地学という学問への興味がさっぱりないのに加え、

結構専門的で高度なところまで網羅し、

チンプンカンプンな上に単調で、

まあ一言で言えば、退屈でした。


先生は居眠りしている生徒の頭は名簿で叩くので、

いつも眠り込まないように必死になっていたものですが、

ある日、やっぱり授業中に猛烈な眠気に襲われてしまったのです。

その眠気と闘っているうちに、

なぜか、私は全身をビクリッと震わせ、


「おお!」


と外人の歓声のような大声を上げてしまっていました。

自分でも何が何だか、計り知れません。

そのときちょうど先生は教科書を読みながら横を通り過ぎていましたが、

私と一緒にびくっとして、


「おっ」


と言いました(笑)。

その瞬間、あまりの恐ろしさに、さーっと眠気がひきましたよ。

でも先生は意表をつかれて、とっさに自分らしい対応ができなかったらしく、


「な、なんだテメエ、キチガイか


と言って、逃げるように授業に戻っていったのです。


これ、教育委員会かPTAに袋叩きにあってもおかしくないですけどね。

現に暴言が新聞に載っちゃう教師とか、よくいますし。


でも、私は自分に元気がないときとか、

ちょっと笑いたいときなんかには、

このときの先生のビビリがちの、

「な、なんだテメエ、キチガイか」発言を思い出します。

思い出すだけで、なんだか笑えるのです。

あの先生、やっぱり好きだったなあ。

先生のほうでも、自分が私のフェイヴァリット教師だということは知っていて、

そんなにポピュラリティを獲得できるような人ではありませんでしたから、

なるべく私の頭を張りとばしたくはなかったのかなあ、と、

勝手に思ったりもするのです。

誰でもみんな両思い(トモフスキー)ですからね。

だからやっぱり、そんな暴言を吐かれても、

むしろ武勇伝みたいな良い思い出なのですよね。


まあ、言葉というのは、つくづく、時と場所と関係性によると思いますね。

人を傷つける表現というのは、

表現の自由云々の前に、やっぱり使うべきではないと私は思うけれど、

それでも悪意から独立した言葉「だけ」で、

人を傷つけ得るとはとても思えない。

言葉そのものに悪意が本来的に備わっているわけではなくて、

人の悪意が言葉にこもれば、どんな言葉だって差別用語になるものです。

だけどまあ、そんなこと言ったって、

「キチガイ」とか「ビッコ」とか、

差別用語として有名になってしまった言葉は、

文脈と関係ないところで読者がひっかかってしまう可能性があるので、

いずれにせよ、翻訳ではもう使えないかもしれないですけどね。

ざーんねん。



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歩み寄る心

引き続き、宮本武蔵の影響下にある私です。


さて私が最近惜しみない愛情を注いでいるものといえば、

やはりこれ、ハルムス・この不思議な音ですが、

何日か前に、実は訪問者0名を記録しましてね。

その前は訪問者一人、

その前は二人、

その前は三人、

といった体たらくでありました。


まあ仕方がないですよね。

ハルムスはカルトでマニアックな詩人ですから。

共鳴してくれる人間が一人か二人いれば、

そういう存在がある事自体が、充分な幸せなのです。


道を見出し、極めるのは容易な業ではない。

まして人の同情を集め、共感を得ようがためにやるものでもない。

すべては己、己のみ。

兵法者の道は孤独なり。

わからん奴は、わからんままに捨て置け。


と私の中の武蔵が言うのですよ。

それで、私も、

左様、左様、訪問者の数など考えるのは無用。

質だよ、質。

と思っていたのです。


ところが、昨日の午後6時くらいですかね。

沢庵坊という、武蔵の知己の賢いお坊さんが、

私の中で突然目を覚まして、言うのです。


しかしな、カチカよ。

兵法者の道は孤独であるが、しかしその道は誰のためにある。

己のためのみか。

己のみを頼む剣ほど寂しくも無用なものはない。


解析をみてみよ。

訪問者が少ないという以前に、

リピーターが少ない。

途中で読むのを挫折した人間が多い。

感想も微妙である。


読者の大部分が友達であるにもかかわらずである。


これを、衆愚にはもとより理解の及ばぬ高尚の文学であるからだ、

と片付けてしまうことはたやすいだろう。

しかし本当にそうであろうか?

お前にはハルムスという、お前が敬愛してやまぬ師匠がおる。

お前の使命は、その師の志を世間に広め、やがては一流を立てることであろう。

そのためにお前は、何をしたか?

骨肉を削る努力をしたか?


武蔵は法典が原で剣を捨て、鍬を持ち、

荒野を開墾し田畑を耕すことで、

民の目を開き、新しい剣の道を得た。

お前の剣はなるほど、翻訳であろう。

しかし翻訳だけでは、いかんせん退屈で誰もついてこない。

それがわからんお前ではないだろう。


できることだけをやるのが兵法の道ではない。

また兵法の道はいつでも民に通じておるものだ。

さあ、カチカ。

なにかわかりやすい事を書け。


とまあ、こういうことなのです。

そこで私は、胸のなかの沢庵坊にいいましたよ。


へへっ。(平伏)

さようでござりますか。

言われてみれば確かにその通り。

拙者不肖の又八、

ようやく目が開いた思いでございます。

さっそく解説でも書くことにいたします。


つまりどういうことかというと、

HPの『朝』と散文に、解説を書いてみました。

というだけの事なんですけどね(笑)。


結構苦労しましたよー。

というか、ちょっとハルムスがわかりやすくなったのかな、これで?

というか、そもそも学者じゃないので、

説明しようとすること自体が超僭越という気がしないでもないのです。

まあ、でも、いいよね。


徳永先生という、通訳の偉い先生が、

むかしその著書の中で、

「どんなひどい通訳でも、いないよりは全然マシ」的なことを書いていらして、

それ以来私は通訳として働くとき、

「そうそう、いないよりは全然マシ」と心に思っているのです。


こんな解説でも、ないよりはまあいいでしょう。

これをきっかけに、ちょっと面白いと思う人が増えるといいんだけど。

ハルムスは本当に、面白い詩人ですし。



最高のおもちゃ

月曜日までの10日間、オランダ語学校はお休みでした。


ちょうど授業の進み方が早くて、どうにもならなくなりかけていたので、

10日前に私は決意も新たに、

この10日間、オランダ語を朝から晩まで勉強しようと心に決めました。


で、結論から言うと、

オランダ語の教科書、

1ページも開きませんでした。


あのですねえ、ものすごく面白い遊びをみつけてしまったのですよ。

世間ではもうすっかり廃れた遊びになりましたが、

面白くて面白くて、どうにもやめられないのです。

その名も、


ホームページ作成。


いやー、HP作成って、意外に簡単ですね。

こんなに簡単に出来るものだと知っていたら、

もっと早くに取り組んでいたのに。

ブログなんて、目にならないくらい面白いですよ。


知る人ぞ知るですが、

このブローグニックはもともと、

ハルムスと言う、ロシアの昔のアバンギャルド詩人の詩を、

翻訳して発表する場でした。

まあ、私が個人的にハルムスのファンなのです。

で、その翻訳が、今では結構な量、溜まっているんですよね。

それを、今回HPで一挙に公開することにしたのです。

データベースとしては貧弱ですが、

これまでハルムスの詩を目にする機会が日本人にはほとんど与えられていなかったので、

ちょうどいいのではないかと。


そして、私には母方の叔父のような、

そうでもないような、そんな微妙な人が知り合いにいるのですが、

その人がちょうど画家でして、

陰影のある、寂しいような毒々しいような、それでいて儚い夢のような、

そういう作風が、ハルムスによく似合っているような気がしたので、

久しぶりにメールを送って、

「HPに挿絵で使っていい?」

と聞いたところ、

「まあ好きに使ってよ。」

と返事が来たので、本当に好きなように使いました。

この絵がまた、良くってねえ。

思っていたより、遥かに良かった。

やっぱり朝おじちゃん、才能あるわ。


そんなわけで、私は今、

自分のHPに夢中です。

今、彼氏と自分のHP、どちらと結婚するかと言われたら、

まったく考えないで、

HP!と応えますよ。

そのくらい、恋に落ちています。


皆さん、ぜひ見てみてください。

HPの名前は

「ハルムス この奇妙な音」。


ハルムスと言えば、音の詩人ですからね。


そしてアドレスは・・・ばばーん!


http://xapmcnosekai.tuzikaze.com/


注目!注目!

今ハルムスが熱い!熱い!ぬるい!


・・・・あ、ごめんなさい、はしゃぎすぎてます?

だって、自分のHPがあまりに可愛いものだから。

この数日間、没頭してましたからねー。

食事さえつくらなかったものだから、

お腹をすかせたオランダ人が癇癪起こしてグチグチ私の悪口を言うのを、

さらに無視して没頭してましたから。

咳をしながらね(笑)。


まだ開設したてで、人が全然来ないので、

皆さん、どうかよろしく。













男爵令嬢とインク壷

147 男爵令嬢とインク壷

バルボフ (クリストファー・コロンボを示しながら)クリストファー・コロンボ。
コロンボ (バルボフを示しながら)バルボフ。
バルボフ もし私の受けたしつけにご興味がおありなら、私言いますよ、言ってもいいですよ。
コロンボ ええ、ええ、どうぞおっしゃってください。
バルボフ じゃ言いますよ。何を隠すことがあるもんか。
コロンボ それはそれは、面白いですなあ!
バルボフ では言っちゃいましょう。私の受けたしつけはどんなもんか?孤児院式ですよ。
コロンボ 孤児院式。
バルボフ そら、言っちゃいかんのでしょう。
コロンボ いえ、どうぞ、どうぞ。
バルボフ 親父が私を孤児院へ送りましてね。あー。(口を開けっぱなし。クリストファーは固まってバルボフの口をじっと見つめる)。
バルボフ ちなみにね、わたしゃ売人ですよ(クリストファーはとびのく)。
コロンボ 私、私が面白いといったのは、ただ単に、あなたのその・・・あれをちょっと見てみることであって・・・む、む・・・。
バルボフ そうでございますねえ。私は孤児院で学び、男爵令嬢とインク壷に惚れましてね。
コロンボ まさか、惚れただなんて!
バルボフ うるさいな。惚れたんだよ!
コロンボ 奇跡ですなあ。
バルボフ そう、奇跡ですな。
コロンボ おかしなこともあるもので。
バルボフ そう、おかしなことで。
コロンボ どうぞ、お話しください!
バルボフ もしあんたね、クリストファー・バルボフ、まだなんか言うなら・・・

       舞台はすばやく転換する。
      バルボフがすわってスープを飲んでいる。 
  ブラウスを身に着け、傘をもった妻があらわれる。


バルボフ お前、どこへ?
 あっち。
バルボフ あっちとはどっちだ?
 ほら、あっちよ。
バルボフ あっちか、それともあっちか?
 ちがうわよ、あっちじゃなくて、あっちよ。
バルボフ それで?
 それでって?
バルボフ どこ行くんだよ?
 私、男爵令嬢とインク壷が好きになっちゃった。
バルボフ そりゃ良かったな。
  そりゃ良かったんだけど、だけどほら、クリストファー・コロンボがうちの女中に自転車を突っ込んだでしょう。
バルボフ きゃわいしょうなチョチュウ。
 かわいそうに彼女、台所に座って田舎に手紙を書いてるんだけど、自転車は彼女から垂れ下がったままなのよ。
バルボフ うん、うん。事件ちゃそういうもんだ。1887年におれらの孤児院でもやっぱりあったよ。教師がひとりいたんだが、おれたちそいつの顔にテレピン油を塗りたくって台所の机の下に置いといたんだ。
 なによ。なんのためにそんな事言い出したのよ?
バルボフ それからまた、こんな事件があってな。

 ソーセージ野郎が入ってくる。

1930年1月11日―30日


いかにもハルムスらしい、フリースタイルな一品。

ハルムスの作品を翻訳すると、
最初はずっと意味について考えます。
どういう意味なんだろう?とずっと考えるのです。
結局わからないし、
そもそもはっきりと定義できるだけの意味なんてないのかもしれませんけど。
デタラメなんだから、こっちもデタラメに訳せばいいのかな。
でもデタラメにはデタラメなりの秩序と理屈があるわけで、
その秩序と論理を理解したいなあなどと、
はかない頭脳で思うわけですが・・・。

今日、アルバイトが終わって、駅のホームで電車を待っていたら、
ちょっと離れた暗がりに、
モシャモシャした頭の女の子が立っていました。
髪の毛にパーマをかけていて、
それをデップか何かでさらにモシャモシャにしていて、
脱色した上にピンで留めてあるのです。
おしゃれなんですけどね、
その髪型が遠目に、ミヒャエル・エンデの『モモ』の、
モモの髪型に見えたのですよ。
ちょっと小柄だったし、立っている姿勢の感じとか、
あ、モモがいる、と思いまして。
疲れているものだから、例のごとく、
ふらふら近寄っていったのです。
そうして、ちょっと近くまで行ったら、
そのモモみたいな髪型の子は、制服を着ていました。

・・・ズキーン。
これには胸が痛みましたねえ。

なんだか、モモが制服を着せられているみたいで。
しかもねえ、なんだか、ひどく今風なのですよ。
スカートを巻き上げて短くして、
ワイシャツのボタンを第二まで外して、
だぶだぶのチョッキに、
長い靴下を履いたりして。
金の鎖をつけたりして。
フリースタイルの象徴、モモが、
もうあっという間に「ザ・女子高生」ですよ。

大体、日本人はどうして、
みんなああ、そっくりの格好をするのでしょうね?
不良っぽい子には不良っぽいスタイルの雛形があって、
その雛形にはまっていないと格好良くない。
個性的な子には、やはり個性的なグループ特有のスタイル。
真面目な子には真面目な子の、文部省が決めた雛形があって、
やっぱりそれにはまっている。
私の兄はパンクバンドをやっているのですが、
ライブに行くと、
「パンク」の人達であるにも拘らず、
その場に集まっている人がみなそっくりなことに驚きます。

・・・いや、驚きはしないかな。
そこに驚きはないけれども。

日本は、多様な生き方が不可能な国なのだと実感します。
でも子供よりは大人のほうがまだ気楽かな。
選択肢がまだありますしね。
大人になると、周りに影響されて否応なしに決められてしまうことが、
ちょっとづつ自己責任で自分で決められるようになるし。

住むところとか、着るものとか、生活習慣とか。

モモみたいな髪型の子も、あんなに蓮っ葉な格好していながら、
結局型にはめられちゃって、
自らはまりに行っちゃって、本当に気の毒。
毎日、楽しいのかな。
型からはみ出ようと思っても、
結局援助交際するとか、学校に内緒でバイトするとか、
彼氏を作って妊娠するとか、タバコ吸うとか、
ああーなるほどねー的な、平凡かつ陳腐な方法以外に、
選択肢(=想像力)がないかもしれないですよね。
私はもう駆け寄って、
「大人になればもっと自由になれるよ」といってあげたかったですね。
あと、忠告としては、
「ハルムスを読みな」とか。

ハルムスは立派ですよ、やっぱりね。
自分自身であろうとして、フリースタイルを追求して、
誰に似ていなくても、国家ぐるみで否定されても、
まったく評価されなくても、
自分の芸術を曲げて、
その他大勢の価値観に合わせることを決してしなかったのですから。
簡単に出来ることじゃないなあと思います。

あのモモみたいな髪型の女の子は、
姿かたちはあんなにモモに近いのに、
やっぱりモモからは1万光年くらい離れたところにいますよ。
それはやっぱり、胸が痛むようなことですよね。

起こってはおさまり、集まっては散る

路上の事件

 ある日一人の男が路面電車から勢いよく飛びだし、まったく運の悪いことに、車に轢かれてしまった。
 交通はストップし、この不幸はいかに起こったかを解明すべく巡査が現れた。
 運転手は車の前輪を指差しながら、長々となにか説明した。
巡査はこの前輪のほうぼうを触りながら、手帳に何事か書きとめた。
突然かなりの数の野次馬が集まりだした。
どこかの市民は、にごったような目をして、路傍の石台から転げ落ちてばかりいた。
どこかの奥さんは、他の奥さんをじっと見つめていたが、そちらはまたそちらで、最初の奥さんをじっと見つめていた。
その後野次馬は散り、交通は復活した。
にごった目の市民はそれでもまだ長いこと石台から落ちるのをやめなかったが、ついには彼もそんな作業を停止した。
この時、たった今買ったばかりのような椅子を運んでいたどこかの誰かが、全身の力を振り絞って、路面電車の下に飛び込んだ。
ふたたび巡査がやってきて、ふたたび野次馬が集まりだし、交通はストップし、にごった目の市民はふたたび石台からころげ落ちはじめた。
その後ふたたびすべてがおさまり、イヴァン・イヴァーヌイチ・カルポフさえもが台所へ戻ってきた。

1935年1月10日


ハルムス中期の作品。

http://blognik.blog44.fc2.com/blog-entry-92.html
これとか
http://blognik.blog44.fc2.com/blog-entry-64.html
これなんかに近いような作品ですね。

大体同じ時期に書かれた作品のようですが。
仮にこれをハルムスの「諸行無常シリーズ」と呼ぶことにしましょう。
ブローグニキ(ブローグニックを読んでいる人たち)の間だけで。
ちいさく、ちいさく。

今回は、事件が起こって、やがて静まって、
人が集まって、やがて散って、
そうしてまた何か起こって、また静まった。
やがてこれからも何かおこりそうな予感が。
というような文章です。

通訳という仕事は、この文章に近いような感じです。
仕事の間は色々起こって、ハリネズミみたいに駆け回ります。
私はロシア人が好きだし、
一緒に仕事をするとついつい相手に入れ込む性分なのです。
でもそれが、仕事が終わると何もかもが、
人とのつながりでさえもが、あっという間に終わる。
そうして、またしばらく静かで、
やがてまた次の仕事が。
まあ、誰の人生でも多かれ少なかれ、こんなものでしょうけど。

そういえば、amihappyさんが「かもめ」を観に来てくれて、
ご自身のブログでレビューを書いてくれました。

http://amihappy.exblog.jp/

随分ちゃんとしているでしょう。
ブローグニックのような、ダラダラしたブログを読んで、
それがきっかけになって、こんなかっちりした記事になるなんて、
わらしべ長者みたいですよね。
何だか少し良い気持ち。
たまにはこうして残ることもある、と。

岩手では地元の劇団ぶどう座の方々との交流会があったのですが、
ここでもふっと近くに来られて、
「じゃああなたが久保さんですね。ブログを読みました」
という方がいらっしゃってびっくり。
こんな遠くで読んでいる人がいるなんて、
まさか思わないじゃありませんか。
インターネットってすごいなあとあらためて。

交流会はぶどう座のアトリエでやったのですが、
ここがまあ、小さいけれど味のある、きれいなところでした。
劇場でひとつパーティーがあって、
そこから夜遅くに車でアトリエまで移動したのですが、
到着したら、
道路からぶどう座の玄関までの小道に、
手作りの灯篭が点々と置かれていました。
それが橙色にぼんやり光っているのです。
その間を、猿のお面をつけた人がこっちこっちと手招きしながら案内してくれたのです。
これは幻想的でしたねえ。
みんな疲れて、交流会だらけでうんざりしていたのに、
あっという間に異界が現れました。
あまりきれいなので、私はちょっとぼんやりしてしまいましたよ。
すごく効果的で、しかもごく演劇的な発想だと思いました。
岩手の山奥で、こんな風な演劇的な魂というか、
機知に出会えるなんて、感激でした。

まあ、交流会自体はTooMuchというか、
ロシア人も観光とリハーサルと舞台とパーティーと慣れない土地とで、
疲れ切った上での更なる交流会だったので、
楽しんでいた、とは言い難いのですが。

次回はもっとスケジュールを考えてくれるといいけど。
あれほど疲れていなければ、
きっとウラジオストック青年劇場側も、
ぶどう座からもっと得るところがあったろうと思うし、
真の意味での「交流」会になっただろうと思います。
もうねえ、形式的な演説とか挨拶とか、
本当は全部なくてもいいわけですよ。
あの灯篭の道を歩いて、あの猿の仮面の手招きを受けて、
岩手のいい空気のなかの、
木と劇場のいい匂いのする小さな稽古場にすわって、
同じ演劇の世界の人間同士が隣り合って会話するだけで、
どれだけ多くの感覚を共有できることか。
やっぱり疲労と形式とが、
お互いの距離を縮める努力を阻んでいたというか、
それがちょっと残念でした。

しかし、そんなことも、全て終わってしまえば、
懐かしくて、名残惜しいのですけど。
岩手もいいところでしたねえ。
もう一度行きたいな。
ウラジオストック青年劇場が『うたよみざる』を上演したのは、
銀河ホールというところなのですが、
ここのロビーは全面ガラスになっていて、
前にぱあっと湖(ダムだそうですが)が一望できるのです。
お芝居が始まるとぱあっと明るく、陽気になりますが、
始まる前や終わった後はしんと静かで、どこか眠っているような雰囲気。
詩的な、いかにも良い劇場でしたよ。
まあ、岩手という場所柄ですかねえ。
皆さんも、機会があったら、是非一度行かれてみては。

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