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悪のぬるぬる

私は最近、スティーブン・キングの『リーシーの物語』を読みました。
キングの小説は値段も高いし、
読んでも別にためにはならないし、
下品でいささか子供っぽいとも思うし、
意味がないから出来るだけ控えてはいるのです。
でも何だか定期的に読みたくなってしまうのですよね。
やっぱりキングはゴージャスだと思うのですよ。
金と黒とベルベットの赤でキラキラしているような感じです。
あくまでも私にとってですけど。

『リーシーの物語』はやたらと長くて、
キングは自分の最高傑作だと言っているらしいですけど、
話が入り組んでいて、半端に読むと何が何だかわからなくなります。
でも人が愛する者の死に際して経験する心の世界が、
究極化されて描かれていることが、ラストまで行くとすっと心に落ちるような出来になっています。
主人公の夫がキングを思わせる有名作家なんですけど、
彼の子供時代の描写がまあ陰惨で恐ろしくて、
しかも設定は全然本当っぽくないのに情景が浮かんでくるほどリアルで、
真のファンタジーっていうのはこういう事なんだろうなと思いました。

今回は「悪のぬるぬる」って言葉が何度も登場しました。
原語ではどうなっているんだろうな?
まあ、私はとにかく、いやな語感だなと思いましたよ。
なんでこんな気持ち悪い訳をするんだろうな?子供も読むだろうに。
いや、子供は読まないか。
それはともかくね。

ところが本を読んでからこのかた意外にも、
この「悪のぬるぬる」または「悪のぬるぬる期」という言葉が頭を離れないのです。
日常生活の中に実にぬるぬると、
この「悪のぬるぬる」という言葉は入り込んでくるのですね。

例えば、仕事でおかしな言いがかりをつけられた時。
(私のフィールドが悪のぬるぬるに侵されている)
例えば、友達が目の前で泣いた時。
(悪のぬるぬる期だ)
例えば、国鉄が止まって遅刻しそうなとき。
(悪のぬるぬる・・・)
そして、この間私のオランダ人が仕事から帰ってきて、家の中を見回し、
「君は一日中何もしないで家にいたのに、どうしてこんなに家の中が汚いの?」
と発言したときなぞは、
自分の身体から悪のぬるぬるがその血にまみれた黒い闇の手を


この唐突に文章を切るやり方も、読んでいる最中は全然良いと思ってなかったですけど、
読み終わってから、しみじみとね。
格好いいなとね。
やっぱりキングはロックスターみたいなカリスマがありますね。
そのスタイルを真似したくなっちゃう。

それにしても、キングって本当に奥さんのこと好きですよね。
大好きですよね。
あれ、本音なのかな?
映画に出てくるアメリカ人て結構ああいう感じで奥さんを愛してますけど、
アメリカ人てああいうものでしょうかねえ。
アメリカ人の夫を持っても良かったなと思う今日この頃。
でもキングみたいな夫に溺愛されてたら怖くて眠れなくなっちゃうか。
自分の乳房を変質者が切り裂くみたいな話を書かれた日にはね。
(どういうこと?)って思っちゃいそう。

まあ、とにかく最近の私は、
「悪のぬるぬる」という言葉を日に三度は頭に浮かべる日々なのです。
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赤毛のアン

私は最近、「赤毛のアン」を読みました。
Netflixで『赤毛のアン』がドラマ化されていて、何だか懐かしくなったのですね。
と同時に、ドラマの方はネットフリックスらしく山あり谷あり、
人間の醜さを若干グロテスクに描きだしており、
おやあ、こんなエクストリームな話だったっけ、と思ったので原作を入手したのです。
そうして原作を読んでみましたら、これがまた、本当に名作。
やはり年月が経っても色の褪せない名作というのはありますね。
心が洗われましたよ。

例えば、アン・シャーリーがこの小説の中に初めて登場する時、
モンゴメリはアンをこう描写するのです。

年は11歳ぐらい。(省略)
小さな顔は白く、やせているうえに、そばかすだらけだった。口は大きく、同じように大きな目は、そのときの気分と光線の具合によって、緑色に見えたり灰色に見えたりした。
ここまでが普通の人の観察であるが、特別目の鋭い人なら、この子の顎がたいへんとがって、つきでており、大きな目にはいきいきした活力があふれ、口元はやさしく鋭敏なこと、額はゆたかに広いことなど、つまりひと口に言えばすぐれた観察眼をもっている人だったら、マシュウ・クスバートがこっけいなほどびくびくしている、この大人びた家無しの少女の体内には、並々ならぬ魂が宿っている、という結論に達した事であろう。


私はこの一節を読んだ時、電車の中にいたのですけど、
思わず泣きそうになりました。
作者モンゴメリのこの感じね。
この、アンにたいする思い入れというか、贔屓の引き倒しというか、
なんて肩入れしているんだろう、と思ったのですよね。
公平にアンをジャッジするなんてことは、モンゴメリは一切しないのです。
「なみなみならぬ魂」。
それがどういうものかはよく分からないけれど、
なんとなく小さな女の子の中には入っていそうにないもの、
それどころか、赤ん坊から老人に至るまで、
ほとんどの人間に入っていないし、
自分にもないから他人にそれがある事を想像できない、
そういう類まれなる資質が、
このアンという孤児の中に「ある」とモンゴメリは断言するのです。
ということは、モンゴメリは「なみなみならぬ魂」を信じていて、
しかもそれこそが人間の中で最上の宝だと思っていて、
その最上の宝を自分の最愛の主人公に与えるのです。
それが何となく感動的でね。

そしてアンの投げ込まれるプリンス・エドワード島という環境も、
ネットフリックスのドラマで描かれるような浮世のリアル地獄ではないのです。
アンは孤児だということで学校でいじめられることはないし、
むしろすぐに人気者になるのです。
孤児院でも壮絶ないじめを受けた訳ではないし、
失敗をしてもマリラやマシュウは決して孤児院に送り返すような事は匂わせない。
アンを偏見で村八分にするようなことは起こらないのです。
で、こういうのをみると、「リアルじゃない」「人間社会はこんなものじゃない」と思いがちですけど、
でも「孤児はいじめられる」「貧乏人は仲間外れになる」「田舎は閉鎖的」、
「人間はしょせんこんなものだ」みたいな「お約束事」って、
昔はそれほど絶対のルール(=常識)じゃなかったのだな、と思えるだけでも、
古い小説を読むのはいいなと思ったりします。

私は泣きそうになって、
「ああ、年を取って涙もろくなったな、私は」と思いました。
それから、
自分でその考え方を、いやな考え方だと思いました。
モンゴメリがアンに対して持っていた愛情の半分も、
自分は自分自身に対して持てていない。
私が涙もろいのは年を取ったからではなくて、
私が人間で、
ちゃんとまだ本を読んで感情を動かされる想像力を維持していて、
より良い世界を望んでいるからなのに、
しかも40歳を超える前から、小説を読んでよく泣いていたくせに、
私は「年を取った女は涙もろくなる」みたいな大雑把で残酷なジャッジを、
自分にも他人にもよく下すのです。
そしてその残酷なジャッジというものは、公平そうに見えて実は真実の一面しかとらえておらず、
そのくせ世界を索漠たる砂漠みたいなものに見せるパワーだけは強烈に持っている。
良くないなあと思いましたよ。

「赤毛のアン」のような小説を時々読むのは良い事です。
自分の人生の眺め方を、少し方向転換させてくれると思います。

ハックルベリー・フィン

私は年を追うごとにトム・ソーヤーが嫌いになる。
そして、年を追うごとにハックルベリー・フィンが好きになる。

この傾向が何を表すのかはよくわからないけれど、
とにかくハックルベリー・フィンのように生きたいと思う今日この頃である。
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