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悪のぬるぬる

私は最近、スティーブン・キングの『リーシーの物語』を読みました。
キングの小説は値段も高いし、
読んでも別にためにはならないし、
下品でいささか子供っぽいとも思うし、
意味がないから出来るだけ控えてはいるのです。
でも何だか定期的に読みたくなってしまうのですよね。
やっぱりキングはゴージャスだと思うのですよ。
金と黒とベルベットの赤でキラキラしているような感じです。
あくまでも私にとってですけど。

『リーシーの物語』はやたらと長くて、
キングは自分の最高傑作だと言っているらしいですけど、
話が入り組んでいて、半端に読むと何が何だかわからなくなります。
でも人が愛する者の死に際して経験する心の世界が、
究極化されて描かれていることが、ラストまで行くとすっと心に落ちるような出来になっています。
主人公の夫がキングを思わせる有名作家なんですけど、
彼の子供時代の描写がまあ陰惨で恐ろしくて、
しかも設定は全然本当っぽくないのに情景が浮かんでくるほどリアルで、
真のファンタジーっていうのはこういう事なんだろうなと思いました。

今回は「悪のぬるぬる」って言葉が何度も登場しました。
原語ではどうなっているんだろうな?
まあ、私はとにかく、いやな語感だなと思いましたよ。
なんでこんな気持ち悪い訳をするんだろうな?子供も読むだろうに。
いや、子供は読まないか。
それはともかくね。

ところが本を読んでからこのかた意外にも、
この「悪のぬるぬる」または「悪のぬるぬる期」という言葉が頭を離れないのです。
日常生活の中に実にぬるぬると、
この「悪のぬるぬる」という言葉は入り込んでくるのですね。

例えば、仕事でおかしな言いがかりをつけられた時。
(私のフィールドが悪のぬるぬるに侵されている)
例えば、友達が目の前で泣いた時。
(悪のぬるぬる期だ)
例えば、国鉄が止まって遅刻しそうなとき。
(悪のぬるぬる・・・)
そして、この間私のオランダ人が仕事から帰ってきて、家の中を見回し、
「君は一日中何もしないで家にいたのに、どうしてこんなに家の中が汚いの?」
と発言したときなぞは、
自分の身体から悪のぬるぬるがその血にまみれた黒い闇の手を


この唐突に文章を切るやり方も、読んでいる最中は全然良いと思ってなかったですけど、
読み終わってから、しみじみとね。
格好いいなとね。
やっぱりキングはロックスターみたいなカリスマがありますね。
そのスタイルを真似したくなっちゃう。

それにしても、キングって本当に奥さんのこと好きですよね。
大好きですよね。
あれ、本音なのかな?
映画に出てくるアメリカ人て結構ああいう感じで奥さんを愛してますけど、
アメリカ人てああいうものでしょうかねえ。
アメリカ人の夫を持っても良かったなと思う今日この頃。
でもキングみたいな夫に溺愛されてたら怖くて眠れなくなっちゃうか。
自分の乳房を変質者が切り裂くみたいな話を書かれた日にはね。
(どういうこと?)って思っちゃいそう。

まあ、とにかく最近の私は、
「悪のぬるぬる」という言葉を日に三度は頭に浮かべる日々なのです。
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ADHD

先日、仕事をしていたら知人の女性に会いました。
同じジャンルの仕事をしている人で、
それほど親しくはないけれども、
その人の醸し出す雰囲気が私はとても好きで、
仲良くしてほしいな、と思っている人なのです。

で、その人が言うのです。
「あら、やせた?」と。
私は最近食が細いのです。
食べるタイミングを外したりすると、
食欲がなくなってしまって、もう食べられなかったりします。
まあ育ち盛りでもあるまいし、
うるさい母親は日本にいるし、
私が規則正しく他の生命体を喰らわなかったところで誰も損をしないので、
あまり気にしてないのですけどね。
ただ、痩せたことは確か。
「ええ、そうですね。もう年だからでしょうかねえ」
と私は言いました。
するとね、その人が言うのです。
「あー、そうだねえ。私も肉が落ちちゃってガリガリ。
 いやだねえ」
確かにその人は余分な肉なんかこれっぽっちも無いような、
そんな身体つきをしているのです。
でも私はその人のそのスリムな体形を良いなと思っていて、
年を取ったら肥満体型よりは飢餓体型が望ましいと常日頃から思っているものですから、
「そうですか?太っているよりはいいですよ」
そう彼女に言いました。
するとね、彼女が顔をしかめながら言うのです。
「いやいや。年を取ってあんまり痩せないほうが良いよ。シワになるから。
 シワだらけはみっともないよ。太っていれば、こんなシワシワにはならないからね」

老化の問題は、私たち女にとっては温暖化よりも切実な問題です。
私も常日頃鏡を見てはため息をつく毎日なのです。
四十を過ぎてから、まるで坂道を転がり落ちるみたい。
自分にとって切実だったものだから、
私はこう言いました。
「いやあ。太っていようが、痩せていようが、年を取ったらもうダメですよ。
 私なんか毎日鏡みてため息ついてますよ。
 年を取ったらみんな不細工。もう仕方ないですね」
この年を取ったらみんな不細工、ていうセリフは、
バナナマンの日村氏がどこかで言っていたのです。
自分は今は突出して不細工だからこれで商売が出来ているけど、
年を取ったらみんな不細工になってしまうから、
商売道具としては切れ味が鈍くなる。不安だ。とね。
私はこの考え方が割と好きで、
こんな風な考え方をしたいなと思って、
頭の中にひょいと置いておいたものが、この時にふと出てきたんでしょうね。
「いやあ、年を取ったら、どうであろうとみんな不細工ですよ。
 太ったって、痩せてたって。私ももうダメだなって思います」。

すると、その人が苦笑いをしながら言うのです。
「あなたが言うと嫌味かもね。あんまり言わない方がいいかもよ」

ハッとしましたね。
確かにね。
彼女は私よりも二十も年上で、
必然的に私よりもシミ・シワが多く、
美貌的には私マイナス二十くらいですよ。

ああ、やってしまったな、と思いました。
この人のこと、本当に好きなのに。
私の今の発言は、老女である彼女を指さして、
「お前は不細工である。もうダメだ」と言ったに等しいことでした。
また無神経な舌禍事件を起こしてしまった。
慌てて取り繕ったけれども、もう取り繕いようがありませんでしたよ。

こういう時、私は決まって、
自分はどこかがおかしいのではないか、と思います。
何かの考えのループにとらわれていると、
相手の立場や事情がまったく見えなくなって、
自分の発言がどういう風に受け取られるか全然わからなくなります。
そもそも人の心がわからない傾向があるのですが、
非常に無神経で冷酷な発言をしてしまうことがあるのですよね。
ソシオパスとか、ADHDとか、そういう感じなのかな?と思ったりします。

ただ、思うそばから、
それは逃げなんだろうなと思ったりする訳です。

私の年若い友人が、
最近私の前で泣きましてね。
自分は仕事上であり得ないミスを沢山するのだ、と言うのです。
他の人だったらしないようなミスを連発してしまって、
ものすごく怒られる。
で、反省して気をつけているのに、やはり繰り返してまた怒られる。
仕事を辞めようかと思っているのだ、と言うのです。
そして言うのですね。
「私はADHDではないかと思う。
 ネットで条件を当てはめてみると、全部に思い当たる」と。
私は思いましたよ。
「私は違うと思う。
 私の中ではあなたのすべてがADHDには当てはまっていない」とね。
思うだけじゃなくて、そう言いました。
ただ、うつ病の人に「頑張れよ」が禁句であるように、
メンタルヘルスの世界には言ってはいけない言葉が沢山あるみたいだから、
言ってよかったのかなと後からちょっと思いましたが。

だけどねえ、
彼女は頭も良いし、性格も良いし、
友だちも多ければ仕事もあって自立しているし、
シングルマザーだけど彼女の赤ちゃんは幸福そうだし、
日常に支障をきたすほど病的には見えない。
むしろ普通の人の三倍増しで健康な精神を持ってそうですよ。
まあ少なくとも、自分の人生をどんどん破滅的な方向に向かわせる私よりは、
よっぽどマシなコントローラーを持って生まれて来ている感じがするのです。

ADHDなんていう仮説をどこから引っ張り出してきたんだか、
そういえば彼女は自分の元彼も「アスペルガーじゃないかと思う」と言っていましたが、
私から見れば彼もまた、行動線がインテリよりは動物に近いというだけの普通の男でしたから、
まあ、そう、現代では誰もが普通の人の劣ったところに病気のレッテルを貼りたがる、
そしてそれは自分自身にさえも適用される傾向なのだ、ということかもしれませんが。

でも私はね、そうやって劣った部分に病気のレッテル貼りをするようなことは、
すべきではないと思っている派なのです。
病気だとわかれば楽になるのだ、と言った友人がいましたが、
そんな浅い所で楽をしちゃダメなんだと思いますしね。

彼女は辛いのだな、と思います。
私もやはりつらいです。
何がつらいって、
自分が普通のレベルの阿呆で、
人間的におかしいところ、無神経なところ、非常識なところが一杯あって、
しかもそれがデフォルトで、
変えようとしても全然変えられないのだ、という所ですね。
小さい頃からそうで、大人になってからもそうで、
一生同じことを繰り返しているのに、
一向に学ばず、
同じところでまた転ぶ。
そしてそれはただ単に普通は転ばない所で階段を踏み外し続けているだけのことだから、
積み重なっても身になることは永遠になくて、
ただ単にそれが原因で成り上がっていけないだけ。
他の凡百の人間たちと同じように。

私なんて運はかなり良かった方ですから、
他の人よりも頭一個飛び抜けててもおかしくなかったはずですが、
この非生産的な資質のせいで、
飛び抜けるどころか空気人間化している訳です。
私のことを大変優れていると思っている母親の胸のうちを想うと、
心が痛む日もありますよ。
こんなはずじゃなかったとね。

でもそれは病気だから、
ADHDだから、アスペだから、ソシオパスだから、高機能自閉症だからなのだろうか?
そういう人もいると思いますけど、
私は自分自身はそうではないと思います。
単に、欠点があるだけですよ。

そして、彼女も違うと思う。
私も彼女も、普通に気が利かない阿呆なだけです。
でも高学歴でプライドが高くて、むしろ人よりも聡いから、
自分が(いろいろな理由で)仕事が出来ないことを、
病気に持っていって安心したいだけだと思うのです。
安心できるならそれで良いのかな?
そうとも言えるけれど、でも、それは基本的に、
深く自分という人間を掘り下げることを、妨げると思うのですよね・・・。

たとえ精神科にかかって「ADHDですよ」と診断されたところで、
その診断書が暴言を無効にしてくれる訳ではないし、
仕事が出来ない理由として同僚がひれ伏してくれる訳もないし、
まあ自分自身に対して、
「でも私は病気だから仕方ないよね」と納得させることは出来るかもしれないけど、
本当にそれは解決と言えるのだろうか。
結局、自分の人生というのは、自分の能力と度量がすべてで、
この自分を死ぬまで自分で抱えていくしかないのだと思います。

私は夢見がちな人間だから、
自分が臆病で目端の利かない凡人だったり、
心の冷たい都会人であったり、
ろくに言葉もしゃべれない最底辺の外国人であったりすることを、
なかなか認められないのです。
もっと美しくて、能力があって、人に好かれるような、
早く走れる人間でありたいのです。
でも、自分がそういう人間になれなかったからといって、
「だって自分は病気だから」というのは、違うなと思うのです。
いや、厳しい環境におかれると人は病的になりますから、
そういう意味では病気なのかもしれないけど。

でも、やっぱり私は私のままで、
「自分」というものから逃げるべきではないと思う。
この「自分」、この私のままで、
自分の居場所を見つけて、自分の生き方を見つけて、
そして、人から愛される方法を見つけるべきなんだと思います。

私の年若い友人には、
確かに彼女自身の言う通り、
仕事の出来ない所はあるのだろうと思います。
でも、その代わりに、他の人が持っていない非常に優れた部分だってある。
自分の劣ったところを「病気ですから」とごまかした瞬間に、
その優れた部分は輝きを幾分失うのではないかと、
思ったりするのですが・・・。







赤毛のアン

私は最近、「赤毛のアン」を読みました。
Netflixで『赤毛のアン』がドラマ化されていて、何だか懐かしくなったのですね。
と同時に、ドラマの方はネットフリックスらしく山あり谷あり、
人間の醜さを若干グロテスクに描きだしており、
おやあ、こんなエクストリームな話だったっけ、と思ったので原作を入手したのです。
そうして原作を読んでみましたら、これがまた、本当に名作。
やはり年月が経っても色の褪せない名作というのはありますね。
心が洗われましたよ。

例えば、アン・シャーリーがこの小説の中に初めて登場する時、
モンゴメリはアンをこう描写するのです。

年は11歳ぐらい。(省略)
小さな顔は白く、やせているうえに、そばかすだらけだった。口は大きく、同じように大きな目は、そのときの気分と光線の具合によって、緑色に見えたり灰色に見えたりした。
ここまでが普通の人の観察であるが、特別目の鋭い人なら、この子の顎がたいへんとがって、つきでており、大きな目にはいきいきした活力があふれ、口元はやさしく鋭敏なこと、額はゆたかに広いことなど、つまりひと口に言えばすぐれた観察眼をもっている人だったら、マシュウ・クスバートがこっけいなほどびくびくしている、この大人びた家無しの少女の体内には、並々ならぬ魂が宿っている、という結論に達した事であろう。


私はこの一節を読んだ時、電車の中にいたのですけど、
思わず泣きそうになりました。
作者モンゴメリのこの感じね。
この、アンにたいする思い入れというか、贔屓の引き倒しというか、
なんて肩入れしているんだろう、と思ったのですよね。
公平にアンをジャッジするなんてことは、モンゴメリは一切しないのです。
「なみなみならぬ魂」。
それがどういうものかはよく分からないけれど、
なんとなく小さな女の子の中には入っていそうにないもの、
それどころか、赤ん坊から老人に至るまで、
ほとんどの人間に入っていないし、
自分にもないから他人にそれがある事を想像できない、
そういう類まれなる資質が、
このアンという孤児の中に「ある」とモンゴメリは断言するのです。
ということは、モンゴメリは「なみなみならぬ魂」を信じていて、
しかもそれこそが人間の中で最上の宝だと思っていて、
その最上の宝を自分の最愛の主人公に与えるのです。
それが何となく感動的でね。

そしてアンの投げ込まれるプリンス・エドワード島という環境も、
ネットフリックスのドラマで描かれるような浮世のリアル地獄ではないのです。
アンは孤児だということで学校でいじめられることはないし、
むしろすぐに人気者になるのです。
孤児院でも壮絶ないじめを受けた訳ではないし、
失敗をしてもマリラやマシュウは決して孤児院に送り返すような事は匂わせない。
アンを偏見で村八分にするようなことは起こらないのです。
で、こういうのをみると、「リアルじゃない」「人間社会はこんなものじゃない」と思いがちですけど、
でも「孤児はいじめられる」「貧乏人は仲間外れになる」「田舎は閉鎖的」、
「人間はしょせんこんなものだ」みたいな「お約束事」って、
昔はそれほど絶対のルール(=常識)じゃなかったのだな、と思えるだけでも、
古い小説を読むのはいいなと思ったりします。

私は泣きそうになって、
「ああ、年を取って涙もろくなったな、私は」と思いました。
それから、
自分でその考え方を、いやな考え方だと思いました。
モンゴメリがアンに対して持っていた愛情の半分も、
自分は自分自身に対して持てていない。
私が涙もろいのは年を取ったからではなくて、
私が人間で、
ちゃんとまだ本を読んで感情を動かされる想像力を維持していて、
より良い世界を望んでいるからなのに、
しかも40歳を超える前から、小説を読んでよく泣いていたくせに、
私は「年を取った女は涙もろくなる」みたいな大雑把で残酷なジャッジを、
自分にも他人にもよく下すのです。
そしてその残酷なジャッジというものは、公平そうに見えて実は真実の一面しかとらえておらず、
そのくせ世界を索漠たる砂漠みたいなものに見せるパワーだけは強烈に持っている。
良くないなあと思いましたよ。

「赤毛のアン」のような小説を時々読むのは良い事です。
自分の人生の眺め方を、少し方向転換させてくれると思います。

初4K映画 Maze Runner The Death cure

先日、「メイズランナー」の新しいのを観に映画館に行ってきました。
私の家から自転車で5分くらいのところには行きつけの映画館があるのですが、
今回は別の映画館へ行きました。
フェイエノールトのサッカースタジアムのすぐそば、自転車で30分くらいのところです。
何故かといえば、ロッテルダムで4K映画が見られるところといえば、ここしかないのですね。
4K映画は人生で初めて。
すごくワクワクするかと聞かれれば、
私ももう41歳ですからそれほどでも無いですが、
でもね。
新しい事をする自分と言うのは、何につけ誇らしいものです。

それにしても自転車が重くてね。
ロッテルダムのセントラムからフェイエノールドの方角へ行くには、
エラスムス橋という800メートルもある巨大な跳ね橋を渡らねばなりません。
これがもちろん緩やかな半円を描いていて、上り坂&下り坂なわけです。
上り坂のペダルの重いこと重いこと、途中で止まって倒れるかと思いました。
私ももう41歳で、この年齢を常に念頭に置いてしまう今日この頃なのですが、
この時ばかりは本当に「もう年なのかな・・・」とすっかり悲しくなりました。
でも、途中で気がついたのですが、
坂を上がり切って、下り坂に差し掛かっても、自転車は重たいままなのですよ。
ブレーキを閉めずに全速力で滑り下りようとしても、
相変わらず途中で止まって倒れそうになります。
よく見たら、ブレーキが自転車のタイヤを押さえたままで固定されていて、
ずっとプレーキを半分かけた状態のまま漕いでいたようです。
そうか、年のせいではなく、ブレーキかけっぱなしだったのだな。
私の心は晴れました。

でも、そんなこんなで映画館に到着した時、
私は髪を振り乱して、とても疲れておりました。
その上、時間がかかり過ぎて上映時間ギリギリでした。
映画館のチケット売り場には長い列が出来ていましたが、
私はウルティメイトカードという、映画館の定期券を持っているので、自動発券機が使えます。
急いでチケットを購入しました。
でもね、4K映画は追加料金が必要で、おまけに3D眼鏡を買うかどうかの選択肢が出てくるはずなのに、
何も要求されないままチケットが出てきました。
変だなと思いながらも、急いでチケットカウンターの脇を通り過ぎようとすると、
カウンターの若い女性に呼び止められました。
「ちょっと!チケットを切るまで待って下さい」
そういえば、私の前にも人が3人立って、チケットを切ってもらうのを待っています。
「でも、私はもうチケットを持っているし、予告編がもう始まっているし」
「ええ、わかりますよ。でも待っていてください」
女性はにべもなく言いました。
なんと彼女は長蛇の列にチケットを売るのと、チケットを切るのとを、一人で一手に引き受けているのです。
そのせいでイライラして、客に対して憤りを抑えきれなくなっているのですね。
気の毒な労働環境が悪いので、決して彼女自身が悪い人間だという訳ではないのでしょうが、
それにしても、
彼女がチケット売りに一区切りつけて、チケットを切ってくれるまでが、もう長くてね。
もう。もうちょっと人を雇ってよ。
映画館は経営が大変なのかもしれないけれど。

けれど、チケットを切ってもらって、沢山ある上映ホールの番号を確認する過程で、
私は大変なことに気がつきました。
どうしてこんな事になったのかわからないけれど、
手元にあるチケットには「Maze Runner」という文字の代わりに、
同じ時間に上映されているオランダ映画の題名がありました。
だから追加料金を取られなかったのですね。
慌ててチケットカウンターに引き返して、チケットを交換してもらおうとしましたが、
カウンターにはご存知の通り、長蛇の列。
そして、カウンターの中には、チケット一つ切るのに5分待たせたあの若い女性が。
列に割り込めば、「ちゃんと後ろに並べ」と言われるに決まっています。
もう予告編が始まっているのに。

私はしばらく考えて、
「もういいや、このまま入ってしまおう」という結論に達しました。
3D眼鏡は持ってましたしね。
4Kの映画でとられる追加料金は5ユーロほど。
でも私はここ5,6年の間、毎月映画館に定期代金を払っており、
毎回飲むお茶代、時々食べるチョコレート掛けポップコーンやアイスクリーム、
3D映画の追加料金や3D眼鏡などなど、
この系列の映画館に注ぎ込んだお金はそれなりに多額だと思うのですよ。

一度くらいは、良いんじゃないか。

そういう気持ちで最上階まで階段を駆け上がりました。
でも、4K映画はやっぱり特別らしくて、入り口に係りの男の子が立って、
チケットをチェックしているのです。
私は躊躇しました。
万引きをした時のウィノナ・ライダーの気持ちが痛いほどわかりましたよ。
多分あの時のウィノナは、お金が惜しかった訳ではなくて、
レジに並ぶ時間がなかったのではないかしら。
ウィノナにとっては高級な服の代金だって、まあ小銭でしょうしね。
いや、だからって万引きはいけませんけどね。

私は方針の定まらないまま、とりあえず男の子の方へまた走っていきました。
チケットチェック係の黒人の男の子は、
肩で息をしている私を見て、ニヤッと笑いましてね。
「あの、これなんですけど・・・」といって私が差し出すチケットを観もせずに、
「席はわかる?急ぎなね」と言って入れてくれました。
いや、もうありがたかったですね。
浮いた5ユーロを小遣いとしてあげたいくらいでしたよ。

問題の4Kですが、何でしょうね。
皆さんは好きですか?
私はそうでもなかったです。

4Kチェアはマッサージチェアに似ています。
私は車酔いがひどいので、ああいうグラグラ椅子が揺れるようなのは、気持ちが悪くなるのですよ。
特に予告編ではこれぞとばかりにグイグイと椅子を揺らすので、
もしこれが映画の間ずっと続いたら、吐いちゃうかもなと思いましたよ。
しかもずっと風がビュービュー吹きつけて、寒いですしね。
砂漠でも風が吹く、銃撃戦でも風が吹く、カーチェイスでも風が吹く。
その度に身体が冷えていくのです。
せめて温風にしてくれればいいのに。
映画の途中でモンスターが出てくるのですが、
それが顔の前でパクっと口を開けた瞬間に、
顔にパシュっと水がかかりました。
・・・どういう趣味をしているのかしら、これを考えた人は。
明らかに、モンスターの唾液が顔にかかった感覚ですよね。
これをしてもらって、喜ぶ人っているのかしら。
どうかと思いましたよ。

まあ、そうはいっても、
映画自体はとても愉しみましたけれどもね。
男の子たちはとても綺麗だし、
構成は中だるみもなくてパキパキ話が進むし、
展開はハラハラドキドキですしね。
私は一作目だけ観たことがあって、
多分途中の話が抜けているのですが、
それでも十分話についていけました。

終わった時には結局とても満ち足りた気分になって、
近くにあったケンタッキーフライドチキンに約10年ぶりくらいに入り、
チキンナゲットとコーヒーを所望しました。
ああ、私は今日は珍しい事を沢山した、
珍しい事ばかりしていたなあ、と、
しみじみ嬉しく思ったことでした。

帰り道はブレーキを調節したので、
世界が違ったみたいにすいすいと家まで走れました。

どう考えるべきなのか

私の母は、私が子供の頃、反原発運動をやっておりました。
非核三原則を国に守らせようとか、
核爆弾の恐怖を訴えたいとか、
そういう集会に子供の頃よく連れていかれた事を覚えています。
私が子供の頃ですから、
もう30年も前の話で、
今みたいに色々な人が反原発を口にする時代でもなかったし、
放射能の恐怖も、
みんな口で言っているだけで、
実は心から恐れている訳ではなかったような時代でした。
私の母も、運動はしていたけれど、
国が原発政策をガンガン推進していって、
それで経済が回っているし意見は常に無視されるしで、
途中から先細ってあまり言わなくなったようなところもありました。

それでも、
原発がある県から来た野菜は買わないようにしていました。
放射能が混ざっているかもしれないから、
というその主張を、
私たち子供は半笑いで聞いていたものです。
福島の事故が起こった時、
母はガイガーカウンターを持って、
そこらじゅうで放射能の数値を測っていました。
そして、福島と遠く離れた東京でありながら、
色々なところでびっくりするぐらい高い数値が出るのだと話していました。
私たち子供はもう半笑いではありませんでしたが、
だといってどうすればいいかもわからずにいました。
今でもそれは同じです。

そうして、事故から何年も経って、
私が時々日本に帰ると、
母が当然のように東北から来た野菜を手に取ります。
だって選んだって仕方ないもの、
すごく安いしね、
それに、何選んだって結局同じでしょ?
と、あれほど原産地に敏感だった母が言うのです。

この間スカイプで話した時には、
赤ん坊がいる兄の友達が、奥さんをガンで失くして、
そしてその後、その友達自身もガンで亡くなった、ということを言いました。
私が、え、それ、放射能の影響かもね、
だって、放射能というのは浴びてからちょうど5,6年してからガンなんかが出てくるんでしょ?
と言うと、
母は、
それは違うと思うな、ここは東京だし、
関係ないわよ。
と答えました。

だって東京にもホットスポットがあるって、
汚染された土地で育った野菜はやっぱり汚染されてるって、
水というのは巡っているものだから、海に汚染水を放出したりしたら、
飲み水にもやはり放射能が入るはずだって、
そして、放射能は癌や白血病の原因になるはずだって、
お母さん自身がそう言っていたじゃない。

私はそう言いかけて、言葉を飲み込みました。
言ったって仕方がないし、
その友達と奥さんのガンが、
そのせいで孤児になった子供の運命が、
原発由来かどうかなんて今後絶対に分かるはずもない。
もし確実にそうだと断言できないのであれば、
不安にさせるような、生きる土台を揺らがすようなことは言うべきではないのです。
それはそうだろうな、と思ったので・・・・。

今の日本で病気の人にそれを言い出せば、
そんな事言って何になるのと、
多分大多数の人が思うのだと思います。
ガンの人が飛躍的に増えたという統計も聞かないし、
芸能人の癌や突然死はよく聞くように思うけれど、
それが放射能由来だなんて言い出せば、
なんだかすごく失礼な事を口にしたような空気になりますしね。
東北で避難区域に住んでいた人が、
引っ越した先で「補償金貰ってるんだろう」と、
まるで悪い事でもしてるみたいに言われたなんていう信じられないニュースも、
「放射能なんて実は何でもないのに、何でもないことで巨額の税金をせしめて」みたいな気持ちなのかもしれない。
実際に国は被爆の基準をひょい、と上げて、
「大丈夫ですよ」という事にしたけれど、
それ以後、放射能由来の死者の話を公式に聞いたことがないですしね。

かく言う私も、揺らいできているこの頃です。
放射能って、本当は何でもないのかな?
汚染されてても、離れてるから大丈夫なのかな?
周りで癌になる人は放射能とは全然関係ないのかな?

福島で未曽有の大原発事故があって、
ものすごい放射能が大気に放出され、
メルトダウンが起こって土壌と地下水が汚染され、
汚染水が放出されたことによって海水が汚染された。
これは誰もが知っている事実で、多分否定する人はいないと思います。
放射能は人体に有害で、
放射性物質を含んだ食品を食べたり、
大気に含まれた放射性物質を吸い込んだり、
放射性物質を浴びた土や物質を触ったりして体内に取り込めば、
放射線が細胞を変化させ、
深刻な健康被害を引き起こす。
これも事実ということで、まず否定できないと思います。

ところが、周りで亡くなった人の死因については、
まず放射能とは関連付けて考えられないのは一体なぜなんだろうか。
三段論法の結論の部分だけが宙ぶらりんになったみたいな、
妙に胸に墜ちない感じ。

そして、これは口に出して言ったらいけない、という気持ちだけが強く残るのです。
自分の身の回りで、
若くして癌になって死ぬような人が出ても、
「放射能じゃないか」って言った途端に、
私は「トンデモ」になってしまうって。
タブーってこういう事なのかな。

プロフィール

Kachika

Author:Kachika
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